2024.01.15
1年生の生徒さんからうれしい年賀状をいただきました。「方正利大」という四字熟語が書かれています。創作してくれたのでしょう。何が驚いたかって私の名前「正利」が組み込まれていることです。聞くと、他の先生方にも同じように名前を織り込んだ四字熟語を書いた便りを贈っているそうです。
まだ1年生、文芸部に所属しているとのこと、なるほど。
「方正利大」の下には「心が美しく 真っ直ぐなさま」と書いてあります。このような意味合い、とのことなのでしょう。いただいた言葉に恥じないように精進します。
追記として、このブログも読んでいただいているとありました。さらに嬉しい!
2024.01.12
京都の現状を知るための要素の一つとして、隣接の滋賀の存在があるということが有賀徹さんの『京都 未完の産業都市のゆくえ』から浮かび上がってきました。さてその滋賀について関西のベッドタウン的な紹介もしましたが、実は全く別の「顔」も持っていることを改めて知りました。『京都 未完の産業都市のゆくえ』から引きます。
「京都の新興企業の成長はむしろ滋賀の急速な製造業の成長に貢献することになった。ちなみに、現在でも滋賀県は県内総生産に占める製造業比率が43・6%と全国1位である」
確かに言われてみると東海道新幹線で滋賀県内を通ったり、名神高速道路を走ったりすると、大きな工場が目に入ります。その新幹線、滋賀県内の駅は県のかなり東寄りの米原だけということもあって、一時、県中心部の栗東あたりに新駅をという構想がかなり具体化しました。このような製造業関連で新幹線駅への期待があったのだろうと今になって想像します。
「新興企業が多く生まれる一方、成長するにつれて市外に発展の途を求めるような町を、ゆりかご都市(Nursery City)と呼ぶが、京都はその特徴を持つ」
と説明されています。
京都には京都発祥の新興企業がたくさんあるのですが、実はその多くが京都の中心部に本社や工場を持っておらず、中心部から少し離れた南部、西部に会社工場があります。有賀さんはこの地域を「南西回廊」と名付けます。南西回廊は鉄道や高速道路網で大阪や滋賀とスムーズに結びついています。新しい工場をつくろうと考えると、ネットワークが作りやすい滋賀も候補地としてあがるわけです。「ゆりかご」、つまり始まりは京都でも、成長すると外に出て行ってしまう、ここでも京都は「逃げられている」わけです。
有賀さんの本には出てきませんが、大学事情もそうかもしれません。京都市内の大学が新しいキャンパスを滋賀県内に広げています。もちろん広範囲から学生に来てもらおうという戦略はあるのでしょうが、京都市内には校舎や研究施設を広げる用地がないという事情もあるでしょう。交通の便がいいので移動にさほど時間がかからないという交通網の強みも後押ししていることは間違いありません。
「京都の職業分布」という興味深いデータが示されています。日本の就業人口のうちの240の小分類職種を用いて、京都で平均より多い職種があげられています。
「大学教員(4.07%)、バーデンダー(3.86%)、物品一時預かり人(3.57%)、人文・社会科学系研究者(3.13%)、紡績・衣服・繊維製品製造(3.07%)、印刷・製本検査従事者(2.87%)、彫刻家・画家、工芸美術家(2.74%)」
「大学教員」「人文・社会科学系研究者」は大学が多い、学生が多い街を裏付けるでしょうし、「彫刻家・画家、工芸美術家」も大学との関連、さらに多くの寺社、文化財があることによるのでしょう。「物品一時預かり人」は「えっ」という感じですが、あくまでも比率でのこと、それにしても観光関連でしょう。紡績・衣服・繊維製品製造は「西陣」「友禅」の伝統を引き継ぐものと理解され、その仕事につく人が多い、にもかわらず、それが「ゆりかご都市」と結びつかないのです。
このことは、いわゆる京都の「町衆」と密接にかかわります。「町衆」とは
「京都の近代の歩みの中心であるいわゆる京の町衆の重要性についてである。町衆とは平たく言えば、中小の自営業者とその家族である。町衆は、祇園祭はいうまでもなく、中世末期から江戸期以降は京都の町の自治組織の中心であり、少なくとも近世以降の京都の歴史と伝統の体現者でもある」
京都の歴史を語るうえで絶対に欠かせない視点なのですが、その説明は容易ではありません。有賀さんの著作の副題「未完の産業都市」、つまり京都が産業都市になりきれなかったことを考えるうえで町衆の理解は欠かせないことが力説されている、というあたりにとどめておきます。
2024.01.11
『京都 未完の産業都市のゆくえ』(有賀徹、新潮選書、2023年)をとりあげて、どうしてこの本なのかを「京都は産業都市か ①」(1月9日付)で長々と書いてしまいました。内容に入っていきます。この本は「京都の近代を考える」ということなので、たくさんの切り口が想定されます。有賀さん自身が「本書の内容が多岐にわたる」と書くように、各章のタイトルが「京都の経済地理」「京都の町と社会」「京都の町の変容と人口移動」「ゆりかご都市京都」「住む町京都」「観る町京都」とそれぞれで1冊の本が書けそうです。
と言いながら、突然、話題が飛びます。
本校所在の埼玉県の広報紙「彩の国だより」は毎月新聞各紙朝刊にはさみ込んで届けられるのですが、12月号をみて驚きました。映画『翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて』が劇場公開にあわせて大々的に取り上げられていたからです。
「空前の“埼玉ブーム”を巻き起こした大ヒット映画『翔んで埼玉』の続編がついに公開。これを機に、埼玉愛をさらに高めて、埼玉を熱く盛り上げていきましょう」
こんな呼びかけ文章が載っていて、自治体の広報紙としては結構「とんでいる」ようでちょっと笑ってしまいました。
じつはこの映画(続編)で一番気になっていたのは、今回は埼玉だけでなく滋賀、和歌山も舞台になっているということでした。東京に比べての埼玉というのが大前提になっていた前作でしたが、関西に目を向けると大阪、神戸、京都といった都会と比べての滋賀や和歌山といった位置づけが重なってくるということなのでしょう。
そう滋賀県です。
映画のサブタイトルにもあるように滋賀県と聞くと、日本一大きな湖、琵琶湖を思い浮かべる人が多いでしょう。有名観光地はどこかとなると一つに絞るのはなかなか難しいかもしれません、比叡山延暦寺があるのですが、多くの人が京都と思っているでしょう(所在地は滋賀県です)。便利さでは首都圏の鉄道を凌駕するといったもいい関西圏の鉄道網のおかげて滋賀県は大阪や京都の通勤圏になっています。このあたりは埼玉と重なってきます。
映画の話題からそんなことを考えていた時に、有賀さんの著作で滋賀が出てきました。
「京都市の人口140万程度に対し、大学生・大学院生は約15万人と10%強を占める。また、毎年約2万5000人の学生が京都の大学に入学することから、凡そ毎年2万人程度の府外出身者が京都の大学に入学すると推定される」
ところが
「そのうち府内で職を見つけるものはせいぜい10%程度であり、京都は最も重要な社会移動の契機において、明らかに見劣りする選択肢と考えられている」
つまり「学生の街」でありながら、その学生が卒業すると京都に残らないというわけです。加えて
「20代後半から30代にかけての年齢層でも京都は流出が流入を上回る」
「要するに、京都は高校・大学の年齢層で大幅な人口流入を経験するものの、卒業時にはその大半を東京と大阪に失い、更に20代後半から40代前半の階層を滋賀や大阪に移住するパターンで失っていることがわかる」
「京都市の人口動態は、京都が新たな職や結婚後の住まいを探す世代には概して不評であることを明確に示すものであり、それはとりもなおさず、京都という町が、大学都市を超えて、移住を促す要因に欠けることを示すともいえよう」
京都は若い人が住む街でなく(住みにくい街で)、若い人たちは滋賀県などに「住まい」を見つけていく、という分析です。
ただここで注意したいのは、東京に職場があるが都内には住まない、あるいは地価や家賃などを考えると都内には住めない、なので埼玉や千葉で住まいを見つけるというのが首都圏住宅事情だとすると、それと比べた場合、有賀さんが書くところの「京都が新たな職や結婚後の住まいを探す世代には概して不評」というのはかなり深刻な問題だとも言えそうです。
「(京都市の)人口減少数は3年連続で全国1位だ。背景の一つが、古都の景観を守るための高層マンションの建築規制だ。地価が高騰し、子育て世代が隣接する大津市などに流出。京都は大学の街としても知られるが、学生の大半は卒業とともに市外に引っ越してしまう。50年には現在より20万人以上減少し、124万人に落ち込む見通しだ」
公的機関のデータでも有賀さんの分析は裏付けられているわけです。というか、この本がきちんとしたデータをもとに書かれていることの証拠と言ってもいいでしょう。
映画『翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて』の公式サイトはこちら
「国立社会保障・人口問題研究所」が発表した『日本の地域別将来推計人口(令和5(2023)年推計)』はこちら
この推計によると2050年には2020年比で全国で17%人口が減少、人口が増える都道府県は東京都のみで2.5%増。埼玉県は734.5万人(2020年)が663.4万人に9.7%減少すると推計されています。
2024.01.10
歌手の八代亜紀さんの訃報が10日の新聞各紙で伝えられていました(亡くなったのは昨年12月30日)。毎日新聞には「「舟唄」「雨の慕情」などで知られる演歌歌手」とあり、朝日新聞でも「「演歌の女王」と呼ばれた」とあるように、まず「演歌」と結びつけられるのはこれは当然です。音楽ジャンルでは好き嫌いなく聴いてきたつもりですが、私が所有している八代亜紀さんのアルバム(CD)は「八代亜紀と素敵な紳士の音楽会 LIVE IN QUEST」。
通販サイトの商品説明によると
「本作は1997年に原宿のクエストホールで行われたワンナイト・コンサートのライブ盤(’98年1月発売)の再発盤。日本の至宝ともいえる豪華なメンバーをバックに、クラブ・シンガー出身の八代亜紀がジャズのスタンダード・ナンバーを歌います」
そう、朝日新聞の記事には
「活躍の場は演歌にとどまらず、ジャズアルバムを出したり、ジャス歌手として米ニューヨークで公演を開いたりした」
とあります(毎日新聞ではジャスもレパートリーとしたことにはふれていませんでした)。そんなジャズアルバムの1枚です。
そういう私自身も八代亜紀さんの経歴をきちんと知っていたわけではなく、「(あの)演歌の八代亜紀がジャズ?」程度の興味でこのCDを購入したようにも記憶しています。「日本の至宝ともいえる豪華なメンバー」とあるように北村英治 (Clarinet)、世良譲(Piano)、ジョージ川口(Drums)、水橋孝(Bass)とクレジットされていて、たいしてジャズに詳しくない私でも知っている方々です。
演奏されている曲をみると、昨年11月の本校の芸術鑑賞会でも聴いた「SING SING SING」はじめスタンダート曲が揃い、そうそう「舟唄」も「雨の慕情」も披露しています。もちろんアレンジは大きく異なるわけですけどね。
八代さんとジャズとは全く異なるところで八代亜紀さんの歌の一番の思い出は、実は日本映画の一コマ。もう完全に昭和生まれ老人の繰り言です。
1981年に劇場公開された「駅 STATION」。高倉健演じる警察官が年末の帰省途中、大雪のため船が欠航した港で居酒屋に入ります。他にお客はなく、倍賞千恵子演じる店主がテレビを見ながら「この唄好きなの、わたし」とつぶやく。それが八代亜紀さんの「舟唄」。
ウエブのフリー百科事典「ウィキペディア」で「駅 STATION」を検索したら「概要」としてこうありました。
北海道・増毛町、雄冬岬、札幌市などを舞台に、様々な人間模様を描き出した名作である。劇中に八代亜紀の代表曲「舟唄」が印象的に使用されていることでも知られている。
みんな思うことは一緒ですね。
2024.01.09
ということで2024年の最初にとりあげるのは「京都」です。
いやあ、久しぶりに京都関連で刺激的な、大いに勉強になる本に出合いました--というのは結構きれいごとの感想で、読んでいて「情けなさ」が消えませんでした。こんな見方があったんだ、自分はこんなことも知らなかったんだと。
30年も前のことですが、新聞記者として京都で5年半仕事をしました。もちろん京都人ではなく、一時的に通り過ぎるだけの街だったのですが、生意気にも、魅力あふれる奥の深い街の実像をどうつかもうか、この街はどう変わっていこうとしているのか、どう変わればいいのかなどを考えながら情報発信していくことが記者の仕事だと考えていたわけです。その前提としての知識がいかに表面的であったかと、おおげさに言えば打ちのめされました。
もちろん、私の取材対象であった「京都」は30年前の「京都」なので、知らなかったこともそれはあるだろう、30年で変わったことも、またたくさんあるだろうとの言い訳は可能かもしれませんが、有賀さんのこの著作は明治以降、近代の京都を対象としているので、30年前の京都もその中に入っているわけ、やはり気持ちは複雑です。
前置きが長くなりました。このような私的な感慨はおいておくとしても、やはり面白い本です。簡単にまとめきれないくらい多岐にわたるテーマを掲げています。精緻なデータにもとづいて、知らなかった京都 誤解されている京都が「これでもか」と紹介されている、といったところでしょうか。
どう書くか迷っていたら、実に的確な「まとめ」が見つかりました。
この本を発行している新潮社のウエブサイト「情報誌フォーサイト」で、今の京都を語るうえで欠かせないこの人、井上章一さん(国際日本文化研究センター所長)が筆者の有賀さんと対談した記事が掲載されていました。
対談のタイトルは「「京都」はなぜ経済的に未発達なのか――未来の都市として再生するための処方箋」、著書については「「京都」はなぜ日本の中心都市から脱落したのか――「京都」礼賛一辺倒に疑問を持つ京大出身の経済学者・有賀健氏が、この町の近現代の軌跡を統計データを駆使して分析した『京都 未完の産業都市のゆくえ』」と紹介されています。
この対談そのものも、阪神タイガースファン同士としてのやりとりなどが面白いのですが、きりがないので、興味のある方はウエブサイトをチェックしていただくとして、井上さんの有賀本評価を引用します。
京都を分析するにあたり、本書ではたびたび、大阪はどうだったかが検討されます。これまでの研究を振り返ってみると、大阪の都市史であれば、宮本又次・宮本又郎父子、作道洋太郎などの諸先生方を始めとして経済学畑による研究の蓄積があるのですが、京都に挑む人はどうしても日本史畑の研究者が多かった。本庄栄治郎さんの『西陣研究』のような例もありますが、経済学者がそそられるのは比較的オーソドックスな近代化の道を辿った大阪で、手薄になっていた関西のもう一つの都市に有賀さんが統計資料を駆使して踏み込んでくださった。おかげで、ステレオタイプではない京都の近現代像を見ることができたのではないかと思います。
「食べログ」や「一休.com」などのウェブサイトを元に、レストランや小料理屋の店舗がどう集積し、京料理が20世紀末からどのように飛躍的な技術革新を遂げたかを描いていますが、祇園や先斗町などが「小料理屋のシリコンバレー」になっているという指摘も、なるほどと膝を打ちました。統計的データに裏付けられた分析には、有無を言わさぬ説得力がありますね。
井上さんの指摘について、有賀さんは著書ではこういう言い方をしています。
「現代の京都について決まり文句のように繰り返される表現の実証的な根拠が贔屓目に見ても薄弱であり、厳密な統計的検証を経たものではない」
京都に関心がない人にとっては、なんでそんなに思い入れが強いのかという話が続きます。京都という都市から見えてくる都市全般の課題、さらには最近いわれるオーバーツーリズムなどにもふれながら、マニアックにならないよう紹介をしていきます。
新潮社のウエブサイト、有賀さんと井上さんの対談はこちらから
2023.12.28
この「古典を学ぶ」とは①で投げかけられた「古典を学ぶ価値や意味はあるのか」という問い。近代明治になって「古典的公共圏」が没落してしまった、そして迎えている現代。古典を学ぶ意義をどう考えたらいいのか。『古典と日本人』(光文社新書)の筆者、前田雅之さんは力説します。
「私たちは、生きた歴史に戻り、体験するために、改めて古典を読む必要があるのではないか。なぜならそこには時代時代の人たちが記した、言説としての生の歴史があるからである」
「古典語で記された古典によって、私たちは、言語的感性の連続性をおのが心身に身につけることができるのである」
「古典とははるか昔の出来事や物語を記したものであり、言ってみれば、現在の私たちにとって、明確な他者である。他者としての古典を背負っているのが私たちなのである。だが、古典は他者であるからこそ、現代の読者である私をも相対化しうる。(略)私の周囲にある他者、これから迫りつつある未来という他者に対して、古典という他者の目を通して、外界・未来を相対化しえたら、地に足がついたさらなる覚悟が生まれるのではあるまいか」
「古典・古典語をもつ国・地域に生まれ育った人間は、古典を<宿命>として背負っていくしかないのである」
「<宿命>を背負って、明るく未来に向かって生きる。古典とはそのような指針となり、他者としての友となってくれるありがたい存在なのである」
読み終わって、この著書をどうまとめようかと少し時間をおいていたら、思わぬ出会いがありました。
戦国時代の武将、北条早雲の一代記。1982~83年に新聞連載された長編時代小説です。まだ読んでいなかったかと手にとったのですが、文庫本中巻にこんなくだりがありました。
「この時代(室町時代後期)、教養には三つの柱があった。二つは「儒仏」である。しかし儒教と仏教だけでは一人前とはされず、「歌学」がことさらに重んじられた。歌学とは、日本語としての磨かれた詩藻、もしくはおのれの詩藻のみがきかたといっていい。詩藻の原典とされたのは、散文としては『源氏物語』、詩としては『古今』『新古今』の二つの歌集で、この三つに通じなければ一人前の士ではないとされた。このため、諸国の守護はその祖は草深い田舎武士であったが、あらそって歌学の師をまねいて『源氏』『古今・新古今』を学んだ」(詩藻=しそう=は詩歌や文章のこと)
細かい点やニュアンスは異なるものの、これって「古典的公共圏」の説明そのものですよね。もちろん学術的に説明しようとすると前田さんのような「定義」が必要とされるわけですが、司馬さんのこの表現でもいわんとするところは通じるわけです。
注意したいのは、司馬さんは「教養」の一つとしての古典、という言い方をしています。教養をどう定義するかというのは結構難しく、私自身も前田さんのこの著作を読みながら、つまり「教養だよね」と感じてはいました。
ただ、教養だから古典が大事だと言ってしまうのは簡単ですが、そもそも「教養」が冷ややかに受け止められる残念な時代になっている以上、「教養」を掲げても説得力がない、いちから説かないとダメなんだと、読後考え直しました。逆に、教養とは何かを考える手掛かりもなりますね。
で、はい、来年のNHK大河ドラマはなんと前田さんがいう「古典の中の古典」の一つ、『源氏物語』の作者、紫式部が主人公です。
大河ドラマは毎年、関連本がたくさん出版されます。この前田さんの本『古典と日本人』の発行はほぼ1年前、「古典的公共圏」についての本を10年ほど前から出したいと願っていたと「おわりに」に書かれているので、大河ドラマを意識したわけではないでしょうし、源氏物語や紫式部について特段詳しく書いてあるわけではありません。
私自身も発行後比較的すぐに購入しましたが、「積ん読」になっていて、そうだ大河ドラマだと、あわてて読んだというのが正直なところ。というわけで、しっかり大河ドラマは意識しています。関連本も購入し始めています。
ということで来年につなげます。
年末まで読んでいただきありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
2023.12.27
鎌倉時代に、古典及び和歌が公共圏として位置付けられる、とありました。『古典と日本人 「古典的公共圏」の栄光と没落』の副題にあるここで「公共圏」という言葉が出てきます。
筆者の前田雅之さんは以下のように定義します。
「古典的公共圏とは、古典的書物(『古今集』・『伊勢物語』・『源氏物語』・『和漢朗詠集』)の素養・リテラシーと、和歌(主として題詠和歌・本歌取り)の知識・詠作能力とによって、社会の支配集団=「公」秩序(院・天皇--公家・武家・寺家の諸権門)の構成員が文化的に連結されている状態をいう」
きれいな定義(あたり前ですが)ですが、乱暴な言い方だと「古今集とか伊勢、源氏などを読んで知っていて、和歌もそれなりに作れるということが社会の支配層には必要な能力。それがないと支配層に入れないし、そこで生き延びることはできないよ」ということですね。
そしてこの
「古典的公共圏はおそらく後嵯峨院時代(一二四六~一二七二)に成立したと思われる」「そして、これはなんと明治維新まで維持されていくのである」
「その後の日本の歴史はいわば激動の波が何度も押し寄せてくる」と前田さんが書くように、「後嵯峨院時代のような安寧の時代」は終わり、鎌倉幕府が倒れて室町時代に、そして戦国時代・江戸時代に変わっていく中で、「古典どころではないだろう」と思いがちですが
「古典的公共圏は弱くなるどころか、ますます磨きを掛けて強くなっていくのである」
平安京の貴族は「それはそうでしょう」とわかりやすいが、満足に字も書けないとか「雅」とか「和歌」とかからはほど遠い印象を持たれがちの武士たちがかえって古典に憧れ、古典を必要としたというのも「なるほど」です。さらに、古今集の読み方、解釈の仕方を口伝えで後世に伝える「古今伝授」を受けていた戦国武将・細川幽斎が城を囲まれピンチ、という時に、「古今伝授」が途切れてしまうと時の天皇のひと声で戦いが終わってしまった話などは象徴的なエピソードですよね。
本の副題にあるように、その「古典的公共圏」は明治になって没落してしまうわけです。
「前近代の教育・教養は(略)、古典的公共圏の一員となるべく用意かつ展開がなされてきた。(略)和歌が詠めて古典を体得し、漢詩文も解しかつものせる人間にすることが教育の目的であり、それらはそのまま教養であった。いっぱしの教養人を養成する、これが前近代の教育だったのだ」
「だが、明治以降は教育そのものが激変したのである」
「近代とは、それまでの日本にしかと存在した古典的公共圏とは相容れない世界である。幕末までしっかりと残っていた古典的公共圏は(略)明治の中期にはほぼ全面的に崩壊してしまった」
さらに古典(古文・漢文)が学校教育で国語科の一科目として定着したことについて前田さんは疑問を投げかけます。
「古文・漢文が教育内容として排除されなかったことではよかったと言えるかもしれない」
「だが、古典((古文・漢文)が国語科の一科目になったということ、それ自体が古典にとっては大いなる不幸、あるいは、地位下落だったのではあるまいか」
「古典の習得ではなく、古典が成績評価の一つになったのである。これでは古典は得意科目、苦手科目という狭い範疇の中に追いやられてしまう。いわゆる古典の価値は、事実上なくなったと言うべきであろう」
「科目として残ったし、入試に出題されるので、やむなく勉強しなければならない。どちらかと言えば、避けたい、触れたくない科目になったということだ」
2023.12.26
『古典と日本人 「古典的公共圏」の栄光と没落』で筆者の前田雅之さんがあげた「日本における古典の中の古典」は以下の通りです。
「えっ、どうして」と疑問を持ちませんか。私はけっこう驚きでした。
「いずれも文学書であり、しかも、いずれも和歌・漢詩句の集成および和歌を大量にもつ散文であった」
つまり、先に引用したように、「和漢」という二つの古典・古典語の間には価値の差異がないという日本だけが持つ特徴が表れている作品、ということになります。
④和漢朗詠集はちょっとなじみがないかもしれませんね。私もほとんど目にしたことはないです(つまり読んだこともない)
「『和漢朗詠集』は、『源氏物語』や『伊勢物語』に引用される多くの漢詩句の典拠であったばかりではなく、江戸末期に至るまで実に多くの写本が生まれ、江戸時代にはさまざまな形で版本となった。その数は、代表的なものだけでも五〇を超えるほどであった。実によく読まれた古典だったのである」
この四作品を古典の中の古典とする理由ですが、現代のベストセラーのように本が印刷された時代ではないので、何万部売れたとか読まれたとかで評価することはできません。
前田さんは「端的な理由」として以下のように書きます。
「最も多くの写本・版本が残り、四つの書物に関する注釈書が平安末期から江戸末期まで営々と作られ、パロディーや絵画資料を含めて大量の複製作品が生み出されてきたからである」
これは決して日本特有のことではないと、前田さんは別の言い方もしています。
「一般社会通念としての「古典」とは、歴史という長い時間の中で、他者の視線に耐え抜いた書物を指すことが支配的なのである」
「注釈や注釈書をもつ権威を有する書物が古典であったという明確な事実である。その点は、文明社会間の差異を超えて一切のぶれがない」
「『古今集』『源氏物語』『和漢朗詠集』、遅れて『伊勢物語』の注釈が始まったが、注釈が全面展開していくのは、鎌倉中期から南北朝時代を経て、室町期になってからである」
「それでは、鎌倉前期において起こった問題は何か。それは、古典本文の校訂等を受けて古典および和歌が公共圏として位置づけられていくことである」
校訂とは「一つの古典のいろいろの本をくらべて、正しい形をしめすこと」(三省堂国語辞典7版)、印刷できない以上、作品は人の手によって写されます。当然写し間違いが起きる、また、意図的に書き換えてしまうこともあるでしょう。
そのようないくつもの写本をくらべて、おそらくもともとはこうであったろうと整理するのが校訂、そして、わかりにくい部分に注釈(説明・解説)がつくと、より読みやすくなり理解が深まる。人気がある(読みたいという需要がある)から校訂をし、注釈がつけられる、それによっていっそう読みやすくなり、さらに読者が増える、という循環ですね。
2023.12.25
「古典を学ぶ価値や意味はあるのか」と、今回紹介する本ではいきなりストレートな問いが投げかけられます。学校教育の現場でずっと言われ続けてきた問い、といったら担当の教員に叱られるでしょうか。
筆者の前田さんは
「世間を生きる大部分の人たちにとって、古典(古文・漢文)とは訳の分からないもの、少しまじめな人でも、中間期末試験に際して、現代語訳を覚えるもの・・・」
ほらほら、もううなずいてませんか、さらに
「苦痛の記憶として認識されているのではあるまいか」
「古文・漢文を苦手とする割合が高い理系の人たちにとって、古典は不俱戴天の、あるいは抹殺したい敵であったに違いない」
ここまで言われ、書かれてしまいます。もちろん、このような本が書かれるわけですから、いやいやそうではない、という内容なわけです。
古典教育に関する批判は明治時代からあった。
「学校教育制度が整備されたり、国文学なる学問が成立したる時期に照準をあわせるように、早くも古典教育批判は始まっていた」
前田さんはこの古典教育批判の長い歴史に向き合います。そして
「日本という国に生まれ生きるということは、古典・古典語という文化的伝統をもった国に生まれ生きるということを意味する。これを勝手に拒むのは自由だが、ある意味で避けられないのである。(略)古典・古典語をもった国・地域に生まれた人間にとって古典とは<宿命>であるとだけ述べておこう」
と力強く宣言するのです。
ここでいう文化的伝統ですが
「前近代の世界は、古典・古典語をもつ国・地域とそうでない国・地域とに分かれている」
この古典・古典語を持つ国・地域として、日本が入る「漢文文化圏」をはじめ、「アラビア語文化圏」、ヨーロッパの「ラテン語文化圏」などが例示されます。ちなみに、古典・古典語をもたない国・地域は中南米のマヤ文明やインカ帝国、サハラ以南のアフリカの諸王国があげられています。
そして
「そうした中で、「和漢」二つの古典をもつ日本は特異な位置づけにある国だと言ってよい。というのも、日本の「和漢」という二つの古典・古典語の間には価値の差異がさして見られないからである」
このような特徴を持つ日本の古典・古典語をもっと重要視しないといけないと前田さんは強調しているわけです。
その前田さん、日本における古典の中の古典を四書あげます。さてなんだと思いますか。教科書で習った作品などを思い浮かべ、考えてみてください。
ジャンルでは一番多いであろう歴史関連、ミステリ・推理小説、さらには鉄道関連、時おり音楽の話もまじえながら今年4月から書き綴ってきましたが、ここで古典(古文・漢文)に関する本をとりあげます。
「えっ、なんで」という感想をもたれるかもしれません。ほぼほぼ年の瀬、来年を見越しての「本選び」、見当をつけていただいたでしょうか。お答えは、この項の最終日に。
2023.12.23
23日は2学期の終業式。諸般の事情から校内放送で生徒のみなさんに少し話をさせていただきました。
内容については学校ホームページの新着ニュースで紹介しています。こちらからどうぞ。
年末のニュースとしてはおなじみの「今年の漢字」の話をしました。「税」でしたね。式後、読ませていただいた1学年のあるクラスの学級通信にこんな話が載っていました。
担任が生徒たちに「今年1年を漢字で例えると何ですか」と質問、その答えがいくつか紹介されています。
多かったのが「初」「新」、1年生です、「初めての高校生活、初めて出会う友人、初めてが多かった」と担任がコメントしています。
さらに「楽」は「らく」でなく「楽しい」の方とのこと。東野高校に入学して楽しかったと感じてもらえたらこんな嬉しいことはありません。
そのほかに「伸」(成績の伸び)「考」(高校生になって考えることが増えた)「努」などもあったとのこと。頼もしいです。