2023.05.25
1年生は高校生として初めての定期考査(中間考査)の2日間を終え、ほっとしているところでしょうが、他学年がまだ試験期間中ということもあって25日は特別時程とし、進路について考える取り組みがありました。
高校での定期考査の一つひとつの積み重ねが大学進学につながっていきます。定期考査前からそのような指導をしてきたことを受け、定期考査が終わったタイミングで、早速、進路について考えてもらうことにしました。
生徒は大講堂に集まり、大手予備校の方を招いての進路講演会がありました。「なぜ大学進学なのか」を考えてもらうために、さまざまなデータが紹介され、また、社会の変化に応じて大学に次々と新しい学部が設置され、学びが多様化していること、また、大学受験にもいろいろな形があることを丁寧に説明していただき、進学、進路選択への意識を高めることができました。
また、各教室では職業選択やライフプラン設計などをゲーム形式で学ぶ取り組みもあり、楽しみながら、将来を考える一助になったようです。
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2023.05.24
雑誌「日経トレンディ」最新号(6月号)を見ています。というのも同誌の編集長さんがラジオで話しているのをたまたま聴いて、今年度上半期のヒット商品として埼玉から「流行を発信」している施設が紹介されていたからです。
「トレンディ(トレンディー)」は辞書では「流行の先端を行くようすだ、最新流行の様子だ」という意味で、形容動詞と説明されていますが(「三省堂国語辞典」第7版)、「日経トレンディ」の表紙には「個人生活を刺激する流行情報誌」とあります。はやっているものをいち早く伝える雑誌と理解していいでしょう。
6月号の特集は今年度上半期のヒット商品とコロナ5類移行後のヒット商品予測。その上半期ヒット商品「施設」部門でとりあげられたのが「ふかや花園プレミアム・アウトレット」(埼玉県深谷市)。22年10月に開業、関越自動車・花園インターチェンジに近く、近隣都県からも人を集めているのだそう。そういえば、関越道を走っているとここの送迎バスをよく見かけます。本校のすぐ近くにも大きなアウトレットがあるので「へえーっ」という感じでした。
編集長さんが話していたヒット商品のキーワードが「リアルの逆襲」と「保守消費」でした。
「リアルの逆襲」は何となくわかりますよね。コロナ禍で苦しんだ観光業界やイベント業界が新しい商品などを提供し始める、それが「逆襲」という表現なのでしょう。「保守消費」はちょっとわかりにくいかも。物価高が続いているので日常の必需品はいろいろ探して安く購入するものの、それだけではつまらないので贅沢も楽しむ、と説明されていました。コロナがなくても「そうだろうな」とは思いますが。
辞典辞書の違いについてはぜひ次の機会に。
2023.05.23
本日23日から1学期の中間考査が始まりました。教科科目の違いで1学年は22日、23日の2日間、3学年は25日まで、2学年は26日までとなっています。
1学年生徒にとっては高校生になって初めての定期考査です。試験1週間前から放課後、多くの生徒が残って自習していました。その成果に期待したいですね。
朝のショートホームルーム(SHR)の後、余裕を持って落ち着いて試験に臨めるよう、普段の授業時程とは異なる時程で試験時間を設定しています。最初の試験開始時刻まで教科書などを開いて最後の確認をする姿が見られました。
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2023.05.22
プロ野球・西鉄ライオンズの選手、監督だった中西太(ふとし)さんの訃報が19日、新聞に掲載されていました。1952年に西鉄入団、56年~58年の日本シリーズ3連覇を果たした西鉄黄金時代の中心選手の一人で、西鉄の監督を務めた後、ヤクルトや日本ハム、阪神などで監督や代理監督、コーチもしました。
新聞に掲載された、亡くなられた人の仕事や業績などを人がらも含めて紹介する「評伝」も、現役時代を知る記者はさすがにもう新聞社にはいないでしょうから、監督、コーチなど指導者としての中西さんの話が多いように感じました。
日本シリーズ3連覇は私が生まれたころで、私だってもちろんプレーヤーとしての中西さんを知るわけではありませんし、同じ西鉄の「鉄腕」稲尾和久投手らと同じく「伝説」の野球選手です。ただ、この西鉄というチームがその後になくなってしまうこともあってか、「西鉄ライオンズ」そのものもやはり「伝説」のように郷愁を持って語られることがしばしばです。
西鉄黄金時代が終わって65年から73年まで巨人の日本シリーズ9連覇(V9)があり、その組織だった野球とは対照的で、「野武士集団」などとも呼ばれた「西鉄」が伝説として語られていった側面もあったのでしょう。
「西鉄ライオンズ最強球団の内幕」(河村英文、葦書房、1983年)、筆者の河村さんは53年~59年に西鉄に在籍した投手です。もちろん中西さんも登場しますし、名将と言われた三原脩(おさむ)監督の指導法や采配などが詳しいのは当然ですが、「赤裸々な西鉄の姿を語りたい」と書くだけあって、旅館が合宿先だったことや寝台車利用での遠征など球場外のエピソードも豊富です。
ファンとしての西鉄黄金時代を観戦した赤瀬川隼さんの「獅子たちの曳光 西鉄ライオンズ銘々伝」(文藝春秋、1991年)は、選手を一人ずつとりあげる形で「ライオンズ=獅子」を描きます。プレーヤー中西について「素人の僕にも、彼の巨体と俊敏さの一見不思議なバランスが、足腰と手首の強さと柔らかさに発することは、彼の打撃と三塁守備の両面でよくわかった」と語っています。
一方で、1965年生まれでプレーヤー中西を見ようもなかったライターが中西さんにインタビューしたのが「伝説のプロ野球選手に会いに行く」(高橋安幸、白夜書房、2008年)。「野球小僧」という雑誌連載をまとめたもので中西さんはその「会った」中の1人。約束の1時間が3時間になったという中西さんの話の中にこんな一節がありました。
中西さんは三原さんの指導を自分も受け継いでいるとし、それは「人の長所を見て、合ったところで使う野球。それで自信を持たしてあげて、その中で短所を見つけてやれば、短所もスムーズに消えていく」
「しかし、長所を見抜くことは簡単にはいかんよ。本当に愛情を持ってみてやらんとね、見落とすわな」とも。
最近、別のところで読んだのですが、仰木さんが選手育成術について尋ねられた際「オレが育てた選手などいませんよ。彼らが自然と大きくなっていくのを邪魔しなかっただけだ」と答えたということに感銘を受けたからです。
赤瀬川さんは「銘々伝」で、三原監督が説教をする時の叱られ役はたいてい仰木選手だったとし、「なぜ仰木が叱られ役になったか。僕(赤瀬川)は、三原が大勢の若者の中で特に仰木に、プレーヤーとしての素質とともに、将来の指導者の資質をも見抜いていたのからではないかと思う。監督やコーチは、選手の特長に合わせ、力が出やすいように意欲を引き出す役である。三原もそうし、仰木もそうした」
中西、仰木、そして三原、こんな方たちに指導されたら幸せですね。そしてそれが「西鉄ライオンズ」の遺産だとしたら、こんな素晴らしい遺産はありませんよね。
2023.05.20
20日の土曜日、ロングホームルーム(LHR)の時間を利用して1学年、2学年でそれぞれ学年の行事がありました。
1学年は大講堂に全クラスの生徒が集まっての「学年集会」でした。
学級委員から今年度の学年目標が発表されました。1年生は本校39期生となります。それにちなみ、いろいろなこと、人への感謝の気持ちを忘れないということで目標の中に「39(サンキュー)」という言葉をいれたそうです。素敵ですね。
続いて、各クラスの学級委員があいさつし、決意表明がありました。
週が明けた23日(火)から1学期中間考査が始まります。1年生にとっては高校生になって初めての定期考査です。今週初めから放課後、学校に残っての自習などで試験に備えてきました。
集会では学年主任から「定期考査の一つひとつの結果が大学進学、進路選択につながります」といった説明があり、しっかりと耳を傾けていました。
2学年では11月に予定されている修学旅行に向けての準備が進んでいます。
今年度はカナダ、北海道、沖縄の3方面のうちから希望するコースを選びます。
参加予定コースごとに体育館、多目的施設「FVB(Future View Base)に分かれ、各コースの日程内で組まれているグループ別行動の班分けなどが行われました。
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2023.05.19
学校がある埼玉県がタイトルについている本はやはり気になります。歴史教科書で知られる山川出版社からでもあり、資料にもなりそうなので購入しました。
「日本史のなかの埼玉県」(水口由紀子編、山川出版社)
パラパラとめくっていて目にとまったのが「ついに発見! 板碑の一大生産地 全国一位の二万七〇〇〇基」というコラムでした。
何年か前、東京・上野の「東京国立博物館(東博)」の「平成館1階 考古展示室」だったか、「板碑」の現物を見て、正直それまであまり関心がなかったのですが、思ったより大きく、確か限られた時代の限られた範囲で残っているといった説明だったように記憶していました。
コラムによると「板状の石で造られた卒塔婆(そとうば)、板碑は日本の中世に特有な石造物。埼玉県を含む武蔵国で造立された板碑は「武蔵型板碑」と呼ばれている。埼玉県でこれまで確認された板碑は二万七〇〇〇基を超え、全国一位です」と説明があります。比企郡小川町下里の割谷(わりや)地区がその一大生産地とみられ、研究が進んでいるそうです。
一方、東博の公式ホームページ、2007年に開かれた特別展「板碑―中世の供養塔―」の解説ですが、「板碑は、五輪塔(ごりんとう)・宝篋印塔(ほうきょういんとう)とともに中世に盛んに作られた供養塔で、中世の歴史や社会を研究する上で重要な資料の一つです。板碑は北海道から九州まで分布しますが、特に埼玉県を中心とした関東に多くみられます」とあります。
埼玉県が出てきますが、数が一位とは断定していません。国立博物館としての姿勢ですかね。
東博の解説によると、中世に全国的に作られた板碑は近世には廃れてしまう、その起源や消滅に関してはいろいろな意見があるようです。
小川町の「下里・青山板碑製作遺跡」については同町のホームページ、こちらを
板碑はどんなものか、東博の公式サイトの「画像検索」でたくさん見ることができます。こちら
この画像検索、絵画、彫刻、歴史史料、磁器など東博所蔵品のデジタルアーカイブ(デジタル画像)で、見ごたえ十分です。
2023.05.18
「アメリカン・パイ」で英語歌詞に触れたので、英語の歌の続編を。本校は英語検定全員受検で、検定に備えた準備として英検週間(年2回)も設けています。今年度1学期の英検週間は中間考査が終わった翌週の5月29日から。
生徒のみなさんにお説教するわけではありませんが、「英語ができると音楽(洋楽)聴くのも一段と楽しくなりますよ」という話にします。私自身の現在の英語への向き合い方の一つとして、自戒をこめて。
「英詞を味わう 洋楽名曲クロニクル」(泉山真奈美、三省堂、2015年)
「ロックの英詞を読む」(ピーター・バラカン、集英社インターナショナル、2003年)
イギリスを代表するロックバンド The Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)の代表作の一つで発表は1965年、タイトルは「Satisfaction」、日本語タイトルとしては「サティスファクション」とされます。そのままですね。「I can’t get no satisfaction」と繰り返し歌われます。
さて、洋楽の翻訳が1万曲を超えるという泉山さんの著書から引くと、ある大学教授が「この曲は『俺は満足できないことはない』と歌っている」と解説した……
「否定形+no(または他の否定語)」は否定の否定ではなく、否定の強調である、正しい英文に置き換えると「I can’t get any satisfaction」だが、「そこを二重否定を用いて否定の強調をしたところがストーンズらしい」と泉山さん。というのも、ストーンズが影響を受けたブルースやソウルミュージックなどでこの二重否定による否定の強調がよく出てくるのだそう。
この大学教授のエピソード、都市伝説のようにも思えますが、もしかしたら漢文に詳しい方だったのかもしれませんね。では自分はかつてどうたったかと振り返ると、否定の強調を知識として知っていたかおぼつかない。ただ、ストーンズは不良性で売っていたミュージシャンなので、「満足」するはずがない、「満足できない」が当然、と理解していました。 いや「can’t」が「can」に聞こえていたかも。いよいよヒアリングとして情けないですね。
問2 「spirit」に注意して以下を日本語に訳しなさい。
So I called up the Captain
“Please bring me my wine”
He said, “We haven’t had that spirit here since 1969”
アメリカを代表するロックバンド、Eagles(イーグルス)の代表曲の一つ「Hotel California」の歌詞の一部。こちらも曲の日本語タイトルは「ホテル・カリフォルニア」、そのまんま。
イギリス出身、ラジオ番組の案内役などで知られるピーター・バラカンさんはこの曲の解説の前段で「単純な「カリフォルニア賛歌」のように勘違いしている人もかなりいるようですが、歌詞の内容はまったく逆です。70年代カリフォルニアの、特に音楽業界や芸能界に象徴される退廃した世情に対する批判が込められている」。
泉山さんは「社会の行き場のない閉塞感を、ホテル・カリフォルニアという架空の建物に足を踏み入れた男を代弁者に仕立てて語らせた曲」と説明しています。「英語圏の人ですら一聴してすぐには意味を汲み取れない歌詞はかなり難解である」と泉山さんが書いてくれているので、1977年の発表時からずっと聞き続けていて,全容を把握しきれない私も安心するのですが、それでも、この「問2」の歌詞は初めからひどく印象に残っています。
歌詞全体でなくここだけ取り出して読めば、比較的わかりやすいですよね。そこでポイントは「spirit」(もちろんこんな親切な設問はないでしょうが)、バラカンさん、泉山さんの説明にある、この曲全体のとらえ方の中で「spirit」をどう訳すかということですね。「ダブル・ミーニング」という言葉をこの歌で覚えました。 ――主人公がワインを頼もうとすると、従業員(Captain)は素っ気なくこういうのだ。「1969年以来、当ホテルではそのようなspiritは扱っていません」と。ここを深読みするなら、もう「1969年当時のような精神はこの国には残っていません」。1969年という時代にアメリカの多くの若者たちが抱いていた熱い思いや、ヒッピー文化を築きあげんとして唱えたLove&Peaceの精神がすっかり冷え切ってしまっていたのだ。 ◆バラカンさんの解説
◆泉山さんの解説
――「wine」はアルコール、酒と考えてかまいません。その後のnineで韻を踏むためwineにしたのでしょう。spiritはそのwineを受けた「(蒸留)酒」の意味と、69年を最後に失われてしまったspirit、つまりヒッピーの「精神」のダブルミーニングです
蛇足ながら、辞書的にはspiritは精神、霊、気分などでの例文が多く、「アルコール度の高い酒」といった意味は後の方に出てきます。ただバラカンさんが指摘するように「wine」効いていますよね。「ワインはないのか」という要求に対して従業員がありませんというのは全く普通。ただwineがないとは言わない。「spirit」はないと。
そして「1969年からない」、1969年から禁酒法があったわけではないし、一般的にホテルにお酒がない、在庫がないというのは現実的ではない、1969年という年が重要、そこから「精神」という意味合いが出てくると解釈している。
一つの単語について一つの訳をあてるのが普通で、学校で習う英語(試験問題)は原則そうですよね。ところが一つの言葉に二つの意味を持たせる手法で、「比喩的表現、ダブル・ミーニングの巧みさなど、今あらためて聴いてみてもうならされます」とバラカンさん。
この2冊ですが、実は「アメリカン・パイ」について詳しく調べようとした時、久しぶりに手にとりました。残念ながらどちらにも取り上げられていませんでした。いずれもかなりの数の曲があげられ、私の知らない曲も多く、正直なところ、すべて読んでいません。今でも時々昔のロックを聴き、新しい発見があり、「そういえば」と参照する時に開きます。「辞書」のように使っている本です。
紹介した2冊のように英語の歌の歌詞を追うのではなく(もちろん翻訳が前提ですが)、外国の歌が日本に入ってきてどう歌われてきたか、それがどう原曲と異なっているのか、また、歌われた背景が隠れてしまっている例があることを教えてくれます。子牛が市場に連れていかれる「ドナドナ」、森山良子さんの歌で知られる「思い出のグリーングラス」など、ショッキング、驚きでした。あえて詳しく書きません。
本校の英検への取り組み、英検週間についてはこちらをどうぞ(昨年度の様子です)
2023.05.17
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が訪問先のアメリカでの晩餐会で「アメリカン・パイ」を歌ったというニュースについてこのブログに書きました(5月2日)。ちょっと消化不良のところがあり、ずっとひっかかっていました。そこで、まずは先日の大型連休中に実家のレコードラックからその「アメリカン・パイ」のレコードを「発掘」してきました。
というのも、この曲は1971年発表、その時代を反映して社会批判が盛り込まれている楽曲と思い込んでいました。アメリカのベトナム戦争への反戦運動が高まっていた時期でもあります。そんな曲だとしたら尹大統領は歌わないだろうと。そこで当時のレコードに何らかのヒントがあるのではと探したわけです。
レコードの片面に4~5分くらいの曲1曲しか収まらない「シングルレコード」なので、曲の解説はあまりに素っ気ない。作者・歌手のドン・マクリーンについて「素晴らしい新人の登場です」「詳しい資料がないので、経歴その他は現在の所不明です」って、そんなのでいいの、という感じ。
そして「モノの大きさから評価すれば、充分、ディラン、ジェームス・テイラー、ドノヴァンetcに匹敵出来る逸材です」。ここでいう「ディラン」はボブ・ディランのことでしょうから、かなり社会性のある歌をつくる新人、ととらえられていたのかもしれません(レコード会社がかなり無理した解説のようにも読めますが)
「アメリカン・パイ」の歌詞については、ネット上でいろいろな方が和訳してくれていますので、ぜひ検索してみてください。比喩や著名なロック曲からの引用などがいろいろあるようですが、直接的な社会批判はなさそうです。
そしてこのレコードのジャケット、表紙写真です。おそらくドン・マクリーン本人でしょうが(説明はありません)、親指を突き立てた手がアップで写っています。その親指にはアメリカの国旗を模したペイントが施されています。
「アメリカン・パイ」でアメリカ国旗ってあまりにストレートですよね、そしてこの親指を突き立てる形は「thumbs up」(サムズアップ)と呼ばれ、「いいぞ、よし」と賛成・満足などを表すジェスチャー・サインとされています。そうなると、このレコードジャケットは、社会批判どころか「アメリカ賛歌?」、歌も「アメリカ いいね」
(このサインは英語圏では肯定的に使われるが、中東などでは侮蔑の表現とされるとの説明もありましたが、そこまでの深読みはする必要はない?)
というか親指をたてるこのサイン、SNSなどでおなじみの、あれです。ちゃんとした背景があるのですね。
辞書的に「パイ」は 肉や果物などを小麦粉の生地に入れて焼いたもの、「米国の主婦が誇りとする料理で、特に apple pie はデザートとして人気がある」といった記述も。これでは素気ない。アメリカの食に関する本から少し手がかりを見つけました。
「食べるアメリカ人」(加藤裕子、大修館書店、2003年)
生活文化ジャーナリストが食を通してアメリカを観察した本ですが、筆者の加藤さんは、自分にとってのおいしいアメリカ料理のイメージとして、「甘く煮たリンゴがとろけそうなアップルパイ」をあげています。
アップルパイはヨーロッパから新大陸に伝わったものながら、イギリスから(移民が)持ってきたリンゴの種はアメリカで様々な品種となり、アップルパイも多様なバリエーションのレシピが考案された、と説明してくれています。
「アメリカは食べる アメリカ食文化の謎をめぐる旅」(東理夫、作品社、2015年)
東さんはミュージシャンでアメリカの音楽の歴史に詳しいのはもちろんですが、ミステリーの評論も多く、またアメリカの料理・食についての著作も多い方です。東さんは「アメリカは、移民たちの各自の食の文化を、アメリカの食文化に仕立て上げるしかなかった、それがアメリカ食の宿命だった」と言います。アップルパイもその一つと言えるのでしょう。
さらに東さんは、マーク・トウェイン(『トム・ソーヤーの冒険』の作者)が1870年代後半にヨーロッパ旅行をした時の様子をまとめた「ヨーロッパ放浪記」の中で、ヨーロッパのさまざまな美食をよそに、(トウェインが)アメリカに戻ったら本当に食べたいものをリストアップしている、と紹介し、その中に「アップルパイ、クリームを添えて」があり、「マーク・トウェインは、アメリカのごく平凡な、誰もが好きなアメリカ料理を恋しがっているのだ」と続けます。
「エクスプレスEゲイト英和辞典」(2007年、初版第2刷)では「apple pie アップルパイ」の項で「米国では開拓時代から伝統的なデザート、as American as apple pie アップルパイのようにきわめてアメリカ的な、という表現もある」と説明しています。アメリカを代表する料理の一つということから、このような表現が生まれたのでしょう。
そうなると、この歌「アメリカン・パイ」の「パイ」はアップルパイのことでしょう。(アップル)パイ=アメリカなのだから、アメリカそのもの描いた歌、といった意味が込められているのでしょう。また、(アップル)パイにはたくさんの種類があり、家庭ごとの味があり千差万別、多様なアメリカの姿をパイという言葉で伝えようとしたのかもしれませんね。
(この辞典について編者は「日英両語の比喩表現辞典」とその特徴を説明しています)
2023.05.16
作家の原寮さんが亡くなり、新聞各紙で報じられました(5月11日毎日新聞朝刊など)
毎日の訃報記事によると1988年「そして夜は甦(よみがえ)る」でデビュー、翌年2作目の長編「私が殺した少女」で直木賞を受賞。ファンがまとめたネットサイト、ブログなどをみると、デビュー2作目で直木賞というのも珍しく、その後、直木賞でミステリの受賞が増えていった、とのこと。直木賞は人気作家への大きな一歩であることが多いのですが、その後発表した長編はわずか4作(デビュー作含めて長編5編)。本棚をさぐると何冊か出てきました。
ほぼ作品発表直後に読んでいるので手元にあるのはすべて単行本。文庫本も出ているようです。ほとんどが2段組で「……少女」は270ページほど。最近こんなミステリの大作はなかなかお目にかかれない。私も今ではひるんでしまいそうです。
長編、短編含め発表した小説は私立探偵が主人公。その私立探偵は東京・西新宿に事務所を構える、「沢崎との苗字のみで下の名前は最後まで出てこない」、そうそう、そうでした。
朝日新聞の訃報記事には「米作家レイモンド・チャンドラーの影響を受けた作風で日本のハードボイルド小説界に新風を巻き起こした」とあります。確かに原さんは、作品出版社の公式サイトでのインタビューでは、何度もチャンドラーに言及しています。
チャンドラー、ハードボイルド小説ということで、何冊かは読みましたが、日本で言うところの推理小説・ミステリ、あるいは探偵小説のファンと自称するからには、当然読まなければならない、読んでおかなければならない作家、作品という強迫観念、義務感、通過儀礼……何しろ棚から見つけた「湖中の女」の発表が1943年、「プレイバック」が1958年(読んだのはいずれも1990年)、描かれる時代が古く舞台も遠い国の話で身近に感じられず、また、「ハードボイルド、男の生き方」みたいなことにはあまり関心がなかったので、チャンドラー作品には正直、強い印象は受けませんでした。
チャンドラーの「Farewell, My Lovely」(1940年)の最初の邦訳時のタイトルは「さらば愛しき女よ」(ハヤカワ・ミステリ文庫)。訳者の清水俊二さんは数多く推理小説の翻訳をてがけています。村上春樹さんが訳して「さよなら、愛しい人」(早川書房)。本がきれいなままなので、たぶん読んでいない。やはりチャンドラーは遠かったか……
さらに、タフな主人公が一つの指標となるハードボイルド小説は、小説のジャンルとしての定義付けは難しいとも思います。ただ、探偵ものとしては、逢坂剛作品に登場する岡坂神策のシリーズ(「十字路に立つ女」など)、東直己の「ススキノ探偵シリーズ」(「探偵はバーにいる」など)はなかなか読みごたえがあり、おもしろかったです。
直木賞作家である逢坂さんはこの探偵岡坂が主人公のシリーズにとどまらずスペインや欧州を舞台に近現代史の謎に迫る壮大な作品群や、不気味な犯人と公安警察との闘いを描く「百舌シリーズ」、悪徳警官の「禿鷹シリーズ」、刑事迷コンビがドタバタを繰り広げる「御茶ノ水警察」もの、さらには時代小説も「重蔵始末シリーズ」、火付盗賊改・長谷川平蔵を主人公にした作品など実に幅広く多彩で、何を選んでもまず「はずれ」はありません。
ミステリ、探偵小説、ハードボイルド、警察小説などなど、いろいろなネーミング、分け方があるでしょうし、「分類そのものには意味がない、作家の好き嫌いで読む本を選ぶ」もありでしょう。そもそも、こういった「人が殺される、事件に巻き込まれる」的な小説は嫌い、もあるでしょう。小説なので好き嫌いがあってもっともです。
歴史の本ばっかり、ではなく、エンターテインメントもちょこちょこ読んできました、ということで紹介させていただきました。
2023.05.15
しつこくてすいません。NHK大河ドラマ、14日の放送では松本・家康は浜松城から出陣の際、戦いは兵の数ではない、と檄を飛ばしていましたね(自分に言い聞かせていたのかも)。本棚で別の本をさがしていたら、またまた家康、戦国合戦関連の本が視野に入ってしまいました。「そうそう、これがあった」と。
まず、タイトルがずばり「徳川家康」。武家社会研究の笠谷和比古さんの著作で、歴史人物伝としては定評のある「ミネルヴァ日本評伝選」の一つなので、家康研究のスタンダートとも言えそうです。
笠谷さんは、武田信玄の軍が浜松城を素通りしたことについて、「侵攻する行く手にある城は必ず落としてから進む、少なくとも攻城軍を差し向けて包囲し城内兵力を封じ込めるというのが戦いの常道」なので、素通りするというのは侮辱的な行為であり、武田側の挑発行為であることは疑いなかった、武田のおびき出し作戦とわかっていながら家康が出陣したのは「これを空しく見送るとあっては武将として末代までの恥辱として、あえて打って出ることを決意し」と書いています。
「三方ヶ原の戦い」の見方についてすでに紹介した本郷和人さん、磯田道史さんたちより笠谷さんはちょっと先輩で国際日本文化研究センターの名誉教授(磯田さんは同センターの現役の教授です)。この「三方ヶ原の戦い」については手堅い分析と言えそうです。(というか本郷さん、磯田さんのとこで紹介した「これまでの説」がまさにこういった内容でした)
「三方ヶ原の戦い」についてさらに書くならもっと異なった説でないとおもしろくない? と考えていたら、ありました。
家康の経済力(お金)は信長、秀吉を上回っていて、それが天下人家康をつくった、という切り口です。経済力に着目すること自体はそんなに驚くべきことではないでしょう。先に紹介した本郷和人さんも軍事力を支えるのは経済力と明確に書いていますし。
ただ、筆者の大村さんは、武田信玄の領国・甲斐(山梨県)信濃(長野県)は経済的に豊かとはいえず、信玄が甲斐を出て大軍で西を目指したがかなり無理をした。西に進めばいやおうなしに織田信長軍と戦わなければなりません(信玄も天下を取るために京都を目指したという説に対して信玄はそこまでは考えていなかったという説もあるようですが、ここでは立ち入りません)。
その織田軍との決戦を前にして浜松城を包囲しても城を落とす(家康に降参させる)にはそれなりの時間がかかるだろうし、兵隊の食料なども相当量必要になる、兵站(軍の後方支援)に不安がある、武田軍には浜松城を相手にするだけの経済的な余裕がなかった、と書いています。攻める余裕がなかった、攻めたくても攻められなかったというのです。
史料の裏付けが書かれていないところが気がかりではありますが、私にとっては「新説」でした。
「戦国15大合戦の真相 武将たちはどう戦ったか」(鈴木眞哉、平凡社新書)
本の書き込みをみると2003年に読んでいて、恥ずかしながら内容はほとんど覚えていなかったのですが、鈴木さんはいわゆる「定説」に遠慮なく物言う方なので、今回読み直してみると、私の期待に応えてくれました。
「この合戦(三方ヶ原の戦い)も徳川家の歴史のなかでは大変重要視されているので、江戸時代の多くの軍記などが扱っているが、負け戦さを勝ち戦さというわけにもいかない。そのため、ずいぶん苦労して、あれこれ格好をつけたりしているようなところがある」ので、軍記物では家康の決断で出陣したという話になる。
ところが「史料をよく眺めてゆくと、待てよ……といった記述にぶつかる」、武田軍が浜松城の近くを通過しようとするのを見物にいった家康側の兵が武田方に石を投げるなどした、武田側も投げ返すなどしているうちに、本格的な戦いになった、家康はそんな部下たちをいさめよう、引き上げさせようとやむを得ず出陣した、そこから本格的な戦いに発展した、家康は戦いに巻き込まれた、そんなことが書かれている史料がいくつかあるとのこと。
つまり決断して出撃したわけではなく、だから戦いの準備も十分でなかった、加えて兵の数でももともと武田に劣るのだから家康軍が戦いに勝つ見込みはほとんどなかった、というわけです。
もちろん、この鈴木さんが引いている史料についても吟味しなくてはならないわけですが、江戸時代になると、家康は幕府を作った創業者ですから、家康は負けたにしても偉かった、すごかったと、家康を称えなければならなかった、と。歴史史料に向き合う時参考になる例ですね。
あとは「関ケ原の戦い」、こちらは笠谷さんの研究がこれまでほぼ定説とされてきたのですが、近年、新たな研究が出てきて、結構盛り上がっています。こちらも大河ドラマの展開にあわせて、ぜひ。まだだいぶ先ですかね。