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BLOG校長ブログ

2023年の記事

  • 2023.12.02

    脳はまちがえていい ②

    『まちがえる脳』の中で櫻井芳雄さんが繰り返し強調するのは、脳についてはまだわからないことだらけということです。

    「本書の目的は脳の実態を伝えることであるが、同時に、AIは脳に近づき心が宿ると信じている研究者のように、脳はもうわかっている、という誤解を解くことも目的にしている」

    そこで、脳を安易にコンピュータやAIと比べたりするような研究に対してきちんと反論するわけです。さらに「迷信を超えて」という一章をもうけてもいます。例えば、大脳の左半球と右半球は働きが異なる(半球機能差がある)という「説」をとりあげます。

    「左脳人間と右脳人間に分けたり、論理能力を高めるため左脳を鍛え、感性を高めるため右脳を鍛えます、などとうたうビジネスも生まれたりしている」
    これに対しては
    「そもそも論理や感性が脳のどこで処理されているのか、ほとんどわかっていない。左脳と右脳のどちらかがかかわっているという証拠もない」

    また、女性と男性の違いを脳の大きさや働きで説明しようとする「男脳女脳神話」についても明快に否定します。
    「個人の脳をジェンダーで区分すること、つまり男性脳と女性脳に二分することは不可能で、また意味がないことがわかる」

    「脳は10パーセントしか使われていない」という説を「10パーセント神話」と仮に名付けます。
    「「あなたの使われていない潜在的な脳の力を引き出す」という宣伝文句を謳う能力開発セミナーも存在する。この迷信はすでに20世紀初頭から存在しており、もはや古典ともいえる」
    「脳は、寝ているときも起きているときも、常に全体が休みなく活動している」

    このあたり、個人的には以前から「胡散臭い」と感じていたこともあったので、読んでいて痛快でした。

    では現在、脳の研究はどこまで進んだのかということになります。「まとめ」に入らなければなりませんよね

    「これまでの脳科学は何が問題だったのだろうか? それは多分、脳という多要因の相互作用からなる動的な構造体を、個々の要因が独立して働く静的で機械的な構造体として理解しようとしてきたことかもしれない。ニューロン、神経伝達物質、遺伝子のような個々の要因がそれぞれ特定の機能を担っていると仮定することや、特定の部位と特定の機能の一対一の対応を見つけようとしてきたことが問題であった」

    「脳の教科書を見ると、ある機能はある部位が担当していると書かれている。(運動や視覚、記憶など)ほぼすべての機能それぞれを脳の特定の部位が担当しているということであり、それを機能局在と呼んでいる」

    「たしかに個々の部位も個々のニューロンも、それぞれある程度は異なる機能を分担しているのかもしれない。しかし、それぞれが独立して働いているはずはなく、脳全体の中で働いてこそ、初めてその機能が発揮できるのである。(略)単純な役割分担による機能局在が脳の特性であるという考えは、人にとってわかりやすいシステムを脳に投影しているにすぎない」

    「脳の機能は、多様な部位、多様なニューロン、多様な神経伝達物質、そして多様な遺伝子が相互作用しながら働くアンサンブルによって実現されていると考えざるを得ない。そのアンサンブルの姿を解明したときこそ、脳を解明したといえるのであろう」

    うん、アンサンブル、いいですね。

  • 2023.12.01

    脳はまちがえていい ①

    毎年優れた出版物に贈られる「毎日出版文化賞」の2023年度の受賞者・受賞作品が発表され、その紹介記事にひかれて「自然科学部門」で選ばれた著作を読みました。例年受賞作品は重厚な作品が多く、つど「覚悟を決めて」手にはとるようにしているのですが、この著作は新書ということもあって、あまり逡巡しませんでした。毎日新聞社が主催している文学賞という「身内びいき」ではなく、新書として一般読者向けに難しいテーマを実にわかりやすく、かといって手を抜かずに説明してくれている著作で、個人的には今年度の新書ナンバーワンでした。

    『まちがえる脳』(櫻井芳雄、岩波新書、2023年)

    書名にあるように「脳はどんなに頑張ってもまちがえてしまう」とのっけから直球、という感じ。ちょっとがっかりしてしまいますよね、でも「まちがえることにはメリットもあるらしい。それは新たなアイデアの創出、つまり創造である」、おっ、うれしくなりますね。「つかみ」としてすごくいい、ページをめくる手が早まります。

    脳の働きについては、脳内で信号を発生する細胞ニューロンの説明から入ります。ニューロンとかシナプスとかは教科書でも扱われますが、「ニューロンは自力で発火することができない」「それでは一体、脳の信号は、最初はどこでどのように発生しているのであろうか」と、ここでもかなり根源的な問いが投げかけられます。そして

    「脳の自発的活動、すなわちヒトの自発性はどのように生まれるのか、という大きな謎が浮上してくる」

    「結局、現時点では、脳の自発活動の出発点は謎であり、自発できない相互依存のニューロンが組み合わさり、協調することで自発性が生まれるものではないかというような、抽象的な仮説にとどめておくしかない」

    ちょっと肩透かしと思わなくもないのですが、脳はまだまだわからないところだらけということが素直に語られるので、その前提で読み進めることになります。そして、ぐいぐい引き込まれます。

    脳の最新研究が紹介されていくのですが、脳の話についての「補助線」「比較材料」としてコンピュータやAIがよくとりあげられます。AIが人間に近づいているかのように言われるとき、例えばロボットように人間の「動き」に近づくという側面もありますが、多くの人はAIが「人間のように考える」ことをイメージするでしょう。その点、櫻井さんははっきりと書きます。

    「脳はコンピュータのような機械とは本質的に異なっており、人が想像可能な精密機械として理解することは難しそうである。たしかに21世紀に入るあたりから、従来の機械論的な視点を超えた斬新な研究成果や仮設が報告されている」

    「脳の活動が心を生んでいることは自明である。(略)しかし逆に、心が脳の活動を制御できることもわかってきた。これが脳を機械にたとえることができない決定的な理由かもしれない。制御する側である心は、同じ脳から生じているにもかかわらず、制御される側の脳活動からは独立して働き得る。機械でこのような機能を備えたものはない」

    「脳の活動は、記憶をはじめ、感覚や運動など多様な機能を生み出しているが、そのような活動と機能を俯瞰しているのが心ではないかと考えられる。もちろん心も脳の活動であり、決して神秘的な存在としてどこかに浮遊しているわけではない」

    「人がつくってきたシステムは、ほとんどすべて最上位の制御中枢(コントロール・センター)をもつ。そして制御中枢からの指令が一方的に流れることで、他の装置、あるいは集団や個人を制御している。しかし脳は、そのような人の設計思想を超えた、独自の自律的な制御方式を採用しているようである。それは、特定の指令所をもたず、集団が集団自身を制御するという、いわば「究極の民主主義」とでも呼ぶべき方式なのであろう」

    なにやらAIにとって代わられるような漠然とした不安を感じる時代になっただけに、「ヒトの脳」すばらしいじゃないか(私の脳、ではありませんよ)と、ちょっとうれしくなります。

  • 2023.11.30

    新幹線本 こんなものまで ④

    新幹線本、最後は実際に東海道新幹線に乗る時に持っていってください、という本です。

    『デジタルガイド車窓の旅1 東海道・山陽新幹線 上』(編集協力=種村直樹・宮脇俊三・国鉄新幹線総局、河出書房新社、1982年)
    『デジタルガイド車窓の旅2 東海道・山陽新幹線 下』(同、河出文庫、1984年)

    単行本と文庫本ですが、同じシリーズ本の上下巻です。上巻を購入してしばらして文庫本になり、下巻購入時は文庫本を手にした、ということでしょう。いやあ、こんな本つくってしまうんだ、というユニークな本です。

    中を見ていただければいいのですが著作権もあるので、説明します。見開き2ページのど真ん中に東海道新幹線の路線に見立てた横線がひかれています。横線の上半分は山側(新幹線座席番号の2人掛けD、E席側)、下半分の海側(3人掛けA、B、C席側)の車窓に何が見えるかが紹介されています。工場とか団地は地図記号で、橋でまたぐ川の名前やトンネル部分にはトンネル名が記される、といった具合。

    一般的な地図は地形を忠実になぞるので新幹線の路線は曲がります。ここでは新幹線は一直線、周辺も車内から見えるものだけをピックアップした「地図」と言えなくもない。ページには東京駅から出発してからの経過時間が書かています。ここが重要、「デジタル」と称するゆえんでしょう。

    つまり東京駅を出て何分後はこのあたりを走っている、その時、車窓からはこういう風景が見えている、というガイドブックになっているのです。時計をにらみながらページをめくっていくと、車窓から見える特徴的な建物・施設などが何であるのかがわかるわけです。トンネルに入った、「これは〇〇トンネルだ」とか「橋を渡った。〇〇川だ」とかがわかるわけです。

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    それがどうした、と言われれば、それまで。いやあ、実際にその通りにこの本を使う人がいるとは思えないのですが、いかがでしょう。「えっ、自分はどうかって」、律儀に1ページ目からめくっていった記憶はないけれど、乗るたびに気になっていた建物や施設を随時、チェックする時に参照したことはあるような気もします。

    ちなみに下巻は新大阪博多間の山陽新幹線部分ですが、こちらは正直、編集部は悩ましかったと思います。なぜって、山陽新幹線ってトンネルが圧倒的に多く、また走っているところも山間部ばかり、車窓を楽しむ区間ってあまりないですから。

    デジタルガイド車窓の旅の1、2となっていますが、このガイドのシリーズは続いたのでしょうか。山陽新幹線以降、東北新幹線なども事情は同じで山間部を走り、トンネルも多く、車窓ガイドが成り立たないのではと心配してしまいます。

    それにしても編集協力に種村直樹、宮脇俊三の名前があることに今回、気づきました。これはすごい、このお二人について書き出すともう止まらないので、今後機会があれば。

    さてこのデジタルガイドですが、新幹線はスピードアップするので、表記の東京駅からの経過時間も微妙に変わってきます。また、車窓から見える建物もなくなったり、建て替えたりするでしょう。「資料」?として古くなってしまうことは避けられません。

    というわけでもないのでしょうが

    『新幹線の車窓から 東海道新幹線編』(栗原景、メディアファクトリー、2009年)

    こちらもやはり車窓から見える特徴的な建物、施設を写真で紹介しています。1ページに1スポット、やはり探すヒントとして東京駅からの経過時間が表記されています。筆者は東京新大阪間を何往復もして窓越しに写真を撮りだめたそうです。それぞれの施設や建物の見つけやすさを「目撃難易度」として★印の数で示している「お遊び」が面白い。線路から遠くに見える、あるはい小さい施設はそれは確認しにくいですよね。

    いい着想だと思ったのは「よく見る看板ベスト5」、そう田んぼや畑の中に立っている大きな看板広告を目にしますよね。ほら、飛行機の名前みたいなある数字が大きく書かれているのとか。筆者はその広告の数を数えてランク付けし、その広告会社に取材しています。「効果はあるのですか」と。

    改めて新旧比べると、同じポイントでも東京駅からの経過時間がかなり異なります。「ひかり」から「のぞみ」へのスピードアップです。また、『デジタル』は比較的線路に近い施設が多く、「こぼれ話」的なエピソード、うんちくが豊富。栗原本は遠景や看板などにも力をいれているように感じます。

  • 2023.11.28

    新幹線本 こんなものまで ③

    最近の鉄道関連ニュースで驚かされたのは、東海道新幹線で車内販売がなくなった、ということです。食堂車がなくなり、在来線特急ではいち早く車内販売がなくなり、最後に残っていた新幹線でもついに、という感じです。

    毎日新聞のニュースサイトの記事 こちらから  (一部有料なので全文は読めませんが)

    『新幹線ガール』(徳渕真利子、メディアファクトリー、2007年)

    パーサーと呼ばれる東海道新幹線の車内ワゴン販売の方が書かれた本です。アルバイトで入社し正社員となった23歳、東京大阪を往復する回数は月平均22回だったころ、平均値の三倍の売り上げを達成し、社内で表彰され、新聞でもとりあげられたそうです。ある1日の動きの紹介から始まって事前準備、苦労話などがつづられています。

    「接客のコツ」にこんな話が載っています

    ・何度も行き来すれば売り上げが増えるというわけではないのです。自分が意識していることと言えば、ワゴンを押すときにお客様へのアイコンタクトを絶対に忘れないようにしていることぐらいです。

    ・お客様に「ビールを一つください」と言われたら、必ず「ご一緒におつまみはいかがですか」とお薦めするように教わりました。これは私が意識して守っていた教えです。

    ・「接客にあたっての五A」というものがあります。アタマニクルナ。アワテルナ。アセルナ。アキラメルナ。アテニスルナ。これが新人のときにはとても役だちました。

    ・お客様が出されている「買いますよ」サインを見逃さないようにすることも大切です、例えば私の場合、入室したときに(各号車に入る時に)チャリチャリと小銭を探すような音がしたら、その音を立てたお客様を探します。

    いやあ、すばらしいですね。

    運転士さんばかりでなく車掌さんからも。

    『新・新幹線車掌日記 時速210キロの人間模様』(岡田重雄、実業之日本社、1981年)

    国鉄に入社し首都圏の電車で車掌一筋、東海道新幹線開業時に新幹線車掌の一期生として開業列車に乗務したとのこと。1973年に『新幹線車掌日記』を書いていて、その続編にあたるようです。車掌さんなので、車内で乗客と直接ふれあう場面も多い、「新幹線のスターたち」の章では芸能人やスポーツ選手、政治家らとのやりとり、エピソードがつづられています。

    「車内検札」という一章があります。かつては、車掌さんが車内を回り乗客一人ひとりの切符を確認していました。これが車内検札、駅が自動改札となり座席予約も電子管理なのでどの座席が予約済みかは車掌さんの手元のタブレットで確認できるようになってきているので、最近では検札も不要になってきています。若い人の中には、検札を経験してことがない人もいるかもしれませんね。

    余談ではありますが
    車内検札は列車の端から車掌さんが回ってくるのでいつ自分のところにくるかわからない。車内でいち早く眠りたい人もいますよね。そこで、座席(シート)の後背側に切符をはさんでおくポケットを付けた車両が走っていたことも覚えています。眠っていても、車掌さん起こさずに確認してください、というわけです。誰かが切符を持っていってしまうことはまあないでしょうが、それにしても、治安がいいといわれていた時代の産物かもしれません。
  • 2023.11.25

    新幹線本 こんなものまで ②

    新幹線本でこんなものまである①では、新幹線の技術開発に携わった人をとりあげた本をいくつか紹介しましたが、新幹線の「技術」あるいは「運転」に関してもいくつかあります。

    『新幹線 「夢の超特急の20年」』(海老原浩一、日本交通公社、1984年)

    ここでも「夢の超特急」ですね。タイトルだけみると新幹線の歴史についてのようですが、軌道や架線の構造、安全対策、車両のつくり、列車ダイヤとその運行など、どちらかというと技術面が中心。ちょっとページを折ったところもありましたが、あまり読んだ形跡はないですね。

    『新幹線の運転』(にわあつし、KKベストセラーズ、2010年)

    筆者は新幹線の元運転士。「運転士が見た鉄道の舞台裏」と副題にあるように、車両の特徴などはもちろん紹介されているのですが、運転士として乗車前の準備から始まり、東京駅を出て「どこどこトンネルを抜けると・・・」といった運転席での動きが細かく描かれています。こちらも購入はしたものの、といった感じがします。

    『図解 新幹線運行のメカニズム』(川辺謙一、講談社ブルーバックス、2012年)

    理科系本のシリーズ、ブルーバックスの1冊とあって、技術面の解説も一段と精緻。

    『東海道新幹線 運転席へようこそ』(にわあつし、新潮文庫、2014年)

    やや、今気づいたのですが、『新幹線の運転』と同じ筆者、しかもこちらは文庫、いやな予感。確認すると「本作品は書下ろしです」、ほっ。運転士経験からのエピソードは『新幹線の運転』で紹介されているものと共通の部分もありました。

    『新幹線99の謎』(新幹線の謎と不思議研究会・編、二見文庫、2005年)

    なにやらすごいネーミングの研究会があるかのようような体裁ですが、編集者がいろいろな資料をもとにまとめたのでしょう。帯に「長い旅がもっと楽しくなる本」とあるように、99の謎、つまり99の話題を並べているので、興味のある所を拾い読みすればいい、「文庫本なのでかさばらず旅のお供に」といったねらいですかね。ということで私自身もそうやって購入したのかしら、ちょっと覚えがありません。

    余談ではありますが

    新幹線の運転についての本を書いていて思い出したことがあります。新聞社で児童向けの媒体の仕事をしていた時、媒体の特性としてJR東海の広報の方とよくお会いしました。新聞などマスコミ取材の窓口になる部署ですね。まだ若い方だったのですが、あれこれ話をしているときに「わたし、新幹線の運転できるんですよ」と言われてびっくり。

    電車の運転士とか車掌さんとかは希望して訓練を受け、その資格をとるというのが一般的です。上記『新幹線の運転』でも新幹線の運転士は「狭き門」で、JR東海の場合は営業(運輸職)部門を希望、駅に勤め、試験を受けて車掌になり、そこで経験を積んで新幹線運転士の試験を受ける資格がつく、合格したら見習いとして乗務し、新幹線電気運転免許を受け取る、とあります。

    いろいろ聞いてみましたが、もちろんこの彼が乗客のいる列車を運転するということではなく、運転も実際に体験することが本社勤務に生きる、という会社の考えだったようです。

  • 2023.11.24

    新幹線本 こんなものまで ①

    「久しぶりの鉄分」などと銘打って、新幹線本から鉄道に関する最近のニュースを絡めていくつかの本を紹介しましたが、アラカルトでもう少し。「こんな本まである」というところを選んではみました。(鉄道関連でいっきに掲載すればよかったのですが、「関ヶ原の戦い」がドラマ放送にあわせて割り込んでしまった形です)

    『新幹線と日本の半世紀 1億人の新幹線--文化の視点からその歴史を読む』(近藤正高、交通新聞社新書、2010年)

    戦前の弾丸列車計画を東海道新幹線のルーツと位置付けて歴史をたどるところは「正攻法」ではありますが、文化の視点という側面から大阪万博やディスカバージャパンなどのイベント、観光キャンペーンとの関係なとに触れる一方、新幹線騒音の公害訴訟など社会問題にも目配りをしています。

    書き込みを見ると読んだのは2011年、どんなところにアンダーラインを引いているか確認してみると
    「大正年間にかけて広軌改築計画はたびたび持ち上がったものの、狭軌のままで路線網の拡大をはかる政友会系の政権に交代するたびに否定された。政友会は地方有力者の支持拡大のため、幹線の輸送力強化よりもローカル線建設に力を入れていたからである」

    おお、「政治と鉄道」「ゲージ(軌間)問題」がここにもでてきています。

    「開業からまだ1年経たないこの時期、新幹線は地盤の固まっていない箇所では徐行しており、200キロで走行できる区間は限られていた」(「ひかり」で東京~新大阪間が4時間かかったのはそのため)
    へえー、そうだったんだ、といった感じですが、意地悪く言うと、そんな「危ない」状態で開業してよかったのかと。やっぱり東京オリンピック(1964年)に間に合わせるのが第一だったのでしょうね。

    「東海道新幹線の工事費が1キロあたり7億円強で済んだのに対し、上越新幹線は1キロあたり60億円(総工費1兆7000億円)と、石油危機によるインフレを経て2・4倍になった卸売物価を計算に入れても3倍以上となっていた」

    正直、読んで強い印象が残ったような記憶はないのですが、いまざっと目次などを確認すると、押さえるべきところはきちんと押さえていますね。

    『「夢の超特急」、走る 新幹線を作った男たち』(碇義朗、文春文庫、2007年)

    そう、初めての新幹線、東海道新幹線は「夢の超特急」などと呼ばれたんですよね。その新幹線の技術面を担った人物にスポットをあてます。戦争中の軍隊の技術者が貢献したことはよく知られています。

    『超高速に挑む 新幹線開発に賭けた男たち。』(碇義朗、文藝春秋、1993年)

    2冊並べてみて筆者は同じ、出版元も文藝春秋社、タイトルもなんとなく似ている、いやな予感・・・改めて文庫本を確認したら、この『超高速に挑む』を改題、加筆した、とありました。また、やってしまいましたね。

    『新幹線をつくった男 島秀雄物語』(高橋団吉、小学館、2000年)

    島秀雄は、『超高速に挑む』でも当然取り上げられている、新幹線を語るうえで、いや国鉄の歴史を語るうえでも欠かせない人物であることは、「鉄ちゃん」なら知っていてあたりまえ、という方です。

    国鉄のエンジニアとして蒸気機関車の設計から湘南電車、ビジネス特急こだま、新幹線列車の誕生にかかわり、国鉄を辞めた後は宇宙開発事業団(NASDA)の初代理事長としてロケット開発にも携わりました。

  • 2023.11.23

    パンダ外交ふたたび ②

    アメリカにパンダが初めて贈られた時の中国は「中華民国」、第二次大戦を経て、国のありかたや外国との付き合い方については全く異なる中華人民共和国が成立しても「パンダ外交」は引き継がれ、さらには拡大していきます。日本に初めてパンダがやってくるのは1972年、カンカン、ランランと名付けられたつがいでした。この年に「日中国交正常化」がなった、その友好のシンボルとしてのパンダでした。

    『中国パンダ外交史』(家永真幸、講談社選書メチエ、2022年)には興味深い話が続きます。

    カンカン、ランランの「来日」で日本でも大ブームが起きるのですが、これ以前から、中国に対してパンダをいただけないかという要請が伝えられていた。ところが、国交正常化に慎重だった首相がいる限りは出さない、というのが中国の答えだったそうです。これまた「へーっ」ですね。

    パンダがやってきて大ブームになったのは確かなのですが、その土壌がすでに日本国内にあった、それを中国はよく見ていた、そして、首相が代わり、国交正常化を受けてパンダが日本に贈られたわけです。まさに「パンダ外交」ですね。

    さて、中国の習近平国家主席がアメリカでパンダについて発言した記事に「パンダの新たな貸与」との文言があり、家永さんの著作の引用にも「繁殖協力のための協定」とか「返還」とかの文言があります。

    野生のパンダは中国のごく一部地域でのみ生息しています。その可愛さが人気であるのはもちろんながら、希少価値が「外交」につながるわけです。しかし、中国でも生息数は限られており、野生動物保護のための国際条約(いわゆるワシントン条約)でジャイアントパンダは「絶滅のおそれのある種」に指定され、国際取引が激しく規制されるようになったので、中国政府も外国へのパンダ贈呈ができなくなります。

    そこで考え出されたのが、パンダの「貸与」でした。レンタルですね。引用します。

    「入手困難となったパンダをワシントン条約に抵触しない形で中国国外に連れだすために編み出されたのが、いわば「お金を払ってパンダを借りる」方法だった。研究の名目でパンダを三~六ヵ月程度の短期間借り受ける代わりに、借り主は中国側にパンダの保全研究活動に必要な金銭・技術・施設設備など、各方面で援助する」

    とはいえ、ちょっと無理があるように感じられますよね。やはり野生動物保護団体から強い反対を受けたとのこと。そこで別の考え方が出てくるのです。

    「ブリーディング・ローン(繁殖貸与)」制度である。この制度の趣旨は野生動物の捕獲は最小限に留め、動物園間での動物の貸し借りにより繁殖を行って、将来的に持続可能な飼育展示を実現することだ」

    そして、10年程度の長期貸与が「パンダの繁殖生理の解明や実際の繁殖に有効」という研究者の意見が大勢となり、贈与でなく貸与が主流になっていきます。

    「パンダを借り受ける際に借り主が中国側に支払うのは、年間一〇〇万ドル程度(日本円で一億円前後)が通例となった」

    「中国にしてみればパンダ・レンタルは、安定的に巨額の外貨をもたらすビジネスになった。(略)レンタル方式による中国の新たなパンダ外交は、ビジネスであると同時に外交政策でもあるという、ハイブリッドな性質を獲得したといえるだろう」

    この結果、先に紹介したように現在、中国国外で飼育されているパンダの総数は60頭ほどになっているわけです。日本は多い方ではないでしょうか。

    レンタル方式に変わっても中国国外にパンダを出すこと、どの国に出すかは中国政府のさじ加減次第、そこが「パンダ外交」ともいわゆるゆえんで、そのやりかたへの心理的抵抗を持つ人もいるでしょう。しかし、家永さんはきちんとおさえています。

    「「パンダ外交」が中国の巧妙な罠であるかのように紹介されることがある。しかし、本書がこれまで見てきたとおり、パンダ外交はそもそも、外国がそれを熱心に欲しがったからこそ生まれた中国の外交戦術である」

    「筆者の見た限りでは、これまでパンダが中国の「外交カード」として大きな役割を果たした形跡はない。中国と外交交渉を行うどの国も、パンダ欲しさにその他の国益を譲歩するほど純朴ではない」

    そして以下のようにまとめます。

    「かつての中国のパンダ外交は、国際社会からの要求をその時々の対外宣伝戦術に巧みに応用した、ある意味で受動的な産物であった」

    「近年の動向からは、より能動的にパンダ外交を展開していこうという中国政府や企業の意欲が見てとれる。パンダ外交は、中国政府自身がパンダの「ありがたみ」を積極的に肯定・発信し、それを外交戦略上重要な国々との関係強化に利用していくという、また新たな局面に入りつつある」

    アメリカでの習近平国家主席の発言には、この「外交戦略上重要な国々との関係強化に利用」するというねらいが込められているのかどうか。政府与党である公明党・山口那津男代表のパンダ貸与の要請に中国政府がどう応えるのか、朝日新聞の23日付朝刊によると、山口代表と会談した中国共産党の幹部は前向きに検討する意向を示したそうです。どう具体化するのか注目です。

    東京・上野動物園の「ジャイアントパンダ情報サイト」 こちらから

    和歌山アドベンチャーワールドのパンダについてはこちらを

  • 2023.11.22

    パンダ外交ふたたび ①

    先日アメリカ・サンフランシスコで開かれたAPEC首脳会談関連のニュースの中で、思わずニンマリとする記事がありました。バイデン米大統領と習近平中国国家主席との会談などが大きく報じられる中だったので、気づかなかった方も多いかと。

    毎日新聞のニュースサイトから引用します。17日付です。

    習近平氏、米国との「パンダ外交」継続の意向 「友好の使者」

    中国の習近平国家主席は15日、訪問先の米西部カリフォルニア州サンフランシスコで出席した夕食会のスピーチで「中国はジャイアントパンダの保護に関する米国との協力を継続する用意がある」と述べた。AP通信が報じた。米国では近年、パンダの新たな貸与がないまま中国への返還が相次いでおり、米国の動物園からパンダがいなくなる可能性が指摘されていた。習氏は米中友好の印として「パンダ外交」を継続する意向を示した形だ。

    習氏は15日にバイデン米大統領と会談し、国防当局間の対話を再開させるなど、両国関係を安定化させることで一致している。AP通信によると、習氏はパンダを「中米両国民の友好の使者」と表現。「カリフォルニアの人々の期待に応え、友好関係を深めるために最善を尽くす」と述べた。中国が米国に新しいパンダを貸与することを示唆したものとみられている。

    記事を読んだ後、「積読」の山の中からうまい具合にこの本が見つかりました。

    『中国パンダ外交史』(家永真幸、講談社選書メチエ、2022年)

    こういう本があるんですよ。タイトルにひかれて購入したままでした。筆者の家永さんは東京女子大学の准教授。これに先立っての本格的な研究書『国宝の政治史 「中国」の故宮とパンダ』(東京大学出版会、2017年)もあることを知り購入しましたが(これから読みます)、この講談社の「メチエ」シリーズはけっこう硬派、重いテーマも一般向けにわかりやすく書かれているものが多く、この『パンダ』も知らなかったことが満載、勉強になりました。例えば

    「二〇二二年四月現在、中国は一八ヵ国二二の動物園と繁殖協力のための協定を結び、パンダのペアを貸し出している。(略)中国国外で飼育されているパンダの総数は、出産や返還により増減するが、概ね六〇頭ほどになる」

    「外交史」なので、野生種が中国でしか生息しないパンダ(ジャイアントパンダ)が世界に知られるようになったきっかけから始まります。生きたままのパンダが初めて中国国外に出たのが第二次大戦前の1938年、行先はアメリカだったとのこと。知りませんでした。そしてアメリカで「パンダブーム」が起きたのだそう。

    それを受けて中国はパンダの「価値」に気づき、その「利用」を考えるようになる、それを「パンダ外交」と称するわけです。

    こんなエピソードも紹介されています。

    日本でパンダといえば、トットちゃん、黒柳徹子さん抜きにには語れませんよね。

    「彼女は一九七二年のパンダ・ブーム以前から各種メディアでこの動物を紹介し、パンダの知名度向上に貢献してきた」

    黒柳さんは、小学校低学年のときカメラマンの叔父がアメリカからパンダのぬいぐるみをお土産に買って帰ったのがパンダとの最初の出会いだったと回想しているそうで、家永さんは、このぬいぐるみは、このアメリカでのパンダブームの最中に製造されたものと考えて間違いない、と推測しています。

    「つまり、黒柳は戦前からのパンダ・ファンであるだけでなく、世界初のパンダ・ブームに巻き込まれた一人なのだ。パンダをめぐる歴史の生き証人といえよう」

    ここまで書いていたら今日22日(水)の朝日新聞朝刊にびっくりする記事が載っていました。

    同日から中国を訪問する公明党の山口那津男代表が、中国政府に対して新たなジャイアントパンダの貸与を要請するのだそうです。パンダを借りたいという声が各地から上がっていて、実現できるようにお願いしてくる、との談話も載っています。

  • 2023.11.21

    関ヶ原の戦い(6) 戦い終わって

    関ヶ原合戦での「問い鉄砲」の有無はおいておくとして、小早川秀秋はどうして東軍についたのか、これは知りたいところではありますが、秀秋の心の内がわからない以上、永遠の謎といってもいいのでしょう。合戦が具体的にどのように行われたのかは、関ヶ原合戦に限らず、信ぴょう性の高い史料が残らないという点では宿命的であり、限界があります。

    笠谷和比古さんも書いているように、豊臣政権から徳川政権に移っていく中でこの関ヶ原合戦をどう位置付けるかという視点・分析が何より重要だということは忘れないようにしたいですね。東軍vs西軍、勝った方が天下を取るといった構図はゲームのようにわかりやすく、受け入れられやすいだけに、心したいところ。

    そういった点で気になったのは大河ドラマ「どうする家康」で戦いに勝った徳川方の武将たちが「これで天下をとった」的な物言いをしていたことです。敗れたのは石田三成とその仲間たち、豊臣秀頼は大阪城で健在です。20日の放送では家康が関ヶ原は終わっていない、豊臣系の大名たちの内輪もめだ、といった趣旨の発言で臣下をたしなめるシーンはありましたが。

    もちろんこの3年後に家康は征夷大将軍になり、いわゆる江戸幕府を開くので、関ヶ原合戦が大きな転機となったことは間違いないのですが、江戸幕府ができた以降も豊臣の威光はなかなか衰えず、江戸幕府と大阪の政権が両立する「二重公儀体制」といった説を提唱する研究者もいるくらいです。

    だからこそ家康は関ヶ原で東軍として戦った豊臣恩顧の大名の力を少しずつ削いでいき、ついには大阪の陣で豊臣体制を完全につぶすわけです。天下はもう少し先、大河ドラマももう少し続きます。

    関ヶ原の戦いをまったく異なった角度から分析した興味深い本もあります

    『「関ヶ原」の決算書』(山本博文、新潮新書、2020年)

    「関ヶ原の戦い(2)小山評定はあったのか②」でも少しとりあげた本ですが、「決算書」とあるように、戦いにどのくらいの費用がかかったのか、勝敗によって勝者がどのくらいの利を得たのか、敗者はどれだけのものを失ったのかをまとめています。

    もちろん通貨で経済が動く時代ではないので、必要とされた米、その価格などで考えていくことになります。当時の史料から兵士1人あたり1日5合の米が必要だったと割り出し、東軍、西軍が動いたほぼ3か月間で動員された兵士の数をかけていくと両軍で50億円以上の兵糧米が消費された、としています。

    戦いの後、勝った東軍の豊臣恩顧の大名ともとからの徳川の家臣たちは新しい領地を与えられさらに加増(収入が増える)されます。その原資は敗れた西軍の大名諸将から取り上げた土地です。

    「その時代の日本全体での武士の年収が一八五〇万石、七四〇〇億円ほどだと考えると、そのうち三六・二%、二六八五億二四〇〇万円が敗者から勝者に移動したわけである。関ヶ原合戦が、敗者と勝者のその後の運命にあまりに大きな影響を及ぼしたことは火を見るよりも明らかだろう」

    古戦場を歩く

    さてその「決戦」があった関ケ原ですが、最近のドラマ関連の番組などで古戦場を紹介する際に「岐阜関ケ原古戦場記念館」という立派な施設が出てきます。「えっ、そんな施設ができたんだ」というのが率直な感想でした。

    私が関ヶ原を訪れたのは2012年、簡素な資料館があるぐらいで、そこで地図などをいただき、石田三成はじめ島津、小西、大谷勢の陣跡などをのんびりと歩いて回りました。途中すれ違った小学生たぢが「こんにちは」と見知らぬおじさんに笑顔で挨拶してくれたのがなんとも嬉しかったことを今でもよく覚えています。

    記念館は2020年オープン、ウエブサイトを見るとなかなか充実しているようで、改めて訪れれば新しい発見もあるでしょうが、なかなか。迷いながら歩いたから見えたものもあったはず、と自分に言い訳しておきます。

    岐阜関ケ原古戦場記念館の公式ホームページはこちらから

  • 2023.11.20

    関ヶ原の戦い(5)「問い鉄砲」はなかった?②

    関ヶ原合戦で徳川家康率いる東軍側が、小早川秀秋の参戦を促すために小早川陣営にあえて銃撃したという「問い鉄砲」ですが、事実ではないという見解が学界では受け入れられつつあると渡邊大門さんは書いています。では関ヶ原研究をリードしてきた笠谷和比古さんはどうでしょう。

    『関ヶ原合戦』(笠谷和比古、講談社学術文庫版、2015年)
    『論争 関ヶ原合戦』(笠谷和比古、新潮選書、2022年)

    まず『関ヶ原合戦』です。
    「ついに家康は意を決して、小早川隊に向けて誘導の銃(「問い鉄砲」)を放たせた。この無謀とも見える策は、しかしながらみごとに奏功し、若い秀秋は動転して老臣らの言に耳を傾けるいとまもなく全軍に叛撃を指令した」

    特に史料についての注釈はありません。結構はっきりと「問い鉄砲」を肯定しています。

    その後に刊行された『論争』ではどうか。
    「小早川隊が逡巡して動かなかったことは、徳川系の史料だけでなく、小早川の裏切りの仲介をした黒田長政の黒田家の『黒田家譜』にも明記されている」

    小早川軍は開戦直後から東軍側で戦ったわけではないという前提で、小早川軍側で鉄砲の射撃音のようなものが聞こえたため、それを確かめようとした小早川軍の使いに徳川方の武士が「誤射」だったと説明した、という話が載っている物語を紹介し、こちらの方が当時の状況にあっているという「心証を得る」としたうえで、

    「そのような誤射の体裁を装うという抑制された形での警告射撃であったのだけれど、後世、家康側からの警告射撃に促されて秀秋が進撃したという話が独り歩きすることによって、家康の鉄砲部隊が松尾山山頂めがけて一斉発砲(いわゆる、つるべ撃ち)したという華々しい話への肥大化していったものであろう」

    いかがでしょう。少し自説を修正しているようにも読めますが。

    わたし自身は、秀秋側が東軍から鉄砲を撃ちかけられたとしても、それであわてて東軍に加担するのがなぜなのかずっと疑問に思っていました。

    秀秋が「家康が怒っている」と怖くなったので事前の約束通り東軍に加わることにしたという説明なのでしょうか、それにしても東軍が勝つという見極めがあってのことでしょう。東軍が負けるなら家康が怒っていようがいまいが関係ないわけですから。

    一方で「この無謀とも見える策は、しかしながらみごとに奏功」と笠谷さんが書くように、家康にとっての「問い鉄砲」はかなり危険な「賭け」ですよね、怒った小早川が西軍についてしまうことだって想定されるわけですから。家康がそんな危ないことをするかという疑問もあります。

    豊臣家の人間である秀秋がなぜ東軍についたのか、それはどの時点か、ということが関ヶ原合戦の全体像を考えるうえではより重要です。秀秋の東軍参加は、笠谷さんが指摘する「合戦は豊臣政権の内部分裂の所産」の象徴的な例になるし、そのように持っていった徳川側の「政治力」のたまものではないか。

    小早川がどちらにつくかわからないままの危ない状態で家康が勝負をかけたのかどうかという論点もありますね。そのあたりを考え出すと、そもそも徳川軍の主力であった秀忠率いる本隊が関ヶ原に到着しないうちに豊臣恩顧の大名武将を主戦力として戦わざるを得なかった、ある意味アクシデントといってもいいような戦いだったので、徳川と小早川とが事前にある程度の話はしていたものの家康が100%小早川を信頼していたかはそれはあやしいですよね。

    『謎解き 関ヶ原合戦』(桐野作人、アスキー新書、2012年)

    桐野さんはこう書いています。

    決戦が始まってから秀秋が逡巡していたのは西軍と東軍のどちらにつくか迷っていたからというのが従来の通説だった。だがむしろ、本来は東軍についていたはずなのに、関白職という恩賞をぶら下げられて、秀秋に一瞬の迷いが生じた。つまり、東軍から日和見にぶれたとみるべきではなかろうか。秀秋の一時的なぶれがほどなく旧態に戻ったとき、小早川勢は松尾山を下ったのである」

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