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BLOG校長ブログ

2024年の記事

  • 2024.01.22

    受験生のみなさん 頑張ってください

    22日、本校入学試験1日目が始まりました。受験生のみなさんは英語、国語、数学3科目の試験を受けます。午前9時開始の前、来校する受験生を迎えましたが、みなさん、元気よく挨拶してくれました。

    健闘を期待します。

    学校ホームページの「新着入試情報」でも試験のようすは随時、お知らせします。
    こちらから

  • 2024.01.20

    入試準備が終わりました

    週明けの22日(月)から本校の入学試験(前期入試)が始まります。

    22日が単願推薦・単願一般の受験生、23日、24日が併願推薦・併願一般の受験生の試験日です。

    校内全域で準備があるため20日、在校生は午前中で全員下校しました、22日~24日の間は自宅学習日となります。

    在校生の下校後、教職員総出で試験準備にあたりました。教室内外の清掃、机イスの確認、受験番号札の貼り付け、試験会場の教室への誘導案内の掲示などを手分けして行いました。

    受験生のみなさんが整った会場で気持ちよく、そして力を発揮できるよう、心をこめて準備にあたりました。

    いまこれを読まれている受験生、保護者がいらっしゃいましたら再度、受験当日の諸注意の確認をお願いします。
    こちらからどうぞ

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  • 2024.01.19

    ヤンキースそしてカープーー黒田博樹さん野球殿堂入り

    今年度の野球殿堂入りのメンバーが発表され、元広島カープの投手、黒田博樹さんも選ばれました。いわばプロ野球のレジェンドとして位置付けられたわけですが、このニュースを聞いたのが京都に係る話の延長線上で米国ボストンの話を掲載した直後。そういえばボストンで黒田選手応援したよねと思い出しました。今日はかなり個人史(自慢話?)です。

    黒田さんは1997年に広島カープ入団、2008年に米大リーグのドジャースへ移籍、12年からニューヨークヤンキースでプレーしました。

    13年夏、家族でボストンに旅行しました。私はおよそ30年ぶりの再訪でした。せっかくなのでメジャーリーグの試合を見てみたいという希望がかない、地元ボストン・レッドソックスのホームグラウンド、フェンウェイ・パークへ。レッドソックスには日本人選手として田沢純一投手、上原浩治投手が在籍していました。

    対戦相手はニューヨーク・ヤンキース、レッドソックスとヤンキースの対決は大リーグの中でも伝統の一戦です。その試合、ヤンキース先発は黒田投手でした。ヤンキースにとってはアウェーでましてや先発ローテションがあるので、黒田投手の登板にあたったのはまさに幸運でした。

    残している新聞記事によると5回3分の2を投げて敗戦投手となっています。レッドソックスは沢田投手、上原投手の抑えのリレー登板でした。そして、なんとヤンキースにはシアトルマリナーズから移籍していたイチロー選手もいたんです、もちろん出場していましたが、アウェーのヤンキースなので、レッドソックスのファンはイチローといえども容赦のないブーイングを浴びせていました。

    以前にも書きましたが新聞記者をしていて高校野球、社会人野球はいやおうなく取材しましたが、プロ野球は対象外で、プライベートでもほとんど観戦したことはないのですが、米国で日本人選手たちの大活躍を見られるという貴重な体験でした。

    そんなわけで、もちろんイチロー選手は知っていましたが、たいした知識がないままのスタンドで、そばの席にいた方が、こちらが日本人だと思ったのでしょう、黒田さんについて「ヒロシマ、カープにいたんだよね」などと話しかけてきました。英語でコミュニケーションしたのかって、いえいえ、日本で暮らしことがあるという方でした。

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    /当日のチケットです

    フェンウェイ・パークのレフト側スタンドは高いフェンス(壁)になっていてグリーンモンスターと呼ばれます。ホームランを減らしてしまいます

    /チームのマスコットと子どもたちの交流風景

    この日の黒田投手。ダイナミックな投球フォームです

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    そしてカープへ

    その黒田さんですが2015年、「選手生活の最後はお世話になったカープで、ファンに恩返しをしたい」と広島に復帰し、広島のリーグ優勝に貢献します。

    私は広島県東部の福山で新聞記者生活をスタートしました。当然ですが、周りはカープファンばかりでした。取材対象の刑事さんらと仲良くなるのに、例えばプロ野球の話題などから入るのが一番とわかってはいたのですが、東京から来たと知られているので、カープファンと自称するのもさすがにね、ですよね。

    よきライバルであり目標でもあった地元の新聞社の記者たちも、これまた当然ながらカープファン。そんな一人がぽつりと話してくれたことがありました。

    広島市内の中高一貫校を卒業して東京の大学に進学、ホームシックというほどでもないのでしょうが、東京の球場でのカープの試合に出かけスタンドで観戦する、周りから広島の言葉が聞こえてくるとね・・・といった思い出でした。

    停車場の人ごみの中にふるさとの訛りを聴きにいく、石川啄木ですよね。

    こんなファンがたくさんいることがカープの強みであり、黒田さんの「もう一度カープで」という思いを後押ししたのでしょうね、きっと。

  • 2024.01.18

    京都は産業都市か ⑥

    ここまで紹介してきた『京都 未完の産業都市のゆくえ』(有賀健、新潮選書)で筆者が京都と比較する、参考になる都市としてアメリカのボストンをあげているのは意外でした。著書ではふれられていませんが、ボストンは京都の姉妹都市のひとつです。国内の多くの自治体が海外の都市と「姉妹都市」になり、市民が行き来するなどの交流を重ねている例はたくさんあります。

    ボストン市についての説明、京都市のウエブサイトによります。

    「マサチューセッツ州の州都で、港湾都市です。わが国の函館とほぼ同じ緯度にあります。ニューイングランド地方最大の都市で、商業・金融・文化の中心地です。その歴史は、1630年に始まっていますが、ボストン茶会事件などアメリカ独立運動関係の遺跡や文化施設がたくさんあります。ボストン・マラソン、ボストン交響楽団、ボストン美術館などで有名です。ボストン大学のほか、郊外にハーバード大学、マサチュ-セッツ工科大学を擁し、文化・学術面でも知られ、ハイテク産業が発達しています」

    1959年から京都市の姉妹都市になっています。港湾都市という点が京都とは異なりますが、アメリカ合衆国建国の歴史の最初のページを開いた、いわば「古都」という点で京都と重なり、さらには「大学の街」というところに京都市はイメージを重ねたのでしょう。

    有賀さんはこのボストンも一時は産業の衰退で低迷したものの、京都市が紹介するようにハイテク産業などの「ゆりかご都市」として「カムバックした」と評価します。そのうえで、京都への「苦言」を呈するのです。

    「新規企業をサポートする体制が整っていることがボストンのベンチャー企業の族生に貢献していることは間違いないだろうし、それがゆりかご都市京都にとっての最大の課題だと思える。全米で多くの学生がボストンにあこがれるのと、日本の多くの学生が京都にあこがれるのに大きな違いはないだろう。現代の京都はそれで学生を集めることには成功しているが、彼らを京都の地に留めることは出来ていない。しかし、魅力ある職があるならば京都を選びたい若者が決して少なくないだろうことは想像できる」

    /「港湾都市」であることがボストン市と京都市との一番の違い。高層ビルが立ち並ぶところも京都とは異なります
    /一方で旧市街には古いレンガ造りの家並み(マンション)が続きます。このあたりは米国の「古都」の風情です

    有賀さんの指摘にはかなり厳しいところがありますが、終わりには「(京都は)今後どうあるべきか考えてみたい」として、いくつかの政策を提言します。

    例えば、町衆の本拠地である「田の字地区」を特別扱いせず、道路の拡幅も含めた区画整理事業が必要とか、交通問題の抜本的解決として市の南北を結ぶ高速道路(自動車専用道路)、環状地下鉄(道)の建設などをあげています。

    かなり大胆で過激です、と冷ややかにみてしまうところに「歴史都市」に縛られている私自身がいて、同じように考える人が多かったから京都が産業都市になりきれなかったのでしょうね。

    有賀さんのまとめから「なるほど」と感じたところです。

    「京都は古都ではなく、西京として、あるいは大京都として、つまり東京、大阪と並ぶ日本の中心都市を目指した時期がある。(略)産業革命の進行に乗り遅れたとはいえ、京都は近代都市として生まれ変わろうとした」

    「京都は古都として静かな街並みと古刹の残る奈良のような都市になることを拒んだともいえよう」

    「それでも、明治維新以降の150年で東京や大阪が成し遂げたことを京都が成し遂げなかった、あるいは少なくとも未完成に終わったのはなぜか、本書の主張は明白で、それは京都という都市と社会が、近世の都市と社会から完全には脱却できなかったからである」

    「京都市は人口が純流出を続ける最大の都市である。純流出は20代前半から30代にかけて続き、10歳未満も純流出が続くことは、就業機会に恵まれず、子育て世帯にも良好な住環境を提供できていない何よりの証拠である」

    「京都が魅力ある都市であることに異論はない。問題はそれが就職の地として、また住む町としての魅力に結びついていないことにある」
    「求められているのは魅力的な職場であり、家庭を築くにふさわしい町である。それに優れた景観や歴史がどのように役立つかを京都はもっと真剣に考えても良いのではないか」

    なんとかまとめて書いた後、朝日新聞の読書欄に有賀さんの『京都』の書評が掲載されていました。有賀さんと同じ、経済学の先生が書いています。朝日新聞の本に関するウエブサイト「好書良日」で読めるようです。こちらから

    余談ではありますが

    京都市内のある書店で『京都 未完の産業都市のゆくえ』が入口のところに山積みされて販売されていました。もちろん学術書ではないですが、「新潮選書」というやや硬めの本にしては異例?、破格?の扱いかと。上記書評に「ラディカルな処方箋(せん)を提示」とあるように、京都の将来を考える人たちにとっては貴重な指摘が満載だとは思いますが、「ラディカル」なだけに一般的な関心を持たれるのかどうか、そこも注目ではあります。

  • 2024.01.17

    京都は産業都市か ⑤

    京料理と和食が同じようにとらえられるようになったきっかけとして、『京都 未完の産業都市のゆくえ』で筆者の有賀健さんは観光をキーワードとしてあげていました。観光客を呼び込む魅力の一つとして日本ならでは、京都ならではの食事が強調されるようになった、ということですね。

    近年の観光を語る、考える際に必ずといっていいほど言及されるのがインバウンドとかオーバーツーリズムという言葉、現象でしょう。いつからかニュースで普通に使われるようになってきました。ただ、オーバーツーリズムを「観光公害」とか訳してしまうのが適切かどうか。

    政府・観光庁の資料によると、オーバーツーリズムは2016年、米国の旅行業界向けのメディアで初めて生み出された言葉だということで、「観光白書」(平成30年版)では
    「特定の観光地において、訪問客の著しい増加等が、市民生活や自然環境、景観等に対する負の影響を受忍できない程度にもたらしたり、旅行者にとっても満足度を大幅に低下させたりするような観光の状況は、最近では「オーバーツーリズム(overtourism)」と呼ばれるようになっている。」

    とされています。

    また、2023年10月に開催された「観光立国推進閣僚会議」に出された国土交通省の資料「観光の現状について」では、オーバーツーリズムと明示してはいないものの「地域で発生している課題の事例」として京都市もとりあげられています。

    <混雑>
    「主要観光地へ向かうバスが増便されているものの、これを上回る乗客によりバスターミナルや車内が混雑。また、大型手荷物の持ち込みにより、円滑な運行に支障」
    <マナー違反>
    「芸舞妓を無断で写真撮影したり、車道まで広がっての歩行、私有地への無断立ち入り等の事例も発生」
    と例示されています。

    (京都市以外では北海道美瑛町、鎌倉市があげられています)


    上記、国土交通省の資料「観光の現状について」より

    『京都 未完の産業都市のゆくえ』ではこんなデータがしめされています。
    「JR京都駅以北では、南北の交通で渋滞が常態化し、市中心部では旅行速度が時速20キロメートル未満となっている区間が多数存在し、市全体での平均速度は時速22・7キロメートルと政令指定都市の中で最も遅い」

    なるほど、これではバスも思うように走れません。もちろん観光が渋滞の要因のすべてではなく、京都の市街地はそもそも道路が狭いうえにバス頼みという構造的な問題はあるのですが、オーバーツーリズムといっていいのでしょう。

    京都市は2022年の観光客動向についてウエブサイトで公表しています(観光客とは、観光目的だけでなく、ビジネス、買物、イベント、観劇、スポーツ、友人・知人訪問等の目的で入洛した人を指すとのこと)

    2022年の観光客数は4361万人、前年の2102万人から大きく伸び、コロナ前2019年の5352万人に戻りつつあるとのこと。2022年度の日本人宿泊者数が911万4千人、外国人宿泊者数が57万6千人というのは正直どうなのでしょう、観光客数の割には少ないような。ちなみに修学旅行生数は74万3千人で外国人宿泊者数より多い!

  • 2024.01.16

    京都は産業都市か ④

    『京都 未完の産業都市のゆくえ』の発刊にあたっての筆者・有賀徹さんと井上章一さん(国際日本文化研究センター所長)との対談で井上さんは京料理のことについてもふれていました。

    「和食」は「日本人の伝統的な食文化」として2013年にユネスコ無形文化遺産に登録されています。所管の農林水産省のウエブサイトをみると

    「海外における日本食レストンランの増加や訪日外国人観光客からの郷土料理を食べることへの期待などに見られるように、ユネスコ無形文化遺産登録後、和食には世界から高い注目が寄せられています」

    と誇らしげです。「伝統的な食文化」という印象から京都と深いつながりがありそうと考えてしまいがちですよね。

    ところが有賀さん
    「京都のレストラン、特に和食については、観光に関わりなく、常にゆるぎない地位を持つものであったと思われる方も多いだろうが、実はそうではない。京都の食が今日の隆盛を迎えたのは実は比較的最近、少なくとも高度成長期以降であると考えられる」
    として、いくつかのデータを示します。そして

    「要するに京都の飲食店の突出ぶりは、比較的近年、恐らくは1980年代以降に起こった現象であり、そのタイミングは「そうだ 京都、行こう。」などのキャンペーンの成功や、近年の外国人観光客の顕著な増加に後押しされたものであることを示唆している」

    「京料理が和食の中で群を抜くものであるという一般的な認識は比較的最近のことであり、少なくとも高度成長期の頃までは、大阪がその位置にあったことは、関西では一般的な認識であった」

    「郷土料理としての京料理の一番の特徴は、豊富な蔬菜と塩干物を利用した「いもぼう」のような「炊き合わせ」に代表される、質素な家庭料理にある。それらは確かに誇るべき和食の重要な一部ではあるが、今日の京料理の飛躍の主役ではない」

    あれあれ、ですね。

    時代小説・歴史小説で人気の澤田瞳子さんが週刊新潮に連載しているエッセイ「歴史のしっぽ 古都の歩き方」の第8回(2023年12月14日号)は「「京料理」の誕生」のタイトル。本文では

    「ところで今日、京都関連の書籍を繙(ひもと)くと、「京料理」という言葉が頻繁に目につく。ただこの語が一般に広まったのは、有賀健氏の『京都』(新潮選書)によればごく近年のこと」

    しっかりと参照されています。そして

    「ならば戦前はと史料を繰ると、京都の料理は東京風の料理、つまり「東京料理」と対比して、「西京料理」と称されることが多い。そしてその内容はやはり川魚類が主流だったらしく、たとえば大正十二年刊行のレシピ本『割烹秘典』には、西京料理の例として鮎と瓜の膾(なます)や鰉(ひがい)という川魚のつけ焼きなどが載っている」

    鰉(ひがい)という名前は初めて聞きました。検索してみると、もともとは琵琶湖特産の魚で、今もメニューとして提供する料理屋さんがあるようです。それにしても『割烹秘典』、秘典です。すごいタイトルですよね。

  • 2024.01.15

    「方正利大」

    1年生の生徒さんからうれしい年賀状をいただきました。「方正利大」という四字熟語が書かれています。創作してくれたのでしょう。何が驚いたかって私の名前「正利」が組み込まれていることです。聞くと、他の先生方にも同じように名前を織り込んだ四字熟語を書いた便りを贈っているそうです。

    まだ1年生、文芸部に所属しているとのこと、なるほど。
    「方正利大」の下には「心が美しく 真っ直ぐなさま」と書いてあります。このような意味合い、とのことなのでしょう。いただいた言葉に恥じないように精進します。

    追記として、このブログも読んでいただいているとありました。さらに嬉しい!

  • 2024.01.12

    京都は産業都市か ③

    京都の現状を知るための要素の一つとして、隣接の滋賀の存在があるということが有賀徹さんの『京都 未完の産業都市のゆくえ』から浮かび上がってきました。さてその滋賀について関西のベッドタウン的な紹介もしましたが、実は全く別の「顔」も持っていることを改めて知りました。『京都 未完の産業都市のゆくえ』から引きます。

    「京都の新興企業の成長はむしろ滋賀の急速な製造業の成長に貢献することになった。ちなみに、現在でも滋賀県は県内総生産に占める製造業比率が43・6%と全国1位である」

    確かに言われてみると東海道新幹線で滋賀県内を通ったり、名神高速道路を走ったりすると、大きな工場が目に入ります。その新幹線、滋賀県内の駅は県のかなり東寄りの米原だけということもあって、一時、県中心部の栗東あたりに新駅をという構想がかなり具体化しました。このような製造業関連で新幹線駅への期待があったのだろうと今になって想像します。

    「新興企業が多く生まれる一方、成長するにつれて市外に発展の途を求めるような町を、ゆりかご都市(Nursery City)と呼ぶが、京都はその特徴を持つ」
    と説明されています。

    京都には京都発祥の新興企業がたくさんあるのですが、実はその多くが京都の中心部に本社や工場を持っておらず、中心部から少し離れた南部、西部に会社工場があります。有賀さんはこの地域を「南西回廊」と名付けます。南西回廊は鉄道や高速道路網で大阪や滋賀とスムーズに結びついています。新しい工場をつくろうと考えると、ネットワークが作りやすい滋賀も候補地としてあがるわけです。「ゆりかご」、つまり始まりは京都でも、成長すると外に出て行ってしまう、ここでも京都は「逃げられている」わけです。

    有賀さんの本には出てきませんが、大学事情もそうかもしれません。京都市内の大学が新しいキャンパスを滋賀県内に広げています。もちろん広範囲から学生に来てもらおうという戦略はあるのでしょうが、京都市内には校舎や研究施設を広げる用地がないという事情もあるでしょう。交通の便がいいので移動にさほど時間がかからないという交通網の強みも後押ししていることは間違いありません。

    「京都の職業分布」という興味深いデータが示されています。日本の就業人口のうちの240の小分類職種を用いて、京都で平均より多い職種があげられています。

    「大学教員(4.07%)、バーデンダー(3.86%)、物品一時預かり人(3.57%)、人文・社会科学系研究者(3.13%)、紡績・衣服・繊維製品製造(3.07%)、印刷・製本検査従事者(2.87%)、彫刻家・画家、工芸美術家(2.74%)」

    「大学教員」「人文・社会科学系研究者」は大学が多い、学生が多い街を裏付けるでしょうし、「彫刻家・画家、工芸美術家」も大学との関連、さらに多くの寺社、文化財があることによるのでしょう。「物品一時預かり人」は「えっ」という感じですが、あくまでも比率でのこと、それにしても観光関連でしょう。紡績・衣服・繊維製品製造は「西陣」「友禅」の伝統を引き継ぐものと理解され、その仕事につく人が多い、にもかわらず、それが「ゆりかご都市」と結びつかないのです。

    このことは、いわゆる京都の「町衆」と密接にかかわります。「町衆」とは

    「京都の近代の歩みの中心であるいわゆる京の町衆の重要性についてである。町衆とは平たく言えば、中小の自営業者とその家族である。町衆は、祇園祭はいうまでもなく、中世末期から江戸期以降は京都の町の自治組織の中心であり、少なくとも近世以降の京都の歴史と伝統の体現者でもある」

    京都の歴史を語るうえで絶対に欠かせない視点なのですが、その説明は容易ではありません。有賀さんの著作の副題「未完の産業都市」、つまり京都が産業都市になりきれなかったことを考えるうえで町衆の理解は欠かせないことが力説されている、というあたりにとどめておきます。

  • 2024.01.11

    京都は産業都市か ②

    『京都 未完の産業都市のゆくえ』(有賀徹、新潮選書、2023年)をとりあげて、どうしてこの本なのかを「京都は産業都市か ①」(1月9日付)で長々と書いてしまいました。内容に入っていきます。この本は「京都の近代を考える」ということなので、たくさんの切り口が想定されます。有賀さん自身が「本書の内容が多岐にわたる」と書くように、各章のタイトルが「京都の経済地理」「京都の町と社会」「京都の町の変容と人口移動」「ゆりかご都市京都」「住む町京都」「観る町京都」とそれぞれで1冊の本が書けそうです。

    と言いながら、突然、話題が飛びます。

    本校所在の埼玉県の広報紙「彩の国だより」は毎月新聞各紙朝刊にはさみ込んで届けられるのですが、12月号をみて驚きました。映画『翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて』が劇場公開にあわせて大々的に取り上げられていたからです。

    「空前の“埼玉ブーム”を巻き起こした大ヒット映画『翔んで埼玉』の続編がついに公開。これを機に、埼玉愛をさらに高めて、埼玉を熱く盛り上げていきましょう」
    こんな呼びかけ文章が載っていて、自治体の広報紙としては結構「とんでいる」ようでちょっと笑ってしまいました。

    じつはこの映画(続編)で一番気になっていたのは、今回は埼玉だけでなく滋賀、和歌山も舞台になっているということでした。東京に比べての埼玉というのが大前提になっていた前作でしたが、関西に目を向けると大阪、神戸、京都といった都会と比べての滋賀や和歌山といった位置づけが重なってくるということなのでしょう。

    そう滋賀県です

    映画のサブタイトルにもあるように滋賀県と聞くと、日本一大きな湖、琵琶湖を思い浮かべる人が多いでしょう。有名観光地はどこかとなると一つに絞るのはなかなか難しいかもしれません、比叡山延暦寺があるのですが、多くの人が京都と思っているでしょう(所在地は滋賀県です)。便利さでは首都圏の鉄道を凌駕するといったもいい関西圏の鉄道網のおかげて滋賀県は大阪や京都の通勤圏になっています。このあたりは埼玉と重なってきます。

    映画の話題からそんなことを考えていた時に、有賀さんの著作で滋賀が出てきました。

    「京都市の人口140万程度に対し、大学生・大学院生は約15万人と10%強を占める。また、毎年約2万5000人の学生が京都の大学に入学することから、凡そ毎年2万人程度の府外出身者が京都の大学に入学すると推定される」

    ところが

    「そのうち府内で職を見つけるものはせいぜい10%程度であり、京都は最も重要な社会移動の契機において、明らかに見劣りする選択肢と考えられている」

    つまり「学生の街」でありながら、その学生が卒業すると京都に残らないというわけです。加えて

    「20代後半から30代にかけての年齢層でも京都は流出が流入を上回る」
    「要するに、京都は高校・大学の年齢層で大幅な人口流入を経験するものの、卒業時にはその大半を東京と大阪に失い、更に20代後半から40代前半の階層を滋賀や大阪に移住するパターンで失っていることがわかる」
    「京都市の人口動態は、京都が新たな職や結婚後の住まいを探す世代には概して不評であることを明確に示すものであり、それはとりもなおさず、京都という町が、大学都市を超えて、移住を促す要因に欠けることを示すともいえよう」

    京都は若い人が住む街でなく(住みにくい街で)、若い人たちは滋賀県などに「住まい」を見つけていく、という分析です。

    ただここで注意したいのは、東京に職場があるが都内には住まない、あるいは地価や家賃などを考えると都内には住めない、なので埼玉や千葉で住まいを見つけるというのが首都圏住宅事情だとすると、それと比べた場合、有賀さんが書くところの「京都が新たな職や結婚後の住まいを探す世代には概して不評」というのはかなり深刻な問題だとも言えそうです。

    2023年12月23日の毎日新聞朝刊に「地域別将来推計人口」についての記事が掲載されていました。都道府県別に2050年に人口がどう増減していくかを国立社会保障・人口問題研究所が推計したのですが、それによると

    「(京都市の)人口減少数は3年連続で全国1位だ。背景の一つが、古都の景観を守るための高層マンションの建築規制だ。地価が高騰し、子育て世代が隣接する大津市などに流出。京都は大学の街としても知られるが、学生の大半は卒業とともに市外に引っ越してしまう。50年には現在より20万人以上減少し、124万人に落ち込む見通しだ」

    公的機関のデータでも有賀さんの分析は裏付けられているわけです。というか、この本がきちんとしたデータをもとに書かれていることの証拠と言ってもいいでしょう。

    映画『翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて』の公式サイトはこちら

    「国立社会保障・人口問題研究所」が発表した『日本の地域別将来推計人口(令和5(2023)年推計)』はこちら

    この推計によると2050年には2020年比で全国で17%人口が減少、人口が増える都道府県は東京都のみで2.5%増。埼玉県は734.5万人(2020年)が663.4万人に9.7%減少すると推計されています。

  • 2024.01.10

    ジャズ、そして「舟唄」ーー追悼・八代亜紀さん

    歌手の八代亜紀さんの訃報が10日の新聞各紙で伝えられていました(亡くなったのは昨年12月30日)。毎日新聞には「「舟唄」「雨の慕情」などで知られる演歌歌手」とあり、朝日新聞でも「「演歌の女王」と呼ばれた」とあるように、まず「演歌」と結びつけられるのはこれは当然です。音楽ジャンルでは好き嫌いなく聴いてきたつもりですが、私が所有している八代亜紀さんのアルバム(CD)は「八代亜紀と素敵な紳士の音楽会 LIVE IN QUEST」。

    通販サイトの商品説明によると
    「本作は1997年に原宿のクエストホールで行われたワンナイト・コンサートのライブ盤(’98年1月発売)の再発盤。日本の至宝ともいえる豪華なメンバーをバックに、クラブ・シンガー出身の八代亜紀がジャズのスタンダード・ナンバーを歌います」

    そう、朝日新聞の記事には
    「活躍の場は演歌にとどまらず、ジャズアルバムを出したり、ジャス歌手として米ニューヨークで公演を開いたりした」
    とあります(毎日新聞ではジャスもレパートリーとしたことにはふれていませんでした)。そんなジャズアルバムの1枚です。

    そういう私自身も八代亜紀さんの経歴をきちんと知っていたわけではなく、「(あの)演歌の八代亜紀がジャズ?」程度の興味でこのCDを購入したようにも記憶しています。「日本の至宝ともいえる豪華なメンバー」とあるように北村英治 (Clarinet)、世良譲(Piano)、ジョージ川口(Drums)、水橋孝(Bass)とクレジットされていて、たいしてジャズに詳しくない私でも知っている方々です。

    演奏されている曲をみると、昨年11月の本校の芸術鑑賞会でも聴いた「SING SING SING」はじめスタンダート曲が揃い、そうそう「舟唄」も「雨の慕情」も披露しています。もちろんアレンジは大きく異なるわけですけどね。

    八代さんとジャズとは全く異なるところで八代亜紀さんの歌の一番の思い出は、実は日本映画の一コマ。もう完全に昭和生まれ老人の繰り言です。

    1981年に劇場公開された「駅 STATION」。高倉健演じる警察官が年末の帰省途中、大雪のため船が欠航した港で居酒屋に入ります。他にお客はなく、倍賞千恵子演じる店主がテレビを見ながら「この唄好きなの、わたし」とつぶやく。それが八代亜紀さんの「舟唄」。

    ウエブのフリー百科事典「ウィキペディア」で「駅 STATION」を検索したら「概要」としてこうありました。
    北海道・増毛町、雄冬岬、札幌市などを舞台に、様々な人間模様を描き出した名作である。劇中に八代亜紀の代表曲「舟唄」が印象的に使用されていることでも知られている。

    みんな思うことは一緒ですね。

    京都関連の本について書き始めたところでしたが、思わぬ訃報にふれて、ちょっと割り込みました。