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  • 2023.11.06

    レールの幅・ゲージ ① ―― 久しぶりの「鉄分」

    最近、鉄道にかかわる気になるニュースがいくつかありました。「読み鉄」「歴史鉄」からさらに広がる話ですが、こういうところに関心を持つ「鉄ちゃん」もいるということで、おつきあいを。

    9月に北朝鮮の最高指導者がロシアを訪れ、プーチン大統領と会いました。この時、北朝鮮から列車で国境を越えてロシア入りしました。外国訪問に列車を利用するのはこの最高指導者の一族の「伝統」で、それ自体に驚きはないのですが、そのことをとりあげた記事の中に「鉄ちゃん」ならニヤッとする部分があったのです。

    列車ならたくさんの随行員が乗れますし、記事では、複数の列車を同時に走らせるとどの列車に最高指導者が乗っているかわからないという安全面の利点をあげていました。列車の「影武者」ですね。

    ではこの列車、スムーズに国境を越えられたのか、もちろん両国は友好関係にありますし、VIPですから税関での申告や入国管理でのパスポートの提示もありません。ところが、北朝鮮国内では線路の老朽化が激しくて列車があまりスピードを出せない、そしてようやく国境に差し掛かった時、列車の台車交換に時間がかかった、というのです。

    列車の「台車交換」といわれても、これは「鉄ちゃん」でないと何のこと、でしょう。

    日本民営鉄道協会のホームページによります。

    「台車」とは輪軸(車輪と車軸)・軸受・軸箱・駆動装置・基礎ブレーキ装置などを一体的に収め、車両の下に取り付けられている走行装置のこと。車両の下についている「車輪」と考えてください。鉄道は2本のレールの幅(軌間、ゲージ)が鉄道ごとに決まっています。当然そこを走る車両の「車輪」の幅はレールの幅に合わせてあります。ところが、北朝鮮の鉄道とロシアの鉄道の軌間・ゲージが異なっているのです。

    ではどう解決するのか。シンプルに考えれば、北朝鮮国内では北朝鮮の列車で移動し、国境の駅でロシアの鉄道の列車に乗り換えればいいわけですが、それでは、北朝鮮から列車にいろいろなものを積んでいった意味がない(積み替えが大変です)、北朝鮮の車両には最高指導者の部屋もあるでしょうから、そこでずっと過ごしたいわけです。さらにロシアが用意する車両に対して信頼がおけるのかという気持ちもあるでしょう。

    そこで報道にあるように、国境で「台車交換」をしたのです。つまり北朝鮮の車両の台車をロシア用の台車に交換する、具体的な作業内容までは書かれていませんが、北朝鮮の車両の車体部分だけをクレーンのようなもので持ち上げて、北朝鮮のゲージ用の台車をはずして、代わりにロシアのゲージ用の台車を結合させるという作業だと思われます。自動車のタイヤ交換する時に、ジャッキなどで車を持ち上げる、そんな感じですね。

    どうしてこんな推測ができるのかというと、実はヨーロッパでも国によってゲージが異なり、国境を越えて動く列車でこのような作業が近年まで結構行われていたのです。

    この作業を何両、あるいは十数両の車両で行うのですから、国境で時間がかかるのは当然ですよね。

  • 2023.11.04

    新幹線と政治 ③ 久しぶりの「鉄分」

    政治家と鉄道、あるいは新幹線となると、この人に触れないわけにはいきません。

    『「日本列島改造論」と鉄道』(小牟田哲彦、交通新聞社新書、2022年)

    「日本列島改造論」は田中角栄元首相の著書として1972年に発刊された政策提言集、実質は中央省庁の官僚が集まって政策をまとめたものということはよく知られていますが、首相就任時の田中人気もあって、政治家の書いた本としては異例ともいえるベストセラーになりました。

    タイトルにあるように、列島全域をどう開発(改造)していくかという提案をしているのですが、その開発のカギをにぎるのが高速道路網であり高速鉄道網、全国を短時間で結ぶ交通ネットワークで人の行き来、物流を盛んにすることが開発を後押しすると考えたわけです。

    高速鉄道網については、具体的にどの地方とどの地方を結ぶこのような路線、という例が多数示されました。田中首相の退陣、その後のロッキード事件で田中元首相が逮捕されたことなどもあってこの提言そのものも「無かった」かのようになっていきますが、実はここで示された高速鉄道網という考え方はその後も生き続けます。今日の新幹線網と見比べてみると・・・ということになるのです。

    新幹線・高速鉄道と政治とのかかわりでは最近、イギリスからこんなニュースが伝わってきました。

    10月初め、イギリスのスナク首相が同国内で進められている高速鉄道の建設について、費用の高騰を理由に縮小することを発表した、というのです。

    「High Speed 2」を略した「HS2」と呼ばれる高速鉄道で、首都ロンドンから中部バーミンガムの間を時速400キロで結ぶ計画、2026年開業予定で、これが第一期。さらに北のマンチェスターなどとを結ぶ路線が第2期とされ、スナク首相はこの2期は着工すべきでないと表明したようです。
    スナク首相率いる与党保守党は支持率下落の傾向にあり、来るべき選挙対策の色合いが強いようではありますが、どうなっていくのでしょうか。

    これが他人事ではないのは、日本の東海道新幹線初代のゼロ系車両から新幹線車両の製造を手掛けてきた日立製作所がイギリスの高速鉄道車両の製造や保守を請け負っているからです。

    世界に名だたる日本の新幹線を海外に「輸出」しようという動きは古くからあるのですが、新幹線と並び称されるフランスのTGV、さらに高速鉄道網が発達しているドイツなども高速鉄道システムそのものやその車両の輸出に力を入れており、日本の新幹線と競合することもしばしばなのです。

    それだけにイギリスの高速鉄道の先行きは気がかりなところではありますが、ヨーロッパでは脱酸素社会の促進のために電気自動車の普及が図られ、また大量の化石燃料を使う航空機の使用を減らし鉄道を見直そうという動きがすすめられてもいます。注目されるところですね。

  • 2023.11.02

    新幹線と政治 ② 久しぶりの「鉄分」

    「我田引水」という四字熟語は知られていますよね、自分の田んぼ(我田)の作物がよく育つよう、自分に都合のいいように水を引いてしまうことから、「自分の利益になるように、はからうこと」(三省堂国語辞典第7版)の意味で使われます。これをもじって「我田引鉄」という造語があります。そう、自分の利益になるように、「鉄」つまり「鉄道」を引いてしまうことを揶揄・批判する言葉として使われます。

    鉄道をどこに通すか、これは新幹線に限らず、明治に鉄道路線が全国に広がり始めた時からさまざまな逸話を残していて、その点では「我田引鉄」も結構古い言葉? なのです。それが新幹線でもやっぱり繰り返された、という言い方もできるでしょう。

    例えば「どこに駅をつくるか」についてはどうでしょう。

    新幹線の駅ができれば乗り降りで人が集まり、そこでの新たなビジネスを期待する人もでてくる、そんな人たちが政治家の熱心な支持者・後援者であれば、政治家はその期待に応えたい、つまり、国会議員ならば支持者のいる自分の選挙区に駅をつくりたいわけで、新幹線を建設する国鉄、JRに駅設置を働きかける、という流れになります。これが「我田引鉄」(我田=選挙区、鉄=新幹線)、あるいは「「我田引駅」ですね。

    さらにいえば、新幹線が通る場所(駅も)は土地を買い上げなくてはなりません。その土地所有者の収入になります。また、鉄道工事の仕事・雇用が生まれます。路線に関係する地域の土木建設業者らはその仕事を期待するでしょう。そんな人たちが政治家の支持者だったら・・・新幹線の路線がどこを通るかは、いろいろな人たちの利害がからみます。

    もちろん政治家が注文したからここに駅ができた、といったことを簡単に証明できるわけではありません。(そのような微妙な話を政治家本人が口外することはなかなかないでしょう)

    ただこの『新幹線全史 「政治」と「地形」で解き明かす』(竹内正浩、NHK出版新書、2023年)で考察されていてなるほどと思ったのは、国鉄・JRがさまざまな制約・条件を考慮して合理的に計画工事した路線、駅について、それがたまたま政治家にとって願ってもない形になったため、政治家があたかも自分の意見でこうなったかのように自己PRに使った、と推測している点です。つまり政治家が「伝説」をつくるのですね。

    「我田引鉄」は新幹線に始まったことではない、と書きました。そのものずばりの著作があります。

    『鉄道と国家 「我田引鉄」の近現代史』(小牟田哲彦、講談社現代新書、2012年)


    「狭い国土の中を実に多様な鉄道が走っている。その多様性は世界各国の鉄道事情に照らしても、大いに魅力的であるというのが、日本国内から世界各国まで合わせて地球二周分以上の鉄道路線に乗った私の所感である」(まえがきより)

    という筆者の小牟田さんは
    「政治家が鉄道政策に介入してその実現に助力したり政策変更に影響を与えたりしたとき、往々にしてその路線は「政治路線」などと揶揄される」
    と表現します、「我田引鉄」とほぼ同じ意味と理解していいでしょう。

    ところが筆者はさらに踏み込みます。
    「日本の鉄道は成立当初から政治的要素を強く帯びており、広義ではほとんどが「政治路線」と言っても過言ではない」

    そして、明治初期から具体的な政治家の名前をあげ、その政治家の影響を受けたといわれる路線を紹介していきます。

    『新幹線全史 「政治」と「地形」で解き明かす』の筆者、竹内正浩さんにはこれに先立つ著書があります。

    『ふしぎな鉄道路線 「戦争」と「地形」で解きほぐす』(NHK出版新書、2019年)

    こちらは新幹線以前、明治初期の鉄道建設黎明期からをとりあげます。副題の「地形」は共通していますが、ここでは「戦争」、つまり日本の近代は戦争が続きました、そのために必要とされた鉄道路線、駅などがあったわけです。

    軍部が路線決定に口を出したということは想像がつきますが、軍隊の中に鉄道を敷く技術を持った部隊があったということは、つい忘れがちです。例えば軍が侵攻・侵略した先で物資輸送のために急きょ鉄道を敷かなくてはならない、そのための技術を持つ部隊をあらかじめ用意しておくわけです。

    その部隊の訓練のための路線もあり、戦後、その部隊が無くなった後は一般の人が乗る鉄道として役立てられていることも紹介されています。通勤通学でその路線を利用している人(鉄ちゃんでない人)には「新鮮」な話題ではないでしょうか。

  • 2023.10.31

    新幹線と政治 ① 久しぶりの「鉄分」

    コロナ禍もまだまだ油断はできず、インフルエンザもはやりつつありながらも、少しずつ鉄道での移動の機会も増えてきて、そうなると「鉄分」の補給が必要になってきます。新聞の書籍広告で目に入った新幹線の本を読みました。鉄道本も久しぶりかと。もちろん、この手の本は相当読んではいるのですが、結構新たな「学び」がありました。

    そうそう「鉄分の補給」ってなんのこと、ですよね。「鉄ちゃん」(鉄道好き)の程度を表すのに栄養素の「鉄分」にひっかけて「鉄分が濃い」とか言ったりします。そのもじりです。覚えなくてもいい知識です。

    『新幹線全史 「政治」と「地形」で解き明かす』(竹内正浩、NHK出版新書、2023年)

    前にも少し書きましたが、「鉄ちゃん」にもいろいろなジャンルがあって「乗り鉄」「撮り鉄」「模型鉄」などは字で何となく想像してもらえそう。「読み鉄」はどうか、鉄道に関係する本を読むということでしょうが、鉄道が登場する、鉄道が舞台の紀行文学を読むことなども含まれましょう。では「歴史鉄」はどうか、鉄道の歴史を知る、学ぶ、といったところですが、それが「趣味?」と言われてしまいそうでもあります。

    ただ歴史に興味がある人、歴史好きにとっては交通の歴史を知ることはいよいよ「歴史」に深く入りこんでいくことになります。特に近現代史にとって交通・鉄道の歴史はかなり太い「思考の補助線」になると思います。

    例えば、なぜ東海道線が最優先で工事が進められていったのか、さらには意外にも北海道でいち早く鉄道が敷かれたのはなぜか、また特に私鉄の発展の要因として見逃せない寺社参拝などがすぐにあげられます。戦争での兵士の移動・武器の運搬を最優先と考えたこと、経済発展のカギを握る石炭の採掘と積み出しの必要性など、政治経済分野だけでなく文化、生活の歴史に深く関わっています。

    ということでこの新幹線全史です。新幹線の歴史については戦前の弾丸列車構想から叙述される点は他の類書と同じで、「全史」となると当然のことではあるのでしょうが、副題にあるように、この本では、どうしてそこに路線が引かれたのか、どうしてそこに駅があるのか、そこには「政治」と「地形」が影響しているという視点で書かれているところが面白い。

    最初の新幹線、東海道新幹線の前身ともいえる弾丸列車構想は、戦前から列島の大動脈であった東海道線の輸送量が限界になり、それを補う必要があった。さらには植民地だった朝鮮半島、その先の中国大陸(特に東北部)へのアクセスの向上、つまり短時間で行き来したいので高速列車が欲しいという理由も加わって、もう一つの東海道線が計画され、一部で用地確保やトンネル工事も行われたのですが、第二次世界大戦・太平洋戦争でそれどころではなくなりました。

    東海道新幹線は、かなりの部分がこの戦前の計画による土地を通ることにしたため、用地確保の時間、工事期間も短くてすみました。それでも、すべてが戦前のプラン通りとはいかず、細部でどこに線路を通すか、どこに駅をつくるかはやはりもめたわけです。このあたりを、東海道新幹線はじめ各新幹線の路線に沿って記録をひもとき、丁寧に検証していきます。

    新幹線のような「高速列車」を走らせるにはどのような路線であればいいか、整理してみます。

    ①出発地と終点をできるだけ直線で結ぶ(線路が曲がってばかりいたらスピードが出せない)
    ②駅は少ないほどいい(停車時間が増えれば終点まで余計に時間がかかる)
    ③線路の登り降りはできるだけないほうがいい(登りはどうしても速度が落ちる)

    などがあげられるでしょう。
    ところが、それぞれについて制約があります。

    ①東海道新幹線で東京大阪間を結ぶ場合はどうでしょう。日本地図を思い浮かべてもらえばいいのですが、簡単に直線で結ぶことはできませんよね。
    ②途中駅がないとお客さんが乗らない、さらには駅は便利なところにないと、やはりお客さんが乗らない。経営がなりたたなくなります。
    ③山が多い日本列島、多くの路線が山を越えなくてはなりませんが、そうなると登りが多くなる。それを避けるにはトンネルで山を貫通してしまえばいい。しかし、トンネルも地盤や地質によっては工事が難しい場所があり、どこでもいいというわけにはいかない

    これらの制約の中で、いわばバランスを取りながら、路線を決めていくことになるのですが、これがタイトルにあるところの「地形」であり、さらにここに「政治」がからんできてさらに面倒になるわけです。

    ここまで本1冊ですでにこの長さ、「鉄分」が入ってきてキーボードをうつ手がとまりません。マニアックにならないよう気をつけ、社会情勢、国際情勢とからめながら続けます。こんな「鉄ちゃん」もいるということで、しばしお付き合いを。

  • 2023.10.30

    中国史のキーワード 「塩政」その②

    ヒトが生きていくために「塩(塩分)」は欠かせないことは言うまでもありません。しかし中国のような内陸に領土が広がる国では、沿岸部で手に入る塩を内陸の奥まで運ばなければ、広い領土でたくさんの人が暮らすことはできません。その塩を運び売る商人は裕福になるでしょう、そうなると王朝はそこから税金を取ることを目論むことになっていく。つまり「塩」がお金を生み、国の財政に深くかかわっていくわけです。

    税金をとるためには、その販売を管理下に置かなければならない、それが「専売制」となる、一方で塩の売買はもうかるので、管理下外で塩の売買に手を出す密売も横行する、といった具合、この密売組織が秘密結社となって王朝に歯向かい、ある時には王朝を倒してしまう。

    『中国塩政史の研究』(佐伯富)からひきます。

    「塩の専売が施行され、清朝が滅亡するまで一、一五五年に亘って塩の専売が実施された。塩の専売制が継続して実施された時代が、中国では独裁政治の時代であった。世界の歴史において、これほど長く塩の専売が継続して実施されたことは、他に類例がない。これが中国社会に諸種の影響を与え、特殊な性格を附与したのである」

    「宋代以後、近世中国社会では反乱の多いことが一つの大きな特色である。それは多くは塩の密売に従事する秘密結社の蠢動によるものであった。近世中国社会において、王朝の創立者に秘密結社の統領が多かったことは、これを示している」

    「独裁君主は塩の専売収入を財政の一つの支柱としたが、秘密結社の塩利収入も政府の全歳入の約四分の一に当たると推定される」

    「中国社会とくに近世中国社会の性格を究めようとすれば、塩政の研究が重要な手掛かりを提供する。ここに塩政研究の重要性が存する」

    どうでしょう、先に紹介した著作で、中国の歴史を通観する上でのキーワードの一つが「遊牧民」という指摘がありましたが、この「塩政」「塩」も重要なキーワードではないでしょうか。

    そして恩師へ

    この佐伯さんの先生が京都大学の中国史、アジア史(京都大学では東洋史という言い方ですが)を代表する研究者である宮崎市定さん(1901~1995)です。『中国塩政史の研究』でも宮崎さんからの学びに感謝する記述があり、その論文・著書があちこちで引用されています。

    宮崎さんのよく知られた著書に『科挙 中国の試験地獄』 (中公新書、1963年)があります。中国独自の役人選抜の仕組みを丁寧にわかりやすく説明したベストセラーで、かつての世界史の授業では必読書のように薦められた本ではないでしょうか(今も薦められているとしたらすいません)。
    そうそう、いまふと気づいたのですが、この「科挙」つまり「官僚制」も中国史を通観するうえでのキーワードの一つと言えるかもしれません。

    その宮崎さんの幅広い中国史研究の中でやはり「塩政」についてもたびたび言及しているようです。

    また宮崎さんは独自の時代区分論を展開し、定説というか従来の時代区分論の学者との論争を展開したことでも知られています。このブログでもたびたび紹介している井上章一さん『日本に古代はあったのか』(角川選書、2008年)でその論争に言及していたことも思い出しました。

    そこで宮崎さんの著作に思いが広がります。著書をさがしたら『中国史』(岩波文庫、上下巻)がそのあたりをわかりやすく書いているようです。井上さんも『日本に古代はあったのか』の中で、宮崎さんの本で最初に読んだのはやはりこの『中国史』だったと書いています。20歳代のなかばごろだったとか。
    文庫ですし、すこしめくってみるか、とついこちらも購入してしまいました。また「積読」が増えそうです。

  • 2023.10.27

    中国史のキーワード 「塩政」その①

    またまた中国史、日本の中世史の本(足利将軍、10月18、19、20日)から中国史に戻ってしまいます。「続けて書けよ」としかられそうです。このブログでは「これまで読んできた本」の紹介が中心ですが、今回は「読み終えてから」がいつになるか自信がない「大著」なので、また、どういうつながりで次々と本を選んでいくのかというあたりも新しいブログテーマとして少し書いてみます。参考にはならないかもしれませんが。

    「中国史を学ぶ おすすめ本①」(10月16日)で『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』(松下憲一、講談社選書メチエ、2023年)を紹介し、あわせて個人的に最近注目している研究者として『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(東洋経済新報社、2019年)などの著書がある岡本隆司さんの名前をあげました。「遊牧民について何かふれていないかな」と思いながらページをめくっていたら、以下の部分に以前読んだ時のアンダーラインが引いてありました。

    「宋王朝は、塩の売買に税金をかけていました」
    「塩の徴税・専売の制度を「塩政」といいますが、何も宋に始まった話ではありません」

    久しぶりに「塩政」という言葉にふれ、懐かしくかつ「読みたい」気持ちが高まりました。

    『中国塩政史の研究』(佐伯富、法律文化社、1987年)

    そのものずばりという研究書、佐伯富さん(1910年~2006年)という京都大学の先生がこの研究者としては国内では第一人者で、よく引用されています。

    佐伯さんの経歴を改めて確認すると、すでに京都大学教授を定年退職されたあとの時期にあたる1980年代の後半ですね、京都のご自宅を訪ねたことがあります。東京の私立大学の研究者が佐伯さんの研究を何やら問題視しているかのような通信社の記事が配信され、お話を伺いに出向きました。

    佐伯先生ご自身はその研究者のことはほとんどご存じでなく、まったく気にはなさっていない様子で、とても記事にするような状況ではないことはすぐにわかったのですが、そこで佐伯さんの研究の話を聞きました。

    中国の歴史にとって塩は大変重要な役割を果たしているといった内容、私にはほとんど知識のない話で、大学の先生のすばらしい講義を独り占めしたかのような、至福の時間だったことを今でも鮮明に覚えています。

    以来、その中国の塩について、塩の徴税・専売の制度である「塩政」はずっと気になっていて、中国の歴史の本を読むたびに佐伯さんの研究書『中国塩政史の研究』が頭のすみをよぎるのでした。

    とはいうものの本格的な研究書、つまり論文集です。一般の書籍とは桁が違う高価なもので、たぶん購入しても読み切れないだろうなと正直、見送っていました。ところが岡本さんの著書です。アンダーラインが引いてあったということは2019年時点でもやはり気になったのでしょう。そして今回、ついに手を出しました。ただ、古書です。

    さて『中国塩政史の研究』、箱入りです。「塩と中国古代文明」「中世における塩政」「近世における塩政」などと章がたてられ、春秋戦国時代から漢、南北朝、唐、五代、宋、元、明、清などの各時代、王朝の塩政を詳細に調べ上げたもので、本文だけで約800ページ、やはりとても読み切れないでしょう。ただ、「緒論」「結論」だけ読んでも、中国史における塩政の重要さが十分に伝わってきます。(なにやら「あとがき」や「解説」だけ読んで宿題の読書感想文を書くかのようですね)

  • 2023.10.25

    忘れていました はまる警察・推理小説作家 ③

    はまってしまって次々と読んできた警察・推理小説、その作家として黒川博行さんを思い出し、米澤穂信さんの近刊『可燃物』も紹介しました。その米澤さんの過去作品を調べたら代表作ともいえるこれがありました。

    『満願』(新潮文庫、2017年)

    こちらも短編集。2014年の刊行で、その1年間に発刊されたミステリ作品のランキングで定評のある「ミステリが読みたい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「このミステリーがすごい!」の国内部門1位で史上初の3冠に輝いたと紹介されています。

    これらのランキングはそれなりにチェックしていて、すぐに引きずられて購入することも多く、『満願』も読んだような気もするのですが、文庫本になっていて安価なので、えいっと購入してしまいました。

    こちらは捜査一課の警部のように決まった主人公がいる短編集ではありませんでした。一部には警察官が出てきますが、外国で殺人事件を犯した商社員やフリーの記者、さらには弁護士が主役など、実に多彩な短編ばかりで結末も見事に描かれています(ミステリなので詳しくは書きません)

    読んでいて、少し話の先が読めるような感覚もあったので、やはり「再読」なのかとも思ったのですが、「再読しても楽しめる、それでこそエンターテインメント小説」という黒川作品の時の「言い訳」を繰り返しておきます。

    と、ここまで書いておいて実家の書棚で確認したら、『満願』の単行本、やっぱりありました。2014年3月の初版、11月になんと15刷の大ベストセラー、3冠達成もむべなるかな、です。ちなみに改めて購入した文庫本も19刷、ひえー。(ミステリランキングは年末に発表されるので、やはりそれを見て購入したのでしょう)

    米澤さん、すでにキャリアの長い作家ですが、改めて「おそるべし」です。

    余談ではありますが

    『可燃物』では群馬県警とはっきりと名前が出てきます。黒川作品でも実際に存在する大阪府警が使われます(所轄署は架空です)。事件の起きる現場の地名が実在の地名ならば、捜査をする警察も実在の名前を使わないとちぐはぐです。つまり東京が舞台の推理小説となると、それは「警視庁」が出てこないと不自然なわけです。

    一方で、警察捜査、あるいは警察署を舞台にした推理小説で、事件の起きる場所を架空の地方都市とするならば、「D県警」とか「F県警」とか仮名でいいわけで、そういった作品はたくさんあります。それだけに米澤さんがあえて群馬県警としたのは結構珍しいのではとも思います。

    その群馬県警ということで連想したのが横山秀夫さんです。『クライマーズ・ハイ』『64(ロクヨン)』などの作品で知られる作家で、その警察捜査や警察官、刑事らの人間像の描き方は実にリアルです。というのも横山さんは群馬県の新聞社の記者をされていた方、警察取材もしていたわけで当然といえばその通りなのですが、作品では「群馬」は使わず仮名のケースが多い。ご自身がこのキャリアだからこそ仮名にしたのかもしれませんね。

    新聞記者から警察ミステリ小説に転身というと、最近では堂場瞬一さんもいます。エッセイでは新潟で仕事をしていたと書いていたように記憶しているのですが、私が読んでいる限りでは、ご自身で新聞記者をしていたことはあまり触れていないようなので、どこの新聞社かは書きません。誰でも知っている全国紙です(毎日新聞社ではありません)。

  • 2023.10.24

    忘れていました はまる警察・推理小説作家 ②

    黒川博行さんのデビュー作『二度のお別れ』の発刊が1984年で私は仕事を始めたころ。最初に読んだ作品は覚えていないのですが、新作はそれなりにフォローしてきたつもりです。とはいえ、単行本が文庫本になって発刊される、さらには時がたって別の出版社の文庫にもなっている作品も多いようです。

    そんな文庫本を書店で見かけては「これ読んでたかな」と不安? になり購入、まあ、以前読んでいても内容まではそんなに覚えていないので十分楽しめて、後日書棚をみたら「すでにあった」、こんな例が結構ありました。黒川作品には限らないのですが。トホホですね。

    でも黒川さんら作家の方には申し訳ないのですが、読むときは夢中、勉強のために読むわけではないので読み終わったら忘れてしまう、そして再読しても楽しめる、それでこそエンターテインメント小説ではないでしょうか。言い訳がましいですがね。


    黒川さんの著作のうち文庫本。多くの作品が文庫本になっており、ほんの一部ですが、「はまる警察・推理小説 ①」でみていただた著作写真と見比べるとほとんどダブっていますね。とほほ。

    同じように刑事が主役の警察・推理小説ながら、黒川作品と好対照なのがこちら。今年のミステリ小説の中でかなりの評価を得るであろう作品です。

    『可燃物』(米澤穂信、文藝春秋、2023年)

    短編5編が収められています。いずれも舞台は群馬県警、警察組織の規模は黒川作品で頻出する大阪府警とはかなり異なります。その地方警察の県警捜査一課の警部、つまり強行事件を実質的に指揮する責任者が主人公です。部下を使い捜査を指揮していく立場、黒川作品は「使われる」部下が主人公であり、ところどころ上司の「評価」が語られたりします。作品によっては上司批判も飛び出します。

    一方の米澤作品での警部は部下に対して説明・言葉が少なく、自身の中で考えを巡らせ、ここぞというところで表に出して動き、事件を解決に導きます。本の帯には「彼らは葛(警部の名前)をよい上司だとは思っていないが、葛の捜査能力を疑う者は、一人もいない。」とあります。

    米澤さんは『黒牢城』(KADOKAWA、2021年)で直木賞を受賞しています(あっ、忘れていました、黒川さんも直木賞作家です)。黒牢城も推理小説のように謎解きなのですが舞台は戦国時代、織田信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重、囚人にして土牢に閉じ込められた黒田官兵衛らが登場する重厚な作品です。時代小説、歴史小説としてもいいような内容。そんな印象があったのでこの『可燃物』は驚きでした。

  • 2023.10.23

    忘れていました はまる警察・推理小説作家 ①

    警察・推理小説、ミステリに関して、国内作品で作家にこだわって読んでいるシリーズを以前紹介しました(9月20日「この夏の「一気よみ」その④」)。大沢在昌さんの「新宿鮫シリーズ」、今野敏さんの「隠蔽捜査シリーズ」をはじめとする警察捜査もの。深町秋生さんの型破りな捜査官・八神瑛子を主人公とする作品群などです。さらにさかのぼって5月16日には亡くなったハードボイルド作家、原寮さんについて書きました。この時には逢坂剛さん、東直己さんの名前をあげています

    逢坂さんは探偵・岡坂神策のシリーズのみならず不気味な犯人と公安警察との闘いを描く「百舌シリーズ」、悪徳警官の「禿鷹シリーズ」、刑事迷コンビがドタバタを繰り広げる「御茶ノ水警察」もの、さらには時代小説も多彩な作品があり、推理小説作家とのくくりでは失礼ではありますが。

    ところがつい先日読み終わったところで「これまでにあげた作家以上に読んでいる作家ではないか、大事な作家を忘れていた」と気づきました。

    『悪逆』(黒川博行、 朝日新聞出版、2023年)

    もちろん一気読みです、というか、読み終わるのが惜しくて毎日少しずつ、でした。大阪や京都など関西を舞台に人間くさい大阪府警の刑事コンビが昔ながらの足で稼ぐ捜査を通じて真相に迫っていく、いつもの「黒川節」炸裂、という感じで、楽しく読みました。

    黒川さんには警察小説、エンターテインメント小説として読ませる作品がたくさんあります。

    その作品群の特徴といえば、事件の素材、背景が異なって描かれていることがあげられるでしょう。ご自身が芸術系大学の卒業ということもあって初期の作品では芸術家、美術商、宝石商らが登場して作品の真贋や危ない取引などが描かれます。考古学、発掘の世界の暗部をとりあげるあたりは古墳の多い関西を舞台に書く黒川さんならでは。
    身代金目的誘拐、死体がバラバラで見つかる殺人事件、現金輸送車襲撃事件などは「刑事もの」定番の素材ですね。

    また『後妻業』(文藝春秋、2014年)では高齢資産家に遺産目当てに近づいて結婚し、資産家を殺害して遺産を手にする犯罪者の世界を描きました。ちょうど同じ時期に、現実の社会で小説のような事件が起き、犯罪なので職業ではありえないのですが、後妻業という言葉が使われ、注目されました。

    最新作の『悪逆』ではマルチ商法で莫大な利益をあげた人物や新興宗教教団の腐敗などが描かれ、ここでもやはり世相をきちんととらえています。

    刑事ばかりでなく「ワル」も

    一方で、建築コンサルタントと組織に属さないヤクザとが一攫千金をもくろんで暴力団などを向こうに回して暴れまわる「疫病神シリーズ」では主人公が北朝鮮に潜入したり、東京を舞台に新興宗教に群がる人物と渡り合うなどします。

    刑事が登場する、いわば「正義が勝つ」小説に比べ、こちらは金融詐欺や産業廃棄物処理をめぐる利権を「かすめとってしまおう」という、まっとうな市民ではない「ワル」が主役なのですが、彼らがねらう相手が反社会的な人物ということもあって、つい「ワル」に感情移入し、「応援」したくなってしまうところが人気の秘密でしょう。

    こちらのシリーズも主舞台は関西で、主人公たちは関西、大阪の方言をしゃべります。黒川作品の多くの書評が、この関西ことばによる刑事や主人公のやりとりの面白さをあげます。それは間違いないのでしょう、とはいえ、あまりしつこく、くどいのも逆効果では、などと心配もしてしまうのですが、これだけの作品群が読まれているのですから、やはり作者の巧さなのでしょう。


    黒川さんの著作。手前の床にならんでいるものもそうです。整理ができていない乱雑な書棚で恐縮です。

    いつも感じてはいるのですが、刑事二人がコツコツと捜査をしながら、きちんと生活をしている、例えばちゃんと昼食、夕食をとる、そんな場面がさりげなく、必ず書き込まれます。大阪の名物を「食べ歩く」かのようです(もちろん庶民的な食べ物ですよ)。けっして「食事を抜いてでも捜査に打ち込む」といったストイックな刑事でないところに好感がもてますし、二人が「何を食べようか」と相談するシーンなどは東京言葉でやったら嫌味だろうな、などとも思います。

    このように事件の流れや捜査の進展といった本筋とは直接関係のないところに食事シーンが挿入される小説として、すぐに池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズを思い浮かべました。池波は食べ物に関するエッセイなども多く、「鬼平」に登場する「江戸の食べ物」はそれだけで別の本になるほど、「鬼平」の魅力の一つとして知られています。

  • 2023.10.20

    足利将軍も15人いた ③

    山田康弘さんは『足利将軍たちの戦国乱世』の中で、戦国期日本列島社会の「天下」について「闘争・分裂」「協調・まとまり」「世論・規範の縛り」の三つの側面があったと述べています。この考え方をとるにあたって「現代の国際社会についても、このような力と利益、価値という三つの側面があると指摘されている」として、以下のような文献から引用します。

    「各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である。したがって、国家間の関係はこの三つのレベルで関係がからみあった複雑な関係である」(高坂正堯『国際政治』)

    いやいや、日本中世史の本のここで高坂さんの名前を目にするとは思いもよらなかったです。

    高坂さんについて私は学生時代、政権に近い学者との印象を持っていて、食わず嫌いのところがありました。近年、筆者の服部さんはしっかりとした著作を残している方ということもあって、以下を読みました。

    『高坂正堯--戦後日本と現実主義』 (服部龍二、中公新書、2018年)

    高坂さんが京都大学の教授だった時に一度お会いしてお話をうかがったことがあります。すでに高名な学者でしたが、京都言葉で気さくに話をしていただいたことを覚えています。そこでかつての印象は少し変わったのですが(単純ですね)、服部さんの著作は高坂さんの仕事をわかりやすくまとめていて、さらに印象が変わりました。

    さらに、おもいっきり脱線します

    山田さんは「あとがき」で歴史に学ぶ意味をこんなふうに書いています。

    「歴史学は、過去の事実をただ明らかにするだけ、という学問ではない。過去の事実を解明することは、歴史学の手段であって目的ではない。では、目的はなにか。それは過去を知り、そしてこの過去を使って現代をより深く知る、ということである。」
    そして
    「歴史とは・・・現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。ーーE・H・カー」
    と締めくくります。
    「おお、カーですか」という感じです。

    『歴史とは何か』(E.H.カー、清水幾太郎訳、岩波新書、1962年)
    『歴史とは何か 新版』(E.H.カー、近藤和彦訳、岩波書店、2022年)

    この『歴史とは何か』は私たちの世代の学生時代、歴史を学ぶ際の「必読書」とされていた著作です。昨年新版が発刊され、話題になり、読みました。旧版も読んだと思うのですが書棚で見つからず、改めて購入しました。2022年発行が第95刷、ロングセラーですね。
    原著はカーがイギリス、ケンブリッジ大学で行った講演記録をもとにしているので、どちらの版も「ですます調」で訳されています。

    新版を訳した近藤さんへのインタビュー記事が朝日新聞デジタル版に載っています。
    近藤さんはイギリス近世史、近代史の専門家で、カーがいたケンブリッジ大学に留学し、英国の知的世界を体感した、といいます。その経験から「向こうの学者には絶えず冗談や皮肉を言い合っているような雰囲気があり、隠れたニュアンスもある」と前置きしたうえで、そのカーの講演は「密度が高く舌鋒(ぜっぽう)鋭い発言、ときにウィットのきいた冗談や皮肉で聴衆を笑わせながら回を重ねた。毎回最後は決めぜりふで締めくくっている」。
    新たに訳すにあたっては「カーの口ぶりを伝えようと(笑)という表現も各所に織り交ぜた」と話しています。

    さてこの著作で必ずといっていいほど引用されるのが、山田さんも「あとがき」で引用しているところです。もっとざっくりと「歴史は現在と過去のあいだの対話である」と紹介されることがあるのですが、清水訳と近藤訳を比較してみます。

    清水訳
    そこで、「歴史とは何か」に対する私の最初のお答えを申し上げることにいたしましょう。歴史とは歴史家と事実の間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。

    近藤訳
    したがって、ここまでのところ、「歴史とは何か」という問いにたいするわたしの最初の答えは、こうなります。歴史とは、歴史家とその事実の間の相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去の間の終わりのない対話なのです。 

    いかがでしょうか。山田さんは清水訳で引用しているようです。

    「不断の過程」と「絶え間ないプロセス」、「尽きることを知らぬ対話」と「終わりのない対話」、清水訳より近藤訳のほうが話し言葉というか、耳から入るならこちら、という気もしますし、昭和を代表する哲学者、社会学者の一人である清水幾多郎の岩波新書なら、この訳だろうなと納得もします。

    ちなみに原著は以下のようだそうです。(現物にあたっていません、孫引きです)

    My first answer therefore to the question‘What is history?’is that it is a continuous process of interaction between the historian and his facts,an unending dialogue between the present and the past. 

    筆者の山田さんは足利将軍、特に戦国時代の足利将軍についての研究を専門としている方のようで、これまでの著書をみると一般向けといえるのはこの新書が初めてといっていいようです。

    それだけに力が入ったのか、高坂さんが出てきたり、あとがきでE.H.カーを引用しているのかと想像すると、微笑ましい。まだお若い方なので、あえてこのような生意気な感想でしめくくります。今後の仕事、著作が楽しみな研究者にまた一人、出会えました。