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BLOG校長ブログ

2023年の記事

  • 2023.06.04

    きれいになりましたーー清掃デーご苦労様

    6月4日(日)は本校が所在する入間市の清掃デーです。市民のみなさんが地域でごみ拾いをしたり草刈りしたりします。本校も毎年参加しており、前日の3日とこの日、生徒会役員やクラブ部員らが学校内外の清掃をしました。

    校外では地域の方々と一緒に作業もして、生徒たちには貴重な経験になったと思います。ご苦労さま。

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    入間市清掃デーへの生徒の参加は「新着ニュース」でもお伝えしています。こちらから

  • 2023.06.03

    締めは「エンタメ翻訳」ー英検週間にちなんで その5

    英検週間もいよいよきょう3日(土)が受検日で1週間が終わります。自身が目標とする「級」を定めてそこに向かって努力するということが大事なわけで、より広くとらえると、何か一つの目標に向かって取り組み、そして「やりきる」ことをぜひ経験してほしい、そんなことを生徒に伝えてください、と先生方にお願いしてきました。

    さて本番、みんなの結果はどうでしょうか。検定は「相対評価」でなく「絶対評価」です。誰か別の人がいい成績をとったので自分が相対的に成績が悪かった、ということはないわけで、私たちの願いは「全員合格」です

    「英検週間にちなんで」も今回で一区切りとします。延々と失礼しました。英語字幕(5/30)とか言語学(6/1)とか通訳(6/2)とか少し「変化球」だったかもしれませんが最後は「翻訳」、といっても「文学」には手が出ないので、「ミステリ、エンタメ」で。

    「日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年」(田口俊樹、本の雑誌社、2021年)

    筆者の田口さんは大学卒業後、高校の英語の先生をしていて、友人の海外ミステリで定評のある出版社の編集者からの声かけで翻訳をするようになったそうです。この本では、40年間に自分が翻訳して印象に残っている作品20編ほどを改めて読み直して、なんでこんな訳にしたんだろうなど、タイトルにあるように「ざんげ」の翻訳生活を振り返る仕立てになっています。

    この著作で取り上げられている作品をはじめ、田口さんが手がけた翻訳本を何冊か書棚から探し出しました。海外ミステリ、冒険小説、スパイ小説では人気のある作家の作品ばかりで、「ざんげ」の翻訳だったら出版社、編集者が依頼しないでしょうし、40年間も続けられるはずはないでしょう。

    取り上げたミステリ作品を読んでいないとピンとこないところもありますが(私も読んでいたのはそんなにありませんでした)、英語の原文をどう理解して、どういう日本語にしたらいいのか、翻訳家の苦労が垣間見られるところがいくつもあります。

    「神は銃弾」(ボストン・テラン、文春文庫、2001年)

    主人公が何度が口にする決めセリフ「You’re crossing over.」、「crossing over」は文字通りなら「越える」ですが、作中では、対決した相手に向かって「おもえはもう死んだも同然だ」みたいな意味で使われる。「越えるという意味を生かすなら、おまえは三途の川を越えている、もありうるが、アメリカ人だし、しっくりこない」などさんざん悩んだ末に、思いついたのは「おまえはもう終わってるんだよ」。物騒な例で申し訳ないのですが、作品がそもそもハードボイルドなので。

    そのハードボイルドといえば切ってもきれないのが「銃」とか「警察」。
    ショットガンの弾丸は「口径」とは言わず「番径」というのに、読み返すと「口径」ばかりとか(えっ、そうなんですか、そのくらいいいんじゃないですかと思ってしまいますが)。
    もう一例、「downtown」。一般的には繁華街、下町といった意味ですよね、ところが「警察」の意味もあるのだそう。刑事が容疑者に「ダウンタウンに行こうぜ」というのは「繁華街に遊びに行こう」ではなく、おおよそ「署までいこう(同行しろ)」との意味で、田口さんは知らずに翻訳の先輩にたしなめられたそうです。かなり限定的な意味、スラングなのでしょうが、ミステリー、ハードボイルドの作品ならではの注意が必要ということなのでしょうね。

    上記のように田口さんの翻訳作品をひっぱりだしてきたのですが、著書でも紹介されている「刑事の誇り」(マイクル・Z・リューイン、ハヤカワ・ミステリ、1987年)、主人公の刑事、リーロイ・バウダー警部補のシリーズ「男たちの絆」(1988年)、本の痛みぐあいをみると、読んだのか自信がありません。でも2冊あるので、おもしろかったからシリーズで読んだのか。

    余談ですが、推理小説とか時代小説とかは読んでいてのリズムが大事、手をとめたくないし、そもそも知識を求めて読んでいるわけではないので、気になったところのページを折ったり、ましてや付箋を貼ることはまずないです。みなさんそうですよね。
    なので、あとからふりかえってその本をどう読んだかは、本が綺麗かどうか(ページが折ってあるかないかなど)が判断の一つの目安となります。読み終わった年月日を書き込むようにはしているのですが、やはり時々忘れているので。

    イギリスのスパイ小説といえばジョン・ル・カレで「パナマの仕立屋」は1988年発行、これもどうも本が綺麗だ……ジョン・ル・カレの名前にひかれて購入したがそのままだった気配濃厚。

    同じイギリスで冒険小説家といえばジャック・ヒギンズ、一時、ヒギンズはかなり夢中になって読んだので、この「地獄の季節」も読んでいると思うのですが、冒険小説は読んでスカッとすれば自分的には満足なので、ストーリーとかはあまり覚えていません。大丈夫か、本当に読んだのか……

    そして「神は銃弾」、これは「積ん読」間違いなし。言い切ってもしょうがないのですが。田口さんの訳者あとがきによると「正直なところ、本書ほど訳出に難渋した作品もない。原文がエンターテインメントとはおよそ思えないほど難解なのである」と告白しています。だからといって翻訳していただいた日本語作品を読まなかった言い訳にはならないのですが。

    なんか、紹介しながら読んでない本ばかりで恐縮ではありますが、こと、これらエンターテインメント作品、海外翻訳作品はとにかくあっという間に市場から消えていきます。いまは結構ネットで探すことができますが、この手の作品を夢中になって読んでいたころは、気になったら買っておく習慣だったと、またまた言い訳しておきます。

  • 2023.06.02

    「同時通訳」のすごさ、怖さ―英検週間にちなんで その4

    先日の広島G7サミットやウクライナ・ゼレンスキー大統領来日のニュースを見ていても、英語に限らずいろいろな言語の同時通訳が、あたり前のように行われていますよね。英検週間を機会に、英語、外国語にさらに興味を持ってもらうためにいい本を紹介できないかあれこれ考えていたら、そう、同時通訳という仕事があった、と。

    私の世代で同時通訳となるとアメリカの宇宙船アポロ11号の月着陸で知られるようになった西山千さんがすぐに思い浮かびます。西山さんの著作かあるいはほかの同時通訳の方か、何か読んだ記憶はあるのですが書棚から探しきれず、通販サイトで検索して購入してしまいました。本屋さん大事、と言っているので忸怩たる思いではあります(5月13日の当ブログ)

    「同時通訳おもしろ話」(西山千・松本道弘、講談社+α新書、2004年)

    西山千さんに、西山さんのお弟子さんでやはり同時通訳者としても活躍した松本道弘さんがインタビューする形でまとめられています。

    アポロ11号は1969年7月20日、月面に着陸、ニール・アームストロング船長が人類として初めて月面に降り立ったのですが、月までの飛行中、アポロ宇宙船と地球(NASA=米航空宇宙局)との交信内容などがテレビニュースで刻々伝えられ、それを同時通訳したのが西山さんでした。月着陸に成功し、アームストロング船長が着陸船から降りて月面に降り立った直後に発せられとされているのが以下の言葉です。

    That’s one small step for a man, one giant leap for mankind.

    同書で西山さんは「彼(アームストロング)が That’s one small step for man.といっちゃった。不定冠詞の「a」をいわなかった。だから私が「人類にとって小さい一歩です」と通訳しちゃったんです」

    聞き役である松本道弘さんが、アームストロングが「a」を言わなかったのか、音声が聴き取れなかったのかと尋ねたのに対し西山さんは「生放送で、 for manのあと何といったのか聞こえなかった。その後、アームストロングが One step for man. one giant leap for mankindと言っていたと(アメリカの)ヒューストンから伝わってきた。やはり不定冠詞ははいっていなかった」と答えています。
    当時はmanと言えば人類を指した。いまはhumankindとか言うとのことで、その後のニュースでは「一人の男には小さな一歩、人類にとっては巨大な飛躍です」と通訳したとのこと。ただ、最初のテープも残っていて……と。

    このほか、英語に訳しにくい日本語として例えば「すみません」、逆に英語を訳す時に日本語の助詞「が」と「は」を使い分ける必要があるのでは、などといった豊富な経験に裏打ちされた翻訳の世界のおもしろさ、難しさが語られます。

    西山さんはアメリカで生まれ育ち大学では電気工学を専攻、日本国籍となり第二次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)、アメリカ大使館などで通訳として働き、のち同時通訳者として活躍します。

    そんな西山さんは同時通訳について、バイリンガルだけではだめ、バイカルチャーでないとできない、と言い切ります。もちろん同時通訳者には高い能力が求められるでしょうが、外国語を使いこなす、外国人とコミュニケーションをとる、というレベルに限っても、バイリンガルでなくバイカルチャー、という考え方は大変示唆に富んでいます。

    単純に単語を別の言葉の単語に置き換えるだけ、文法を理解して文として組み立てるというだけでなく、言語は文化そのものなのだから、言葉の土台でもある文化を理解したうえで単語や文を紡いていく、二つの言語をつないでいく、ということなのでしょう。

    まったくその通りだとは思いますが、正直、ハードルは高いですよね。もちろん、私たちみなが通訳になるわけではありませんが、これからもいやおうなしに、違う言葉を持つ人たちと接する機会は増えていくでしょう。ひとつひとつの言語の向こうにはその言語を使う人たちの文化があるということを知り、自分たちと違う言語を使う人たちに敬意を表し、その文化を尊重するという姿勢は忘れずにいたいですね。

    NASAの公式ホームページで確認してみました

    アポロ11号による月着陸についてのページ、タイトルは

    50 Years Ago: One Small Step, One Giant Leap
    men_land_on_the_moon

    ふむふむ、複数ですね。ちゃんとアームストロングの言葉を引いています。
    そして

    Armstrong announced, “I’m going to step off the LM now.” And at 9:56 PM Houston time he did just that, firmly planting his left foot onto the lunar surface, proclaiming, “That’s one small step for a man, one giant leap for mankind.”

    「 for a man」として歴史に残すということなのでしょう。(左足で月面を踏んだんですね)

    言われてみればという記述もありました。

    It should be noted that for everyone on Earth, the first Moon landing was purely an audio experience.

    人類として初めてアームストロング船長が月に降りるのだから、その瞬間の映像が生中継で視られるはずがない。(撮影者が月面で待ち構えていなくれはなりませんものね)。アームストロングの「声」で地球の人々は人類が月に降り立ったことを知ったわけです。
    以下、こんな説明もあります。

    A 16-mm silent film camera mounted in the right hand (Aldrin’s) window recorded the event, but was not available for viewing until it was returned to Earth and developed.

    はい、アナログ時代ですからね。

    NASAの公式ホームページはこちらから

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    このNASAのホームページですが、実に見ごたえがあります。アポロに代表されるアメリカの宇宙計画については、当時のソ連との競争という国策ではあったのですが、とんでもない費用がかかることにアメリカ国民の反対も多かった。それだけに米政府、NASAはその意義、成果を広く知ってもらい、理解してもらうために広報に力を注いできたという歴史があります。
    日本の宇宙開発に携わる人や取材をした人たちからNASAの広報力についてよく聞きました。ホームページを見ると痛感します。子ども向けのページだってこどもの年齢成長にあわせて、何パターンもつくっているのですから。

    同時通訳と逐次通訳

    同時通訳は話しを聴きながらほぼ同時に通訳する形ですね。話し手は待ってくれない。アポロ宇宙船の例でいえば、宇宙船の乗組員と地球上NASAの管制官が英語でやりとりしている、それを聴いて日本語にしていくわけですが、当然ながら乗組員・管制官は通訳し終わるのを待っているわけではなく、次々と交信を重ねていきます。

    逐次通訳というのは、話し手が一定の長さのところで、あるいは話の区切りのいいところで話を止め、通訳者が訳して話す。それが終わったら話し手が次の話を始める、という流れになります。もちろんこれでさしさわりはないわけですが、話し手と通訳者が同じ場所にいる必要がある(話し手が通訳者の訳・説明を聴いてなくてはらならない)などの制約もあり、また、テレビ放送などでこの形をとると、この場面の時間が何倍かになってしまうわけですね。(製作者側からみると避けたいですよね)

    この逐次通訳の経験談です

    2007年、前職でロシアの方たちに、新聞社がインターネットの普及にどうたちむかったいくのかという話をする機会がありました。日本語ですよ、はい。事前に先方についていた通訳の方に「原稿ください」と頼まれました。こちらは初めてのことなので「はっ?」。「こちらが話したことを都度、ロシア語に訳して話してくれるのではないの」と。

    通訳の人が必ずしもインターネットに詳しいわけではなないでしょうし(確かめたわけではありませんが)、ましてや日本の新聞事情なんてご存じないでしょう。また、この手の話はいろいろなデータ数字が入ってくることは予想されるので、通訳からみれば先に原稿をもらって準備をしておく、というのは当たり前の作業ではありますよね。だた、そうなると、本番でこちらが原稿にないことをどんどんしゃべったら迷惑だろうな、なんて考えてもしまいますよね。

  • 2023.06.02

    雨に濡れるビワの実

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    二つの職員室がある棟にはさまれた中庭のビワの木が実をつけ始めています。雨に濡れていますが、それもまた風情があるかと。

    これまでも美味しくいただいてきたとのことですが、どのくらいの大きさで収穫? するのがいいのでしょうか、写真は早めに撮っておきました。

    緑豊かな本校のキャンパス内の樹木については学校ホームページで紹介しています。こちらをどうぞ

  • 2023.06.01

    奥深き「言語」の世界へーー英検週間にちなんで その3

    英検週間、英語学習のその先ということで、いっきに言語学にとんでしまうのもどうかとは思います。紹介する本の筆者も「語学」と「言語学」は異なるものと書いていますし。とはいえ、人と人をつなぐものとしての「言葉」についてはいつも考えていたい。言語学のさわり程度しか読んではいませんが、いずれも考えされられる本です。

    「にぎやかな外国語の世界」(黒田龍之助、白水社、2009年)

    黒田さんは大学の外国語学部を卒業、大学でロシア語を教えながら英語の先生もやり、「いろいろなことばを勉強してきた」。フランス語はラジオ講座を聴き、イタリア語はイタリア人の先生のもとに通ってレッスンを受けた。チェコ語、ポーランド語、スロヴェニア語やリトアニア語は現地に出かけて講習会に参加。ウクライナ語やベラルーシ語などは自分でせっせと勉強した、とふりかえっています。すごい!

    こんなキャリアを知ってしまうと、英語だけでも四苦八苦している身にとって、えらく敷居の高い本のように思えてしまいますが、大丈夫です。「ずっと外国語が好き」という黒田さんが「かたち」「ひびき」「かず」「なまえ」などテーマごとに、言葉による違いをあげながら、「外国語を知ることは、世界の多様性を知ること、一つの外国語を熱心に勉強しなければならないこともあるけれど、いろんな世界を少しずつ覗くことだって、視野を広げるためにはとても大切です」と呼びかけています。

    一方で黒田さんは、世界中で言語の数がどんどん減っていることに危機感を持ちます。「動植物の世界と同じように、言語の世界も多様なのです。それを理解するためには、なるべく多くの種類があったほうがいい」と言い、言語が消えていくのを食い止めるのは難しいが、せめて記録だけは残しておきたい、多くの言語学者がこんなふうに考えている、と書いています。

    「フィールド言語学者、巣ごもる。」(吉岡乾、創元社、2021年)

    そんな言語学者のおひとりとも言えそうなのが、大阪にある国立民族学博物館准教授の吉岡乾(よしおか・のぼる)さんでしょうか。ご本人に確認しないで決めつけてしまうのも失礼かとも思いますが。

    吉岡さんは外国語大学卒、大学院修了の博士で前著「現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。」(創元社、2019年)発刊時の朝日新聞の筆者インタビューや著作の筆者紹介によると、調査対象はインド・パキスタン国境の山奥で話される七つの少数言語。専門とするブルシャスキー語は研究者が世界で5人いるかいないかのマイナー言語。研究する言語のうち六つは文字を持たない。現地に赴き、母語話者から単語や文例などを収集するところから研究が始まる。現地の人たちとのやりとりが綴られています。(この著作も読んでいるのですが、書棚から見つけ出すことができませんでした。整理します)

    そのフィールド言語学者がコロナ禍で現地調査ができなくなり、家や研究室で「巣ごもり」せざるを得なくなった。「高尚さのかけらもなしに、言語学目線でそぞろに思った日々のアレコレを詰め込んだ一冊」(「まえがき」より)なので、言語学者の実際の仕事を知るには前著(「かく語りき」)がいいと思いますが、あらためて「巣ごもる。」の付箋を見かえしていて、新しい知見がありました。

    「日本で話されている言葉はいくつ思い浮かびますか」という問い、世界の言語に関して総括的な情報を持っているデータベースによると、琉球・奄美の言語を日本語とは別の言語として11個に分けているそうです。「知らなかった……」。これらは琉球諸語とくくられるようですが、さらにマイナーな国内言語として「小笠原語」が紹介されています。「知らなかった……」

    「そういうのって方言ではないの」という疑問の声があがりそうですよね。方言と言語の区別、言語の種類数え方が簡単ではないことは、この「巣ごもり。」でも黒田さんの著作でも触れられています。

    上記、吉岡さんのインタビュー記事。朝日新聞書評のデジタル版。こちらから

    吉岡さんのお勤め先の「国立民族学博物館」の公式ホームページはこちら

    大阪・関西方面に出かけるとつい、立ち寄ってしまいます。その膨大な展示資料は簡単に見て回れるものではなく、訪れるたびに新しい発見があります。エントランスだったでしょうか、所属の研究者たちの簡単なプロフィール、研究内容を紹介するパネルが掲示してあって、その幅広い研究分野、多彩さに驚かされます。吉岡さんの紹介もあったとは思うのですが。ホームページにももちろん研究者紹介はあります。「みんぱく」と呼ばれることが多い。刊行物は「月刊みんぱく」
    ちなみに、千葉県佐倉市にあるのは「国立歴史民俗博物館」、こちらは「歴博」。

    黒田さんの著作は他に「その他の外国語―役に立たない語学のはなし 」(‎ 現代書館、2005年)「物語を忘れた外国語」(新潮社、2018年)など、多数あります。

    言語学からみでもう1冊。2021年に発行の「言語学バーリ・トゥード――Round1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか」(川添愛、東京大学出版会)は結構話題になりました(私の手元にあるのは第6刷なので売れ行きもよかったようです)。

    AIに関する考察は勉強になるのですが紹介するのはなかなか大変。「AIにいくら言葉そのものの意味を教えても、それだけでは意図をきちんと推測するには不十分、曖昧な文から相手の意図を推測するとき、私たちが使うのは常識だったり、その場面や相手の文化に対する知識だったり、それまでの文脈だったりする」ので、AIはまだそこまで及んでいない、ということのようです。

    「大丈夫か、この理解で」と心配になったところで、この本を紹介した朝日新聞デジタルに川添さんのインタビュー記事が載っていることを発見。実にわかりやすく説明してくれています。

    その記事はこちら

    朝日新聞デジタル版、助かります。

  • 2023.05.31

    蔵書は「量」か「質」か

    朝日新聞5月30日朝刊、東京・大阪などで塾を運営する教育アドバイザー、清水章弘さんのコラムを読みました。

    5月10日の朝日新聞に掲載された、ジュンク堂書店、福嶋聡さんのインタビューに目がとまったと書きだします。このインタビュー記事については当ブログでも取り上げたので(5月13日)、同じように書店の大切さに共感してくれる方がいることを大変嬉しく思いました。

    教育ページのコラムということで清水さんは「平成29年度全国学力・学習状況調査」のデータをもとに、家庭の蔵書数が増えると子どもの学力が上がるとしながら、「目を向けるのは蔵書数という量でいいのか」と疑問を投げかけます。

    学力そのものの定義が変化し、複眼的な思考が求められる。その下地になるのは家庭での対話、という福嶋さん。

    書店の役割は「思ってもいなかった新しい本との出会い」とジュンク堂の福嶋さんが語っていることを受け、「書店だけでなく、家にも多様な本を並べ、対話を通して子どもの知的好奇心を刺激する姿勢が一層求められています」とまとめています。

    このブログでは、私自身が読んできた本をあれこれ紹介しています。高校生のみなさんの日々の学習にすぐに役立つ本はあまりないかもしれませんが、本を好きになってほしい、気になる本を手にとり読んでみてほしい、という願いを込めています。

    「量」より「質」、言い切るのはなかなか難しい。ある程度の量、いろいろ読まないと「質」を見極めることはできない、最初から質を求めるのはハードルが高い、などと一応反論はしておきますが、考えなければいけない指摘ではありますね。

    このブログは「家」ではないですが、すこしでも家の本棚代わりになれば。多様な本を並べられるよう、心がけます。

    「平成29年度全国学力・学習状況調査」で、家庭状況と児童生徒の学力等の関係について分析するための調査が行われました。その結果については「国立教育政策研究所」のホームページで公表されています。こちらから
  • 2023.05.30

    「英検週間」にちなんで その2

    英検週間(6月2日まで)真っ最中でもあり、英語・外国語を学ぶこと、外国語との付き合い、そしてその先についての興味深い本をいくつか。

    『字幕屋に「、」はない』(太田直子、イカロス出版)

    『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』(太田直子、岩波書店)

    外国映画で映像の下にでてくる訳、字幕。テレビで放映される映画は声優さんの吹き替え版もあるので、映画館やDVDで観ることが多いですね。

    大学でロシア文学を学びながら映画団体のアルバイトで字幕制作を手伝い、字幕のおもしろさに目覚め、フリーの字幕制作者(ご本人は「字幕屋」と書いていますが)で30年超のキャリアを持つ太田さん。

    『字幕屋に「、」はない』(長いので以下『、はない』とします)、1本の映画の字幕数は平均1000とも2000とも言われるそうで、実際に字幕をつくる際の舞台裏というか苦労話が盛りだくさんに出てきます。

    例えば事前の準備として欠かせないが、スポッティングと呼ばれるセリフの長さを測る作業。というもの字幕には1秒=4文字という字数制限があるからだそうです。字数が多いと目で追いきれないということですね。そこで以下のような具体例があげられます。

    「I’m not lying」を「嘘じゃないわ」と直訳するとピッタリと思いきや、このセリフの長さは1秒以下、つまり3~4文字の字幕にしなくてはいけない。「嘘じゃないわ」は6文字で多すぎます。そこでもうひとひねりしてつくった字幕は「本当よ」

    「You didn’t konw?」「知らなかった?」、訳としてはまったく問題はなさそうですが、やはり長さは1秒以下で6文字は長すぎ。そこで「初耳?」

    うまいですねえ。

    ギャグとは言え、使うのが適切でない言葉をどう訳すか、ひらがながいいのかカタカナがいいのか、外国では日常的ながら日本ではなかなかピンとこない単位を換算する悩ましさ、などなど、日々の苦労苦心が語られていきます。

    ところでタイトルにはいっている「、」(句読点の読点のこと)ですが、「映画の字幕には句読点がない、という事実は意外に知られていないようです」と太田さん。「えっ、そうなの」ですよね、意識したことなかった。

    「われわれ字幕屋にとっては長年染みついた当然の決まり事なのですが、ふつうに映画を観ているお客さんはそこまで意識しないでしょう」と続くので「よかった」。ではどうするか、映画の字幕では句読点の代わりにスペースを用いるとのこと。
    ではなんで句読点がないのか、太田さんがあれこれ考察します。結論は、やめておきます。

    太田さんはこうも言います。

    「字幕屋は英語(外国語)を耳で聴き取って翻訳している、という恐ろしい誤解をしている人がたまにいますが、とんでもありません。ちゃんと文書化された台本がなければ、お手上げです。翻訳を稼業にしながら(英語を)全然しゃべれないことを恥じてはいますが、隠していません」。

    その一方で「コミュニケーションツールとして英語力を高めるのはいいことだと思います。けれどその一方で、日本語の繊細な表現力を失ってほしくない、とも思います」

    『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』(以下『渡世』とします)も「映画の字幕翻訳について、もっと知ってもらいたい」(あとがき)という内容で、字幕作りの工程、作業などがかなり細かく書かれています。

    『渡世』は2013年4月発行、『、はない』は同年9月発行、ほとんど同時期です。『、はない』は2004年から雑誌で連載してきたエッセイをまとめたものとのことなので、そのエッセイを読んでこれは面白いと思った『渡世』発行・岩波の編集者が太田さんに執筆を依頼したに違いない、と勝手に想像してしまいました。

    『、はない』は雑誌連載だったからでしょうか、リラックスした書きっぷりでダジャレなどもあちこちに。対照的に『渡世』は結構硬い書き方で、やっぱり発行元の岩波書店を意識したか。これも勝手な想像ですが。

    ところで、同じような内容の本なのに何で立て続けに購入したのかしら。

    映画翻訳、字幕つくりについては清水俊二さん、戸田奈津子さんという先達がいます。お二人の著書も多数あります。

  • 2023.05.29

    「英検週間」にちなんで

    英検週間が29日、スタートしました。6月3日の英語検定受検日を前に、午後はいつもの授業でなく、検定の準備にあてます。またクラスごとの勉強でなく、受検級ごとの教室にわかれます。

    キックオフというわけではありませんが、お昼休みには校内放送で、いま世界には英語を話す人が15億人くらいるということを紹介して、英語を勉強する意味や一つの目標に向かって全力で準備することが貴重な経験になることなどを話させていただきました。

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    英検週間スタートにあたって生徒たちにどんな話をしようかとあれこれ書棚を探っていて、そこから何冊か。

    そのものすばり「高校生のための英語学習ガイドブック」(佐藤誠司著、岩波ジュニア新書)。手元にある版は2012年発行、通販サイトで検索すると新刊はちょっと手に入りにくそうですが、なぜ英語を勉強するのかというところから始まって、英文法、英作文、リーディング、リスニング、スピーキングと分野ごとの学習方法が具体的に書かれ、また「単語を覚えるためのノウハウ」といった項目もあります。

    「英語達人列伝 あっぱれ、日本人の英語」(斎藤兆史著、中公新書)。
    近代の英語の達人と言われる日本人10人をとりあげ、その生涯を追い、どのように英語を習得したかを紹介しています。現代のように豊富な教材があるわけではなく、当たり前ながら、海外に滞在した経験がある人がほとんどなのですが、英語辞書を編纂し文法書などを残した斎藤秀三郎は一度も海外に出ることがなかったと知って驚きました。
    「しゃべったままが立派な文章になるのは、語学自慢の霞が関でも斎藤博一人」といわれたという外交官の斎藤博、東京外国語大教授、学長を務め優れた辞書を作った岩崎民平など知らなかった人もいて参考になりました。

  • 2023.05.27

    辞典・辞書は何冊持っていますか

    辞典・辞書がでてきたので(17日、18日、24日)、サンキュータツオさんの著作と辞典・辞書の「世界」で少し。

    「学校では教えてくれない!  国語辞典の遊び方」 (角川文庫、2016年)

    「国語辞典を食べ歩く」(2021年)

    サンキュータツオさんについては朝日新聞の読書欄で、書評委員としての「書評」を時々読んでいました。きちんとした内容で、正直お笑いの人というくらいの知識しかなかったので驚きました。そして、相次いでこの2冊を続けて読んで「影響を受け」、さっそく何冊か新しい国語辞典を購入しました。

    国語辞典によって、一つの言葉の説明がどれだけ異なるかを次々と例示します。「食べ歩く」では、特に食や料理に関わる言葉を比べています。そのうえで、辞典にはそれぞれ得意分野がある、特徴がある、ということを繰り返し強調します。若者を中心に使われる「新しい言葉」を積極的に採用する辞典、例文を多く載せることにこだわる辞典、などなどです。よってサンキューさんは、辞書はできるだけ複数持つようにしたい、と呼びかけるわけです。

    新聞社には「校閲記者」というプロ集団がいます。記者の書いた原稿の誤字脱字をチェックするだけでなく、言葉の使い方や意味の取り方に誤りがないかまで目を光らせています。そのデスク周りには何冊もの国語辞典(もちろん各種辞典も)が置かれていて、できるだけ複数の辞典を参照するようにしていました。なるほど、大事な作業をしているわけです。

    「新解さんの謎」(赤瀬川原平、文藝春秋)
    サンキューさんの本でも当然とりあげられていますが、「新明解国語辞典」は「新解」さんと親しみを込めて呼ばれます。赤瀬川さんのこの本がかなり影響しているのではないでしょうか。他の辞典に比べて思い切った解釈、独特の説明が多いとされ、「これでないと」というファンが多いようです。最新は第八版、新版が出るたびに購入している人を知っています。

    前衛芸術家、作家として知られた赤瀬川さんは、街歩きをしながらの路上観察で「どうしてここにあるのか、どのような目的をもっているのかわからない」といった物を「トマソン」と名付けたことでも知られます。赤瀬川さんの「おもしろがる」感性に応える辞典だったのでしょう。
    「尾辻克彦」名で発表された短編「父が消えた」で1981年、芥川賞を受賞しています。

    ちなみに「新明解国語辞典」を発刊しているのは三省堂、この赤瀬川さんの著書の発行は文藝春秋なので、辞書の宣伝といった下心? はありません。(「トマソン」の由来については某プロ野球チームファンに叱られそうなのでここでは触れません)

    「みんなで国語辞典! これも、日本語」(北原保雄・監修、大修館書店、2006年)
    北原さんは「明鏡国語辞典」(大修館書店)の編者です。同辞典の新装発刊を記念して、気になる言葉に自分なりの意味と解説をつけて応募してもらうというキャンペーンを実施。つまり、みんなが辞典編集に関わるという試みで、その中からピックアップしたものが、分野ごとに、一般的な国語辞典と同じように並びます。応募総数11万超、約1300語を収録。すごい。

    「学校のことば」という章があり「異装」「置き弁」「スポ薦」などはかろうじてわかりますが、当方、知らない言葉が続出、でも大丈夫、「若者のことば」の章では「多分、来年は通じません」と書き加えられているので、学校の言葉も消えていき、また新しい言葉が出てくるのでしょう。

    「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」(佐々木健一、文藝春秋)
    「新明解国語辞典」の生みの親が山田忠雄、新解さんと並んでよく知られる「三省堂国語辞典」、こちらは「三国」と親しまれているようですが、その生みの親が見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)、ケンボー先生と呼ばれていた。佐々木さんは「(この二人は)辞書界の二大巨星だった。二人は奇しくも東大の同級生であり、元々はともに力を合わせ一冊の国語辞書を作り上げた。良友であった。だかある時点を境に決別した」。この二人の人生、それぞれの仕事を追ったNHKのドキュメンタリー番組を再構成した内容です。たまたまでしょうが、こちらも発行は文藝春秋。

    「舟を編む」(三浦しをん、光文社)
    辞書つくりの現場を舞台にした小説ですが、三浦さんの他の作品同様、きちんとした現場取材があってのものなので、かなりリアルに現実を反映しているのでしょう。出版社で営業部から辞書編集部に異動になった若手部員が、ベテラン部員の指導影響を受けながら、辞書つくりにのめりこんでいきます。映画、テレビアニメのほうがよく知られているかもしれませんね。
    「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編(あ)んでいく」という意味でこの書名が付いているようです。

    「100年かけてやる仕事 ― 中世ラテン語の辞書を編む」(小倉孝保、プレジデント社、2019年)
    こちらはノンフィクション。 イギリスで100年かけて完成した「中世ラテン語辞書」。話し言葉としてはすでに使われていない言葉の辞書を誰がどういう動機で作ろうとしたのか、当然、儲からないだろうし。そしてその編纂(言葉集め)に携わったのはボランティアの人たち。100年かかったということは、そのボランティアの人たちのほとんどが辞書の完成を見ることがないわけで、それでも続けられたのはなぜなのか。

    毎日新聞社の特派員としての勤務の傍ら関係者へのインタビューを重ねた著作です。新聞社OBとして褒めるわけでなく、読ませます。小倉さんは現在、紙上で毎週金曜日のコラム「金言」を担当しています。

    余談ながら
    サンキュータツオさんの著作を検索していたら「ヘンな論文」(角川学芸出版、2015年)の著者だったことに気づきました。「珍論文コレクター」と自己紹介しています。

    おもしろく読んだ本だったのにサンキュータツオさんの労作だったとは。この時に、サンキュータツオさんの仕事のすごさに気づいてなければいけませんでしたね。反省です。

  • 2023.05.26

    入間市博物館を見学しましたーー26日

    1年生が26日、本校すぐお隣の入間市博物館ALITを見学しました。

    東野SGDs、探求学習の一環として、地域の特色を知り学びのきっかけになればと、1年生がクラスごとに博物館を訪ねました。
    学芸員の方から、地元の特産品であるお茶について詳しい博物館であるとの説明を聴いた後、館内を見学して回りました。

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    1年生は一人1台のタブレット(iPad)を持っており、館内の展示品や説明パネルなどの写真を撮っていました。この後、整理してプレゼン資料などに活用する予定です。

    本校と入間市博物館は連携協定を結んでいます。生徒の見学を快く引き受けていただきました。

    入間市博物館ALITについてはこちらをどうぞ(公式ホームページです)

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