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BLOG校長ブログ

2024年の記事

  • 2024.05.20

    はまった! 万城目作品 ④

    『鹿男あをによし』(万城目学、幻冬舎文庫、2010年初版、手元は2018年18刷)でも、舞台の私立女子高校が平城京跡のすぐ隣にあるなど奈良の街の特長を巧みに活かしているのは「鴨川ホルモー」などと同様です。加えて古墳発掘や三角縁神獣鏡が重要な要素になるあたりも奈良ならでは。主人公の毎朝の習慣である散歩のくだりもなかなかいいです。

    「転害門の下では猫が三匹、寝そべっている。脇の立札に、この門は国宝であると書いてある。国宝に軒を借りるとはずいぶん贅沢な猫だ」
    「やがて大仏池の向こうに大仏殿の鴟尾(しび)が見えてきた。朝の白い空に、こがね色の鴟尾が静かに映えて美しい」
    「大仏殿の裏手には何もない原っぱがある。ここに越してきた日に散歩をしたときから、おれはこの人気ない場所が気に入っていた」

    そう東大寺・大仏殿の正面参道はいつでも観光客でにぎわっていますが、少し裏に回ると築地塀が続くひっそりとした、歩くと心落ちつく場所があります。小説の舞台としていいところをおさえているなと感心したくだりでした。

    「おれ」の勤務先の学校は平城京跡のすぐ隣、さすがに実在の学校ではないし、学校が建つような場所でもないのですが、ストーリーの展開上、この場所に意味があるのでこれはしょうがないか、と。

    『鹿男あをによし』の文中に「生徒たちがグラウンドと呼ぶ整地された広場がある。昼休みや放課後の部活動に、生徒たちがよく使う場所だ」というくだりがあります。このあたりをイメージしているのでしょうか。

    /東大寺・転害門。何回も火災に遭っている東大寺の伽藍の中で創建当時の姿を残しています
    /東大寺大仏殿。屋根の鴟尾(しび)が映えます
  • 2024.05.17

    はまった! 万城目作品 ③

    さて、前にも紹介しましたが月刊雑誌『文藝春秋』の五月号で元NHKアナウンサーの有働由美子さんが万城目学さんにインタビューした記事が掲載されています。そこでの、京都を小説の舞台にしたことについてのやりとり。ちょっと長いですが、ここはぜひ。

    有働 京都を舞台にすると、京都の人に「ちょっと京都に住んだだけで京都をわかったと思うな」と言われるんちゃうかと、同じ大阪出身としては気になります。
    万城目 大学時代の五年間住んでいただけですからね。京都が“いけず”なのは間違いなくて、デビュー作『鴨川ホルモー』の時は書店さんを回って「京都を舞台に書いたんです」と伝えても、喜んでくれるどころか「何それ」「あ、そう」

    有働 突き放してきますね~。
    万城目 東京や大阪は売れてへん時から優しいんです。京都は死ぬほど冷たい。(略)“お客さん”である学生には無条件で優しいけど、社会人になるとフラットな関係になる。そしてこちらの実績を認めると一転、すごく優しくなるんです。

    京都で仕事をしているころ、もう30年も昔の話ですが、やはり万城目さんの言うように、「京都の人は学生には優しい、しょせんお客さんだから、住むとなったら・・・」といった趣旨の話を聞くことがたびたびありました。誰かがつくった「いかにも」という話だろうと半分聞き流していましたが、どうでしょうか。

    もう一か所、直木賞をとって変わったことについてのやりとり。

    万城目 受賞という話題があると、人との壁が取り払われるのはよかったです。(略)東京のいいところは適度の距離感で止まるところ。大阪やったら二言目に「いくら儲かった?」と絶対言われるんですよ。
    有働 私も大阪育ちですけど、本当に大阪人の挨拶ですからね

    ちなみに万城目さんがいう「いけず」ですが三省堂国語辞典第七版によると
    「[関西方言]いじわる(な人)。「あの人ーーやわ」

    三省堂現代新国語辞典第六版では
    「[関西で]意地悪く勝手なこと。また、その人。「ーーやわ」

    『京都語辞典』(井之口有一・堀井令以知、東京堂出版、1975年初版、参照は86年7刷)
    こうい辞典があるんです。京都で仕事する上で参考になると購入したのだと思いますが、ほとんど使わなかったような。何十年もたって参照するとは。
    「いけず」についてはずばり「意地悪」。用例として
    「アイツはイケズばっかりしやがる」(男性)、「あの人は、イケズしヤハルし、カナンわ。」
    男女別で掲載されています。ここでは行為としてとらえているようで、両国語辞典はイケズなことをする人そのものも指すように広く解釈していることがわかります。

    個人的には単にいじわるというよりもっと深み? があるように感じていましたけど、どうでしょうか。また、関西方面の言葉とされていますが、万城目さん、有働さんのやりとりにあるように、大阪と京都は同じでしょうかね。

    『鹿男あをによし』(万城目学、幻冬舎文庫、2010年初版、手元は2018年18刷)

    「あをによし」「あおによし」、「奈良」の枕詞。「あをによし奈良の都は咲く花のにほうがごとく今盛りなり」という万葉集の歌がよく知られているところ。ということで万城目さんのこの作品の主舞台は奈良。同じ関西圏で京都、大阪もちょっと出てはくるのですが。

    大学院での研究に行き詰った主人公の「おれ」は教授の勧めで、教授の旧友が経営する奈良の私立高校(女子校)に欠員補充の理科教員として急に勤めることになる。そして剣道部の顧問に。この高校は同じ学校法人の高校が京都、大阪にもあり、この3校の対抗戦で盛り上がる。剣道もその例外ではないのだが、団体戦に臨むにも部員が足りない。そこに、授業中から反抗的な態度で接してきた女子生徒が加わることになる。

    ちょっと読んで「あっ、この導入部は『坊ちゃん』だよね」とピンときます。夏目漱石の『坊ちゃん』での坊ちゃんが数学教師として赴任するのは四国(松山)の中学校との違いはあります。もちろん「あをによし」では『鴨川ホルモー』のような万城目ワールドが展開されるのですが、こんなくだりがあります。

    3校の対抗戦で剣道部が戦う京都の学校の剣道部の先生が「とてもきれいな人だから、先生方からマドンナって言われているんだ」と同僚から教えられた「おれ」のつぶやき。

    「しかし、マドンナってあだ名もずいぶん時代がかってますね。まるで『坊ちゃん』みたいだ」

    読み始めた読者は当然、坊ちゃんを思い起こすでしょうから、わざとマドンナを使い、「おれ」に「坊ちゃん」と言わせる万城目さんの工夫、いやいや深読みしすぎでしょうか。その坊ちゃんは中学校の教頭を「赤シャツ」と呼んだのですが、「あをによし」での教頭のあだ名は「リチャード」

    「それってリチャード・ギア? と同じく声をひそめるおれに、藤原君はニヤニヤ顔でうなずいた。「なるほどうまいもんだね」」

    こちらはだいぶ異なります。

  • 2024.05.16

    はまった! 万城目作品 ②

    万城目学さんの『鴨川ホルモー』では平安京、京都にちなむ登場人物の名前がストーリーに深くかかわっていると思わせぶりに書きましたが、小説の中では京都の実在地名も次々とでてきます。主人公の「俺・安倍」が京都大のサークル「青竜会」入部の勧誘を受けて迷っている時に、何をするサークルなのかわからず友人たちとかわす会話。

    「大文字山に登ったり、琵琶湖にキャンプに行ったり、結構アウトドアっぽいことをするみたい」
    そして実際にサークルで行われるのが

    「大文字山ハイキング、嵐山バーベキュー、比叡山ドライブ、琵琶湖キャンプーー五月下旬から七月上旬にかけて行われた京大青竜会主催の野外レクリエーション活動の数々」

    小説のサークルに限らず、京都の大学生にとっては、まさに定番のレクリエーションでしょう、おそらく。このサークルのメンバーの集まる場所が三条木屋町の居酒屋「べろべろばあ」。さすがに実在はしないのでしょうが、「あのあたりだな」とその界隈を思い浮かべ、ひとり笑みがこぼれるのでした。

    こんなくだりがありました。

    「ズボンの内側にしっかりとしまいこまれたシャツ。ジーンズなのに、おっさんのような黒の革ベルト。別に思索に耽っているわけではなく、ただの猫背。別に急ぎの用があるわけではなく、ただの外股。(中略)京大生が世間の服飾の流行にまったくついていけない自らの性質を自虐的に表現した、イカキョー(“いかにも京大生”の略)そのものではないか」

    万城目さんが京大OBだからこと許される? 自虐ネタなのかもしれません。

    このくだりで思い出したのが同じように東大生のファッションを揶揄した言葉「コマトラ」でした。「ハマトラ」とかは聞いたことありますかね。「横浜」の「ハマ」、「トラ」は「トラディショナル」、伝統的な慣習的なといった意味。1970年代~80年代に横浜で流行ったファッションの言い方で、それをもじっています。「コマ」は東大の前期教養課程で通う「駒場キャンパス」のこと。「ハマトラ」は流行の最先端、それに比べて「駒場キャンパスの学生は……」。受験勉強でファッションなんか考えたこともなかったわけです。

    『ホルモー六景』(角川文庫版、2010年初版、手元は2024年23刷)

    単行本発刊は2007年、「鴨川ホルモー』発刊のすぐ翌年で、いわゆる「スピンオフ作品」。続編ということなのですが、そのまま続けるというより、もともとの作品(本篇と仮に呼びます)の脇役を主人公にしたり、後日談だったり、すこし目先を変えた続編を「スピンオフ作品」と呼ぶことが多いようです。『ホルモー六景』もタイトル通り短編6編で構成され、本篇ではもっぱら語られたのは京都大青竜会だったので、ここではライバルである京都産業大玄武組の話しだったり、サークルメンバーの恋愛話だったりの小編となっています。

    京都大青竜会のメンバーがかつてつきあっていた彼女は本篇でちらっと出てくるのですが、六景のうちの1編「同志社大学黄竜陣」に登場します。京都大の彼を追うように浪人しながらも故郷を出て京都の同志社大学に入るのですが、なかなかふっきれない元彼に向かって吐くセリフがこんな感じ。

    「い、いい加減にしんさいよ・・・」
    「そっちがへなへな情けない声だすけぇ、しょうがないけぇ、付き合ってやったんよ。ほんま、セコい男じゃ。そんなん、彼女と別れてから言ってきんさい。それじゃのに、彼女のことまで、私のせいにして。ほんま、最悪じゃ。お前なんか、男のクズじゃッ」

    ここ読んで、思わず笑ってしまいました。怒った彼女から思わず故郷の言葉づかいが出るわけですが、すぐに彼女がどこの出身かわかってしまう、はい、かつて私が仕事をしていた地域で当たり前に耳にしていた響きでした。

    本篇に登場する4大学は京都大、京都産業大、立命館大、竜谷大でした。京都を代表する大学といえばはずせない一つが同志社大でしょう。本篇を読んだ同志社関係者は複雑な気持ちだった、抗議した? そこで万城目さん、スピンオフ作品で同志社にもスポットをあてたか、今出川キャンパスだけでなく田辺キャンパスのことも丁寧に描いています。考えすぎでしょうが。

    本篇の紹介のところで、登場人物の名前におそらく万城目さんのこだわり、遊び心があるのだろうと紹介しましたが、六編でも笑わせてくれました。
    京都産業大玄武組をひっぱる二人の女性リーダー、その名前が定子に彰子、今年のNHK大河ドラマをご覧の方にはすぐピンときますよね。「平安京」です。ちなみに六編では読み方は「さだこ」「しょうこ」としています。

  • 2024.05.14

    はまった! 万城目作品 ①

    万城目学さんが直木賞を受賞した『八月の御所グラウンド』(文藝春秋)を紹介しましたが、ひとりの作家の連作、シリーズ本を途中から読もうとしたとき「いやいや最初から読もう」といったん手にした本を置いておいて後回しにすることがままあります。また、作家で選んで読もうとする時もわざわざデビュー作に立ち戻って読むことも少なくありません。

    実は今回も同じで、『八月の御所グラウンド』を購入したもののすぐに読まずに、万城目さんの事実上のデビュー作となった『鴨川ホルモー』を思い出したのです。

    その単行本が書棚にあるのは時々視野に入っていたのですが、つい急ぎで文庫版を買い直し「思い出しながら読むか」とページをめくり始めました。ところが内容は新鮮なままで、あっというまに読み終えて「どうもおかしい」、というわけで後で書棚から単行本をひっぱりだしたら本にはくせがついていなくてすごいきれい、「これは読んでないな、積ん読だった」と反省しきり。でもいい本に出合えて「大当たり」だったのでよしとしました。これをきっかけにすっかり万城目作品にはまってしまいました。

    『鴨川ホルモー』(角川文庫、2009年初版、2023年23版)

    さて『鴨川ホルモー』、単行本は2006年発行、2009年に文庫化されています。重版をみるとロングセラー、よく読まれているのですね。映画にもなりました。

    とにかく「おもしろかった」、これにつきます。「鴨川」とあることから「京都」に関係するストーリーだということはわかりますが、では「ホルモーとな何か」ということになります。文庫本の解説や書評などではそのあたりから説明に入っていますが、内容紹介を始めるときりがなさそうなので、万城目さんの二作目にあたる『鹿男あをによし』の幻冬舎文庫版(2010年初版、手元は2018年18刷)に収められている俳優・児玉清さんの「解説」から引用します。児玉さんは大変な読書家としても知られています。

    「そもそもの万城目小説との出逢いは、彼の本格デビュー作となった「鴨川ホルモー」だった」

    「さて、読みはじめたら、どうにも止まらなくなった。(中略)京都を舞台に構築された物語の奇天烈さに僕は唖然としたが、この街は何もかも呑み込んでも不思議ではない幾重もの時のヴェールに包まれている。オニがいても決して不思議ではない。オニの使い手としての技術を代々継承し、京都の四つの大学の学生たちが合戦を繰り返す奇想天外な超常現象物語は、読み進めるほとに僕の心を虜(とりこ)にしていった」

    「オニ」がキーワードであり、「奇想天外」「超常現象物語」などと聞くと何やらおどろおどろしいストーリーを想像してしまいそうですが、登場人物は普通の大学生で恋愛あり失恋ありの青春物語でもあります。

    解説にあるように京都の四大学、いずれも実在する京都大学、京都産業大学、立命館大学、龍谷大学がでてきます。そしてサークル名が京大「青竜会」、京産大「玄武組」、立命館「白虎隊」、竜谷大「フェニックス」。京都には大学がたくさんあるのになぜこの4校なのか、そしてこの独特のサークル名は何なのか、京都大は万城目さんの母校なのでまあそうかと、四つの大学の位置関係とサークル名がストーリーに大きく関わります。

    『八月の御所グラウンド』同様、『鴨川ホルモー』もミステリー小説ではないのですがネタバレになると興味が薄れる心配もあるので、本筋についてはあれこれ書かず、万城目学さんの「京都愛」がにじみ出ているあたりをいくつか紹介します。

    主人公の「俺」は西の方出身、二浪の末京都大に入学した1回生。一人暮らしを始めました。これはよく知られているでしょうが、関西では大学生は1年生、2年生と呼ばずに1回生、2回生と呼びます。よって先輩上級生は上回生、これは私にはなじみがなかったです。

    その俺が入部したサークルが「京都大学青竜会」。そのサークル仲間の名前にニヤリとさせられるのです。そもそも「俺」は安倍、そう陰陽師の安倍晴明(あべの・せいめい)からでしょう。児玉さんの解説にある「オニの使い手」という点で陰陽師、陰陽道はこの作品に欠かせない要素でもあります。

    そしてサークル仲間。「高村」は明治の彫刻家、高村光雲(たかむら・こううん)をすぐに思い浮かべますが、同じ「たかむら」ならばこちらの「篁」、小野篁(おのの・たかむら)ではないか。平安時代初期の公卿で百人一首では参議篁(さんぎたかむら)と称されます。篁は昼間は役人ながら夜は冥府(あの世)で閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説が残されているミステリアスな人物です。

    「俺」が恋焦がれるのが「早良京子」。「さわら」と読ませて、これはもう早良親王。平安京をつくった桓武天皇の弟ですが、謀反の疑いをかけられて追放されて亡くなり、その祟りとされる災害が平安京に次々と起きます。このほかに「三好兄弟」は三好長慶からだろうし、「俺」のピンチを救う「楠木ふみ」、これはもう楠木正成でしょう。

    単に平安京、京都を連想させる名前というだけでなく、その役割が歴史上の人物の功績と微妙にオーバーラップしているところもあり、読んでいてニヤリをさせられます。

  • 2024.05.13

    太陽フレアと地球科学

    太陽表面で起きる爆発現象「太陽フレア」によって全地球測位システム(GPS)や無線通信などに障害が出る恐れがあるというニュースが伝えられています。ちょうど読んだばかりの本に関連するくだりがあったので、ニュースも一段と興味深いものでした。

    『知っておきたい地球科学--ビッグバンから大地変動まで』(鎌田浩毅、岩波新書、2022年)

    「地球・生命」「環境・気象」「資源・エネルギー」「地震・津波・噴火」と幅広いテーマで章立てされいて、「地球・生命」の章で副題にあるビッグバンから太陽系の成り立ち、そして地球と太陽との関係が説明されます。

    「地球は北極付近をS極、南極付近をN極とする巨大な磁石であり、北極と南極付近から「地磁気」と呼ばれる磁力線が出ている」
    「地磁気は宇宙に充満する有害な宇宙線などから地球を守っているが、その強さは一定ではなく、過去二〇〇年に約九%弱くなった。(略)こうした地磁気の弱化は人工衛星や宇宙船の運行に致命的な誤作動をもたらす恐れがある」

    太陽フレアによって放出されるガス(プラズマ)が太陽から地球に大量にやってきて地磁気を乱すということです。ここに書かれているように、地磁気が地球を守っている、つまり、地球上の生命を守っているという言い方も可能で、地球上の生命の危機となると大変深刻な問題ですが、そこまで至らないにしても今回のような通信障害など社会生活に影響を与えることがあるわけです。

    地球で、人類を始め多様な生命がはぐくまれることが可能になったのは太陽の存在があったからです。その太陽からは迷惑なものも時にはやってくることが避けられないのですが、それを防ぐために地球には磁力線が出ている、実によくできた仕組みだといってもいいでしょう。

    記事には「北海道、東北、日本海側でオーロラ」という見出しもついていました。
    「実は、地磁気は太陽風を完璧に防いでいるわけではない。南極や北極など高緯度地域には、太陽風を通す「窓」がある。この窓から磁気圏に侵入した太陽風は、上空の大気と衝突して光を発する。これが夜空を美しく飾るオーロラ現象の正体である」

    「南極や北極など高緯度地域」でよくみられるオーロラが北海道や東北、日本海側のような中緯度でも見られたということは、それだけ強い太陽風が届いているということでもあります。限られた地域でしか見られないということでアメリカのアラスカ州に出かけるオーロラ観光などもあるわけですが、日本国内でもオーロラが見られたと喜んでいいのかどうか、ちょっと微妙ではありますね。

    さて本のタイトルにある「地球科学」ですが、以下のように説明されています。

    「地球の成り立ちを研究する学問は地球科学と呼ばれ、高校の教科では地学として教えられる」
    その特徴については
    「地球の歴史の過程ではおびただしい数の偶然が作用しており、「再現性」という科学の基本がほとんど成り立たない。「地球」という宇宙空間で唯一無二の物質を扱うからだ。これが、物理や化学ともっとも異なる点である」
    「すなわち、地球科学には歴史科学という特徴がある。(略)そして地球の歴史は、世界史を構成する国家ができる前、さらに人類や生命そのものが誕生する以前の歴史を対象とする」

    なるほど、ですが、「世界史を構成する国家」ができた後についても、勉強になったところがいくつかありました。例えば
    「地球温暖化が世界中の喫緊の課題となっているが、地球上ではそれをはるかに上回る寒冷化現象がときどき起こる。歴史を振り返ると、大規模な火山噴火が気温低下を引き起こし、地球温暖化に一定のブレーキをかけた事例がある」

    1783年6月にアイスランドのラカギガル火山で「割れ目噴火」が起こり、世界的な寒冷化をもたらした。ヨーロッパでは平均気温が約1度下がり、食料不足が起きる。さらに驚くべきことに

    「1783年は遠く離れた日本でも全国的に厳しい不作となった。いわゆる「天明の大飢饉」である」
    「日本史の解説書には、天明の大飢饉は浅間山の噴火によって引き起こされたと記述したものがあるが、同年に起きたアイスランドでの大噴火が原因である」

    そのアイスランドは最近でも活発な火山活動が続いていて、アイスランド大使館の公式ホームページによると、今年3月16日に起きた火山噴火で周辺に緊急フェーズ(緊急事態宣言)が出されました。

    再び鎌田さんの著作から引きます。

    「アイスランドは噴火と地震が一緒に起きる世界一の変動帯である。二〇一〇年にアイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル火山で水蒸気噴火が発生し、ヨーロッパ一帯に大きな経済被害をもたらした」

    火山灰が広がりヨーロッパの広い地域で長期間、航空機が飛べなくなりました。このニュースは記憶にあります。物流が止まったことによる「経済被害」ということですね。

    なお、この鎌田さんの本は『週間エコノミスト』連載の『鎌田浩毅の役に立つ地学』をもとにまとめたものです。現在も連載中です。

    毎日新聞の記事「最大級の太陽フレアが7回連発 各地でオーロラ、北海道でも観測」、電子版はこちらから

    国立科学博物館の公式サイトに太陽フレアの説明があります。こちらから


    観測された大規模な太陽フレア(米航空宇宙局=NASAの公式ホームページより)

  • 2024.05.09

    『都大路上下(カケ)ル』--「ご当地小説」考 ③

    さてタイトルの『十二月の都大路上下(カケ)ル』ですが、作品では「上下ル」を「カケル」と読ませています。きちんとルビもふっています。京都の街での「上下」について、これは知っている人も多いとは思いますが駅伝を舞台にした小説にふさわしく、タイトルにも意味を込めているところなので、蛇足ながら少しふれます。

    京都の街中はいわゆる東西と南北の通りが碁盤目状に交差しています。そこで、ある地点を表すのにその交差点を基準に4方向で示すことができます。交差点から東に向かえば「東入」、西に向かえば「西入」、北に向かう時は「上ル」、地図的に北に向かうから「上ル」、まあ御所が北にあったからでしょう。そして南に向かえば「下ル」。これで通じるわけです。

    ただ、交差点をいい表すときに東西の通りを先にするか南北の通りが先か、これはなかなか難解。つまり小説でも出てきた「烏丸通」が「四条通」と交差するところは「烏丸四条」なのか「四条烏丸」なのか、というところです。もちろん、明確なルールがあるわけではなく、例えばバス停の名称などによることが多いようです。

    いずれにしても「烏丸四条」の交差点から東西の通りである四条通りを東に進んだあたりが「烏丸四条東入」、「烏丸四条」の交差点から南北の通りである烏丸通りを北に進んだら「烏丸四条上ル」と説明すれば、通じるわけです。

    もちろん、これとは別に「〇〇町」という住所はあるわけですが、かなり細分化されていて東入、西入、上ル、下ルを使うことが多いです。

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    札幌も明治時代にほぼ一から作られた街なので道路はほぼ東西南北碁盤目状に敷かれました。その通りには一部を除いて番号をつけたので、番号の並びでどのあたりか見当をつけやすい。ところが京都の場合、通り名にそれぞれ「由緒」があります。すぐに読めないような漢字も使われています。

    東西の通りには一部「三条」「四条」のように数字が使われていはいますが、その間にもたくさんの通りがあるので、これはもう覚えるしかありません。通り名を覚えるための「わらべ歌」があり、京都の子どもたちはそれで覚えるなどと言われていましたが、今はどうでしょうかね。スマホあるし。

    さてその京都の街を走る駅伝に話を戻しますが、スタートの競技場を出てから西大路通、先にでてきた「烏丸通」「丸太町通」などいろいろな通りを走ります。そして折り返して同じ競技場に戻ってきます。つまり選手たちはコースを「上ル」「下ル」「東入」「西入」するわけです。なので小説のタイトルに「上下」といれ、これを「カケル(駆ける)」と読ませる。よく考えられていますよね。

    師走の一大イベント 駅伝取材

    さて「全国高等学校駅伝競走大会」は昨年2023年12月の大会が男子74回、女子35回でした。小説の舞台となった女子の部は男子に遅れて始まったわけです。この女子の記念すべき第1回大会(1989年)の優勝校は市立船橋高(千葉県)でした。

    大会は毎日新聞社の主催でセンバツ高校野球などと並んで長い歴史もあり、報道にも力を入れています。競技全般については運動部の記者が中心になって取材するのですが、小説中に「地元の代表として都大路を走ったんです」とあるように、県予選の段階から本番の様子まで、「地元の代表」として出場校の地域の紙面でも大きく掲載されます。

    全都道府県から出場するので、当日の1チーム(1校)ごとの取材は京都支局の記者だけではとてもこなせません。そこで、上位入賞が期待される強豪校については、その学校所在地の支局などの記者が京都にやってきて取材をします。京都入りする前に地元で取材をしているので記者は選手や指導者とも顔なじみになっており、京都での本番取材もスムーズにいくという利点もあります。だいたい記者になって数年という若い記者が担当します。

    事前に何度も取材しているのでその高校、選手たちへの思いも強まり、いい成績をあげて欲しいという願い、取材を忘れてつい応援してしまう、といったほほえましい光景もしばしばでした。ちなみに、センバツ・甲子園も同じような形で取材しています。

    京都支局員は本来の取材とは別に、この全国から集まってくる記者たちのお世話、面倒を見るという仕事が加わるので、支局にとって年末・師走の一大イベントとなっていました。

    とはいえ、支局員全員が駅伝にかかりきりとはいきません。本番中にどんなアクシデント(事故)が起きるかわかりません(幸い一度もありませんでした)、大会に関係ないところで事件事故は起きてしまいます。ということで私は京都府警本部で待機やら、また国際的な学会があってその取材で京都大学へ行ったということもありました。

    その経験の中で記念すべき女子第1回の市船橋高の優勝に“遭遇”しました。何しろそれまでは男子の部だけ取材していればよかったのに女子の部ができて、男子の前に女子が走り、そこで結果が出ます。走り終えた女子選手たちに取材しているうちに男子の部が始まってしまうというあわただしさなので、女子の部、男子の部とあわせて取材を終えられるだろうかとみなで心配したことをよく覚えています。

    陰の立役者はタクシーの運転手さん?

    さて、男子は7人、女子は5人でタスキをつなぐので中継点があります。「烏丸通」の読み方のやりとりで触れたように、前日に部員らが下見して中継点を確認し、走る選手とは別に応援の部員も中継点ごとに配置されるのが通例です。

    正月恒例の箱根駅伝はテレビ中継で見る方も多いでしょうが、高校駅伝の一番の違いは、監督(顧問)の競走が始まってからの役割です。箱根駅伝では出場大学ごとに車が用意されて監督らが乗り込み、選手に伴走することが可能です。車から声を出して選手に直接声をかけることができます。しかし、高校駅伝ではそれはできません。50人近い選手が走るのですから車を出すことは不可能です。ではどうするか。

    コース途中の中継所とか、ここぞというポイントに先回りして、そこを通過する選手(ランナー)に声をかけることになります。「先回り」と書きましたが、コース周辺はもちろん交通規制が敷かれています。ここで「上ル、下ル、東入、西入」を思い出してください。

    箱根駅伝のように東京から箱根に向かって一直線でなく、都大路の駅伝コースは結構曲がります。わざわざ遠回りしていると言ってもいい。そこで車でショートカットするとコースを先回りして何か所かで走る選手を迎えることができるのです。ただ、そのためには都大路の道路を熟知していなければなりません。出場常連校はベテランのタクシー運転手さんと昵懇になりタクシーを借り上げます。「今年もよろしく」と。そのタクシーで先回りするのです。最近はどうですかね。

  • 2024.05.08

    『十二月の都大路』--「ご当地小説」考 ②

    さて万城目学さんの最新作『八月の御所グラウンド』に収められているもう一編『十二月の都大路上下(カケ)ル』、二編のタイトルが「八月」と「十二月」で対になっているわけですが、こちらは野球ではなく、毎年12月に京都市内で行われる高校駅伝が舞台の小説です。

    「全国高等学校駅伝競走大会」が正式名で男子第何回、女子第何回とつきます。男子の部と女子の部に分かれて競走が行われています。毎日新聞社の主催です。ここのところ覚えておいてください、後でしつこく書きます。

    万城目さんの小説では「女子全国高校駅伝」となっています。このように紹介されます。

    「私たちの高校は実に二十七年ぶりに都大路を走る切符--、すなわち女子全国高校駅伝のエントリー権を獲得した。駅伝を志す高校生たちにとって、野球における甲子園と同じ存在感を持つ、超ビッグな大会である。わざわざ、全校生徒を集めた壮行会まで体育館で開いてもらってから、意気揚々、京都に乗り込んできたのだ」

    主人公の女子「私(坂東)」は二年生

    「ちなみに現在、私の辞書に「緊張」の二文字はない。なぜなら、私は補欠だから」

    その私が本番前夜、顧問に呼ばれて、三年生の先輩が出走を辞退することが告げられる。そして

    「代走に誰を立てるか――」
    「坂東、アンタに決まったから」

    と突然指名されます。そして本番のレースの結果は、ということで、こちらもネタバレしません。

    この作品もディテール、細かいところで笑いがありました。もちろん、基本的には笑う話ではありませんが。例えばここ

    「とりまるじゃないよ、からすまる。よく、見なよ」
    「「え?」と地図をのぞきこんだ。確かに「鳥丸通」ではなく「烏丸通」と表記されている」
    「『烏』って字、『鳥』より横棒が一本、少なくて簡単なはずなのに、何でこっちのほうが難しい漢字に思えるんだろうね」
    「それに『からすまる』じゃなくて『からすま』って読むから」

    思い当たる人、きっといますよね。駅伝のコースでは烏丸通を走ります。本番前にコースの下見をした時のやりとりです。

    そして走り終わって翌日、京都を離れる前に「私」たちはお土産購入に出かけます。京都でお土産購入といったら、はいそうです、「新京極」です。そこで前日同じ区間を走った強豪チームの上級生とばったり出会います。

    「地元のシャッターだらけの駅前商店街とは違う、前後にどこまでも店が続く眺め」
    「(新京極の)アーケードでは、昨日の大会に出場していた学校の生徒たちと何度かすれ違った。どうしてそれがわかるのかというと、誰もが私たちと同じように学校のウィンドブレーカーやベンチコートを着て行動しているからだ」

    「どこにでもいる高校生の雰囲気で、それでいてその表情に、「ウチら、地元の代表として都大路を走ったんです!」という誇らしげな様子がほのかに宿っているのが、何ともくすぐったい」
    「ほんの一瞬、彼女たちと視線を合わせるだけで、言葉は交わさずとも、互いの健闘を称え合う無言のエールが、雑踏のなかで交差した」

    青春ですね。

    さて主人公の名前「坂東」ですが、「さかとう」と読ませています。仲間からは「サカトゥー」と呼ばれてます。この学校の名前や所在地は書かれていないのですが、勝手に推測すると、この名前からして関東の学校かしら。坂東(ばんどう=関東地方の古名)だし(この後紹介しますが、万城目作品の登場人物の名前はいつも訳アリなので)

    全国高校駅伝については毎日新聞社の特集ページを。歴代優勝校などが紹介されています。こちらから

    余談ではありますが

    「『八月の御所グラウンド』--「ご当地小説」考 ①」(5月7日付)のところで、万城目学さんに有働由美子さんが月刊『文藝春秋5月号』誌上でインタビューしていることを紹介しました。説明は不要でしょうが有働さんは元NHKアナウンサー、文藝春秋でのインタビューは「有働由美子のマイフェアパーソン」というタイトルの連載で5月号は「64」となっているので64回目ということでしょうか。長期連載ですね。その有働さんのNHK時代、強烈な印象を受けたことがあります。

    記者として放送通信業界を担当している時にはNHK会長らの記者会見に出ていました。どのような内容だったのかは覚えていないのですが会見場に有働さんが登場して「有働でーす」と一声、アナウンサーなので声が通るのはもちろんなのですが、そのあいさつだけで記者会見場の雰囲気が一気に変わり、華やかになりました。存在感というか、よく言われるオーラを感じたといってもいいような、なるほどNHKの顔だなと感心したのでした。

    そんな体験を思い出しながら、万城目さんのインタビュー記事を楽しく読ませてもらいました。

    本当に余談ですね。

  • 2024.05.07

    『八月の御所グラウンド』--「ご当地小説」考 ①

    「ご当地ソング」についてあれこれ書きました(4月8日付~18日付)。そこで続けて「ご当地小説」、音楽以上に小説には舞台設定が重要ですから具体的な地名や固有名詞がしばしば出てきます。それなのにあえて「ご当地小説」としてまとめるのは何か意図があるのか、実は京都を舞台にした小説をとりあげたいのですが、また「京都ネタ」と言われるでしょうから、せめてタイトルは「ご当地小説」と逃げました。

    というのも、とりあげたくなったきっかけは二つ。まずは万城目学さんが『八月の御所グラウンド』(文藝春秋、2023年、手元は24年2刷)で直木賞を受賞したこと、さらには、今年初めに散々書いた『京都 未完の産業都市のゆくえ』(有賀健、新潮選書)で、こちらは芥川賞作家、綿矢りささんが京都を舞台にした自伝的な小説を書いていることを知り、読んでみてどちらも大変おもしろかったことがあります。

    『八月の御所グラウンド』には表題作と『十二月の都大路上下(カケ)ル』の二編が収められているですが、まずはグラウンドの方から。

    京都の大学に通う主人公「俺」が、友人から焼肉をおごってもらって頼み事を聞く。友人は留年していて何とか就職のメドがたったが、卒業の必須条件である卒業論文提出が危うい。担当教授に泣きついたら、早朝野球に出場することという条件を出された。焼肉とは別に借金もあって「俺」も友人と一緒にしぶしぶ早朝野球に加わることになる(主人公の大学名は出てきませんが、百万遍の交差点とか書かれているので京都大でしょう)。

    そういう経緯なので、かき集めた野球チームのメンバーのモチベーションは低い。早朝とはいえ8月の暑さの中での野球、日が経つにつれてだんだんメンバーが減っていき、もはや試合が成り立たない、という時に、グラウンドの隅にいた人に声をかけて、急きょ助っ人として加わってもらう。この助っ人の技量がすばらしく、何者なのかナゾは深まるばかり。

    もちろんミステリー(推理小説)ではないので、ネタバレとかはありませんが、これより先まで書いてしまうと興ざめは間違いないところ。なので、ほとんど余談にしかならない感想をいくつか。

    タイトルにある八月ですが、暑さがこのように描写されます。

    「誰もが京都から脱出した。/ 賢明な判断だと思う。」
    「八月を迎え、京都盆地は丸ごと地獄の釡となって、大地を茹で上がらせていた。(中略)学食で中華丼をかきこんでいたら、後ろの席で女子学生が、鴨川べりで座っていたら蜃気楼が下流のほうに見えた。京都タワーが浮かんでいた、と語っていた」
    「八月の京都の暑さに勝てる者などいない。/すべての者は平等に、ただ敗者となるのみ。」

    早朝とはいえ、そんな中で野球をするわけです。では「御所グラウンド」とは

    「京都御所の敷地内にある運動用広場のことである。はじめてその名を耳にしたときは、俺も「ウソだろ?」と思った記憶がある。京都御所といったら、歴代の天皇が住んでいた、いわば日本の歴史の中枢だ。そんな重要な場所で野球やサッカーができるものなのか?」

    「おそらく他に正式名があるのだろうが、学生一般には「御所G」の呼び名で知られている。学内の掲示板に貼られている、運動系サークルの勧誘ビラにも「毎週水曜日に御所Gで練習」などと書きこまれているのをよく目にする」

    この主人公同様、私自身も京都で仕事をしながら、この本を読むまで御所にグラウンドがあることはまったく知りませんでした。地図や空撮写真などで確認してみました、ありました。

    「天皇が住んでいた」という京都御所の周囲に広がる空地・緑地が「京都御苑」、市民が自由に歩ける場所、市民憩いの場でもあり、運動公園があっても不思議ではありません。京都御苑の公式ホームページでも案内されています。

    南東部の富小路地区には、グラウンド、テニスコート、ゲートボール場、北東部の今出川地区にはグラウンド、西部の出水地区には出水広場があります。そして、富小路地区のグラウンドは「軟式野球、ソフトボール場 6面」、今出川地区は「軟式野球、ソフトボール 3面」と紹介され、使用料などが明記されています。

    どちらのグラウンドも周囲を樹木に囲まれているので、近くまでいかないとなかなか気づかないでしょう。小説中にある、主人公が下宿からたどった道筋、さらには「石薬師御門」から御苑に入った、とあるので、今出川地区のグラウンドが舞台だと推測されます。

    月刊「文藝春秋」の5月号に有働由美子さんの万城目学さんへのインタビュー記事が載っていました。その中で万城目さんが答えています。

    「僕も京大生の時に御所グラウンドで試合をしたことがあります」

    やっぱり。その後にこの小説のカギとなる話が続くのですが、最初に書いたようにネタバレなのでまずはここまでで。

    余談ではありますが

    主人公の「俺」は天皇ゆかりの場所で野球、と驚いたわけですが、実は東京にもそういう場所があります。「神宮球場」です。所在地は明治神宮外苑、つまり明治天皇を祀った「明治神宮」の一部だということです。神宮球場はご存じの通りプロ野球ヤクルトのホームグラウンドであり、大学野球が行われ、高校野球の東京都予選の会場にもなります。その神宮球場のすぐ横に軟式野球専用のグラウンドがあるのは知ってますか。申し込めば誰でも利用できます。

    「明治神宮外苑」のホームページを見たら、天然芝グラウンド5面、人工芝グラウンド1面あるそう。
    なんで知っているかというと、ここでは何度か野球をしたことがあります。といっても学生時代ではなく、新聞社に入ってからのこと。会社の福利厚生の一環として所属対抗の社内野球大会がこの外苑のグラウンドで開かれていたのですが、小説同様、なんとかメンバーを集めて出場していました。男女こだわる余裕もなく、ほとんど野球未経験者! もいましたね。そういえば、ここも略称すればGグラウンドだ。

    試合は休日とかでなく、早朝に行うのが特徴、試合を終えてそのまま出勤するという、今では信じられないような話ですね。まあ、休日に設定したらみな集まらないでしょうから。時代の変化もあって徐々に参加する所属も減り、いつの間にか大会そのものもなくなったようです。

    「御所グラウンド」をあれこれ調べていて、思い出しました。

    京都御苑の運動施設の案内がこちらにあります

    明治神宮外苑の軟式グラウンドの案内がこちらにあります

  • 2024.05.02

    「水のノーベル賞」ーー沖大幹さん受賞 ②

    「バーチャル・ウォーター・トレード(仮想水貿易)」という考え方を紹介したことも沖大幹さんの業績の一つなわけですが、もう少し説明があった方がいいでしょう。

    考え方の例として、具体的な数字が『知っておきたい水問題』(沖大幹・姜益敏編著、九州大学出版会、2017年)で示されています。

    小麦やトウモロコシを1キログラム生産するためには約2000リットルの水が必要、つまり作物重量の2000倍の水が必要ということ。ということは、これだけの水を確保することのできない地域では小麦やトウモロコシが栽培できないことになってしまう。では水を輸入すればいいのか、水の輸送には大変なコストがかかります。

    結果的に食料として欠かせない小麦やトウモロコシは輸入に頼ることになる、その輸入はあたかもその生産に必要な水を輸入したことと同じと考えていい、ということで、そこからバーチャル、仮想という単語を使い、「仮想水貿易」という表現になっているわけです。

    この概念をいち早く日本で紹介し、沖さんらの研究チームはいろいろな穀物などの食料や工業製品をつくるのに必要な水の量をはじく計算式を作っていきました。

    食料自給率の低い日本は穀物や肉類の多くを輸入しています。一方で日本は水に恵まれた国と私たち自身が思っています。沖さんらの計算で日本に輸入される食料の仮想水量の総計がはじきだされたところ、その多さに「水に恵まれた国なのに、これほどの水を海外に頼って日本の食生活が成り立っている」とある意味、衝撃的に受け止められたようです。

    自分の国にたくさん水があるのに、海外の水(仮想水として)まで使っているのかと誤解され批判されがちですが、「そうではない」と沖さんは指摘します。『水問題』ではこのようにまとめています。

    「日本は降雨の時間的な偏在が小さく、水資源に恵まれた環境です。しかし、平地が少なく国内で十分な農地が確保できないために、仮想的に海外の農地を輸入しているようなものなのです」

    「一方、中東などの石油資源に恵まれた国では、海外から水を輸入し自国で作物を栽培するのではなくて、海外で栽培された作物を自国に輸入した方が、はるかに運送コストを安くすることができます」

    「仮想水とは、食料を媒体とする地域間の移動が、水資源の地域的な偏在を緩和しているという観点から生まれた概念です」

    沖さんの研究は幅広く、この仮想水のことなどはほんの一部にしか過ぎないことがその著作からうかがえます。新聞報道などでは専門は「水文学」、「みずぶんがく」ではなく、「すいもんがく」 (hydrology)、地球上の水循環を主な対象とする地球科学の一分野で、毎日新聞の記事によると沖さんは気候変動によって世界の水の供給と需要がどう変わるか予測する方法を開発したと紹介されていました。

    私のレベルではここまで。ただ、気候変動などと同じように、水問題は地球規模の課題の一つであることはまちがいないところですよね。

    余談ではありますが

    『水の未来』を読んで、また沖さんの公式サイトなどで経歴を確認したところ、おそらく2002年、沖さんが文部科学省大学共同利用機関「総合地球環境学研究所」で助教授をされていた時にお会いしたのだと思います。さすがに当時の手帳や取材メモは探しきれませんでした。この研究所が発足したばかり、研究所は京都市内の、統廃合で使われなくなった小学校校舎を借りていて、そこを訪ねました。話がはずみ、結構突っ込んだ質問をしたからか、沖さんから「小野田さんは理系ですね」などと嬉しい?誤解をされ、誘われて一緒に食事もしたことを懐かしく思い出しました(ちなみに、がちがちの文系です)

    今回、沖さんの経歴を確認していて出てきた「総合地球環境学研究所」は2001年に発足、初代所長が動物行動学の日高敏隆さんで現在は前の京都大総長・山極壽一さんが所長を勤めているようです。これもちょっとした縁に過ぎないのですが、この研究所の研究員の方が以前、本校を設計したアレグサンダー博士の建築思想に興味を持ち見学させて欲しいとわざわざ京都から来校したことがあったのです。私が京都で仕事をしていたころはまだこの研究所はなかったので、見学の後、研究所のことをあれこれ聞いたことも思い出しました。

    沖さんが個人で開いているホームページはこちらを

  • 2024.05.01

    「水のノーベル賞」ーー沖大幹さん受賞 ①

    少し旧聞になってしまいますが沖大幹(おき・だいかん)東京大学教授が「水のノーベル賞」とも呼ばれる「ストックホルム水大賞」の受賞者に選ばれました(新聞記事掲載は3月23日付)。日本からの受賞は23年ぶりだそうです。

    20年以上前に取材して大変興味深くお話をうかがったことが思い出されました。いよいよ研究を深められていることを知り、感慨深いものがあったのですが、つい先日4月29日付で2024年春の褒章受章者が発表され、沖さんが学問や芸術分野で功績を残した人に贈られる紫綬褒章を受章されるとのこと。改めて著書を読んでみました。

    『知っておきたい水問題』(沖大幹・姜益敏編著、九州大学出版会、2017年)
    『水の未来--グローバルリスクと日本』(沖大幹、岩波新書、2016年)

    『水問題』は沖さんをはじめ研究者が課題ごとに執筆していますが、「はじめに」で沖さんは

    「地球規模の環境問題として、主に気候変動対策、食糧確保、安全な水資源の確保が挙げられ、人類にとってどれも解決しないといけない最重要課題です」

    と位置付けます。そのうえで、水にかかわる問題は大きく二つにわけられる、と整理してくれています。

    まず、水資源そのものの不足、つまり、そもそも多くの人が常に水を得られない状況に置かれている、2025年には世界総人口の約45%以上の人が水不足を感じる水資源の不足状態になると国連が警告しているそうです。もう一つが、安全な水の確保です。

    そして、水のことは問題を抱えている地域や国に限定された問題のように考えてしまいがちだが、水資源と農業、畜産物との関係、食糧確保との関係などを考えると国際社会に共通した問題である、と沖さんは注意を促すのです。

    このように幅広い視野を求められる水問題に取り組んできた沖さんですが、私が取材したきっかけは「仮想水」についてだったと記憶しています。こちらは『水の来未』から引用します。

    「水をめぐる紛争は、深刻な水不足から想定されるほどには勃発していない。それはなぜだろうか」
    「キングス・カレッジ・ロンドンのトニー・アラン教授は、それは食料輸入によってその生産に必要な水資源を使わずに済んでいるからである、と看破した」

    「必要な水の大半は食料生産用であり、それは自分の地域の水資源を用いずとも、水が利用可能な地域で生産された食料を輸入することによってまかなえる。すなわち、水需給が逼迫している地域にとって食料の輸入とは、あたかも水を輸入しているようなものである」
    「このような意味で、アラン教授はこれをバーチャル・ウォーター・トレード(仮想水貿易)と呼んだ」

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