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  • 2024.04.26

    ラジオを応援します ②

    さて「ラジオを応援する」といっても、そもそもラジオ放送は現在、メディアとしてどのようなポジションを占めているのかということを考えなくてはなりません。メディアとしての価値はお金だけで評価するのはいかがかとは思います。例えば災害時におけるラジオの役割が近年、大きく見直されています。ただ、NHKを除けばラジオ局も民間企業なので、営業として成り立たなくては続きません。企業としての収支を見ないわけにはいきません。そして収入の多くが広告、放送でのCMに頼っています。

    同じ放送局でもラジオ放送はテレビ放送との決定的な違いがあります。ラジオ放送には「どのように聴かれているか」を客観的に測る物差しがないことです。

    テレビ放送には、いろいろと批判されながら、あるいはネットで視る時代にどうなのかといわれながら「視聴率」という数字があります。個々の番組の人気がくっきりと出てしまうので、俳優や芸人にはおそろしい数字なわけですが、テレビ局の経営にとっても極めて重大な指標です。視聴率が悪い=視ている人が少ない番組にはスポンサーはつかないでしょう、つまり売り上げに結びつかないわけです。

    ラジオにも「聴取率」という言葉はあることはあるのですが、これはもう容易に数字として出しようがないことはすぐわかります。テレビの視聴率のようにモニター(サンプリング)を抽出して測ることはほぼ不可能です。誰がどのように聴いているのかがわからないので、ラジオに広告を出してもらうことをスポンサーに理解してもらうのはこれは難しい。また、映像がないので、「言葉」だけで広告メッセージを伝えなければならないというハンデもあります。

    国内の広告の現況について一番に参照されるのが、広告代理店・電通が毎年発表している「日本の広告費」というデータです。最新の2023年版が2月27日に発表されています。ちょっと驚きました。

    ここでは媒体(メディア)別に1年間で使われた広告費がまとめられています。

    「マスコミ四媒体」というくくりに新聞、雑誌、テレビ、ラジオが入っており、また「インターネット広告費」があり、「プロモーションメディア広告費」というのもあります。これは屋外看板や交通、織り込み、ダイレクトメールなどです。

    まず総論を少し。2023年の総広告費は過去最高の7兆3167億円で前年比103%。コロナ禍での落ち込みを回復したようです。その内訳ですが、インターネット広告費が3兆3300億円で前年比107.8%、電通のリリースには「ネット広告費は広告市場全体の成長を後押しした」と書かれています。構成比は総広告費の約45%でこちらも年々高くなっています。

    マスコミ4媒体は2兆3161億円で前年を下回りました。構成比は約32%です。

    ネット広告費はマスコミ4媒体のうちの新聞広告を2008-09年ごろに追い抜き、新聞業界は衝撃を受けました。2019年にはテレビ広告費も追い抜き、2021年にはマスコミ4媒体計も追い抜いたとのこと。最新のデータをみると、この差は今後さらに広がっていくでしょう。

    ところがです。ここ数年ラジオ広告が健闘しているのです。構成比でこそ全体の2%にも満たないのですが、2023年のラジオ広告費が1139億円、2年連続で前年を上回っています。テレビが前年を下回っているのにです。電通のリリースではラジオ広告について以下のように分析しています。
    「業種別では、コロナ禍からの回復や外出・行楽需要の高まりにより、「ファッション・アクセサリー」(前年比136.7%)や「外食・各種サービス」(同110.7%)が二桁成長となった」

    これだけではなかなかわかりにくいですが。

    いずれにしてもマスコミ4媒体はこのネット広告全盛の時代にどう対応していくのか。例えばテレビ局、特に東京のキー局は業界でいうところの「放送外収入」を増やすことに力を入れています。まず「放送収入」は広告収入と考えていいでしょう。スポンサーがついて番組が作られ、放送されます。その「外」の収入とは何かということです。

    テレビ局は最強のコンテンツ(番組)制作者であり、権利所有者です。かつてはDVD販売などでそのコンテンツで何度も稼いだわけです。また人気番組のキャラクター商品販売ではその権利料も入ってきます。東京のキー局の最近の決算をみたら、収入の2割くらいが「コンテンツ・ビジネス」などと分類される放送外収入となっているようです。

    このようなコンテンツ・ビジネスですが、例えばDVDにとって代わりつつある動画配信などを考えてもインターネットの普及はテレビ局にとってありがたいものでもあるわけです。ネットに広告費を持っていかれると敵視するほど簡単な話ではないこともわかります。

    電通の「2023 日本の広告費」の調査リポート(ニュースリリース)はこちらを

  • 2024.04.23

    ラジオを応援します ①

    朝の通勤時間、車の中ではもっぱらラジオ(主にNHKのAM・FM放送)を聴いています。ある番組の中で、全国各地の市民レポーターが地域の新しい施設や珍しい祭りの様子、旬の食材などを伝えるコーナーがあるのですが、言葉だけで伝えるのはそれは難しい。ところがネット(SNS)にその番組の公式サイトがあって、レポーターがその話題にかかわる写真をアップし、東京のスタジオのアナウンサーがそれをみながらレポーターとやりとりしています。ラジオの視聴者もその写真をみることができるので、とりあげているテーマへの理解が深まる仕組みです。

    ただ、私のように車を運転しながらとか食事の準備をしながらなどの、いわゆる「ながら視聴」がラジオの視聴形態としては多数派でしょうし、視聴者のみながこのようにSNSでの写真を見られるわけではないでしょうし、最近のラジオでは珍しくないのかもしれませんが、「この手があったか」と感心しました。その一方で「そういえば見えるラジオというのがあった」と思い出したのです。

    このようにラジオ番組がSNSの画像を活用することを「見えるラジオ」と表現したわけではなく、もちろんラジオの受信機そのものが「見える」とかの笑い話ではなく、かつて「見えるラジオ」と称するサービスが本当にあったのです。

    音と映像で耳と目に働きかけるテレビ放送に比べて、ラジオは音で完結させなければならないメディアです。ラジオで話す人、アナウンサーであったりパーソナリティーなどと呼ばれる人の話術というか話しぶりは、テレビとは異なるものが求められます。ラジオで番組を制作する人たちには多くの制約があります。

    そのような中でメディアとしてのラジオのあり方を業界の人は常に考えてきたわけですし、記者時代に接したラジオ局の現場の人たちはみな誇りを持って仕事をしていることに感心もしていました。それだけにラジオに接する人を増やしたいというのは当然の願望でしょうし、そこから「見えるラジオ」という発想が出てきたのでしょう。

    「見えるラジオ」についての技術的な説明は難しく、ざっくりと説明をしますが、ラジオのFM放送の電波のすき間を使って、ラジオ本来の音声だけでない文字情報なども送信しようというものです。動画などを送ることはできませんでしたが、ニュースや天気予報、交通情報などの文字情報を送り、「見る」ことができたのです。

    改めて調べてみると1994年、エフエム東京が「見えるラジオ」という名称で本放送を開始し、その後別の放送局も同様のサービスを展開したようですが、あまり普及しませんでした。その理由は単純明快でしょう。受信用の専用端末(専用ラジオ)が必要だったからです。

    お金を払って専用端末を購入しなくてはならない。最初に書いたように、私に限らずラジオ視聴者の多くは「ながら視聴」ではないか、耳で情報を得る、音楽を聴くだけで十分、ラジオにそれ以上のものを求めるのかということだったのでしょう。

    新聞社で仕事をしていた時、インターネット時代に新聞や放送などの既存メディアがどう向き合っていくのか、新聞社の垣根を超えて担当者が集まり、霞ヶ関の役人や放送局の人たち、もちろんネット業界の人たちと勉強会を重ねていました。そんな中で、ラジオ関係の人たちから時々聞かされていたのがこの「見えるラジオ」でした。

    インターネットが急速に普及し、今ではネットでラジオを聴くサービスもあります。リアルタイムでラジオを聴くだけでなく、「聴き逃し配信」という形で生放送が終わった後に、改めて放送を聴きなおすことすら可能です。「見えるラジオ」のころには、インターネットのここまでの早い普及はあまり想定しにくかったのかもしれませんし、それを待っていられないという、ラジオの将来への危機感もあったのでしょう。きつい言い方をしてしまえば、メディア環境が大きくかわっていく「過渡期」の試みの一つだったということでしょう。

    いずれにしても、今回あげたラジオでのSNS活用は、インターネットの普及にうまく乗ったアイデアです。言い方は悪いですが「ただ乗り」です。期せずして「見えるラジオ」が実現できてしまったわけです。もちろんSNS活用のためにパソコンやスマホなどの道具はいるわけですが、ラジオのためにわざわざそれを買う人はいない、かつての「見えるラジオ」のために専用端末を購入するのとは次元の異なる話しです。

    ラジオの業界の方でも「見えるラジオ」のことを知っている人の方が少ないでしょう。あのころの業界の方に現状についての感想を聞いてみたいような気もします。もしかしたら、インターネットを生かしたラジオの将来像を描いている人たちがいるのかもしれません。それはそれで実に楽しみな話です。

    そういえば・・・

    ラジオとネットの関係でいえばいつのころからでしょう、各番組の公式サイトがつくられて、出演者情報などがアップされています。私自身、運転しながら放送で流れる曲を聴いていて「あっ、この曲いいな」と思っても曲名や歌手名を聴き逃していることがあります。多くの人が経験していることでしょう。放送終了後に公式サイトとかで確認すると、番組で放送した曲の一覧とかが掲載されていて、これは助かります、重宝しています。これも「見えるラジオ」かしら。

  • 2024.04.22

    鉄道の歌と旅キャンペーン ②

    谷村新司さんが作り、山口百恵さんが歌って大ヒットした『いい日旅立ち』はキャンペーンソングが旅行そのもののキャンペーンへと広がっていった好例でしょう。国鉄の「DISCOVER JAPAN ディスカバー・ジャパン」もこの言葉、コピーの力ゆえに旅行ブームを生み出し、観光地がにぎわったのはまちがいないところ。そのようなコピーとしてよく知られたものが他にも思い浮かびます。

    「そうだ京都、行こう。」もその一つでしょう。また「京都」ですが、今回は「鉄道ネタ」と言い訳しておきます。JR東海が1993年から実施しているキャンペーンの名称、コピーです。

    1978年、山口百恵さんが歌う『いい日旅立ち』をキャンペーンソングとした「いい日旅立ち DISCOVER JAPAN 2」が始まり、1980年には国鉄全線完乗を目指す「いい旅チャレンジ20,000km」もスタート。1987年、国鉄がJR各社に変わり国鉄時代のキャンペーンを成功体験として引き継いだのでしょうか、あるいは反面教師としたのか、JR東海が打ち出したのが「そうだ 京都、行こう。」でした。

    蛇足ではありますがJR東海が何で「京都」なのということです、言うまでもなく京都は地理的には「西日本」「関西」「近畿」といったくくりですから。

    そうです、JR東海のドル箱、稼ぎ頭の東海道新幹線に乗ってもらおうというのがキャンペーンのねらいです。JR各社の営業範囲でいえば「東海」はおおよそ静岡、愛知、岐阜、三重各県になりますが、新幹線については東海道新幹線の東京・新大阪駅間がJR東海です。京都府・京都市はJR西日本の営業範囲ですが、新幹線は別というわけです(「鉄ちゃん」的に言えば京都駅はJR西日本部分と東海部分とに分かれています)

    東京や名古屋・中京圏のお客さんに東海道新幹線に乗って「京都、行こう」、京都観光に行きましょうと呼び掛けたわけです。テレビコマーシャルや駅のポスターを見たことがある人も多いでしょう。このキャンペーンでこれまで使われたポスターから写真とコピーの抜粋が一冊の本になっています。

    『「そうだ京都、行こう。」の20年』(ウエッジ編、2014年第1刷発行、手元は22年第10刷)

    いやあ、ぱらぱらとページをめくっているだけでいい気分です(足を運んでもらわないとJR東海は困るんでしょうが)。写真もコピーも安易に引用できないのが残念ですが、「そうだ京都、行こう。」公式ページのキャンペーンギャラリーで主だった写真をみることができます。

    その姉妹編ともいえるのが

    『「うましうるわし奈良」の10年』(ウエッジ編、2015年第1刷発行、手元は22年第5刷)

    「うましうるわし奈良」は、やはりJR東海が2006年から展開した奈良への観光キャンペーンです。こちらはいったん終わっているようです。現在は「いざいざ奈良」というキャンペーンのようですが、公式ホームページのキャンペーンギャラリーに「過去のキャンペーン」としてポスターが紹介されています。

    東海道新幹線を利用して奈良観光ということでしょうが、奈良に行くには関東からの鉄道利用だと京都で乗り換えるのが多数派でしょう(名古屋・中京圏からだと近鉄線という選択肢もあります)。京都乗り換えだとJR西日本奈良線あるいは近鉄京都線に乗ることになります、こちらの2社にとってはありがたいキャンペーンですね。

    さて、この京都と奈良のキャンペーン、ポスターの図柄(写真)の特徴をざっくりとまとめると、京都は寺全体や街ののたたずまいが四季折々にとらえられています。庭園も多いですね。そして奈良、これはもう仏像!

    先に書いたようにどちらのキャンペーンについても私自身、新幹線の駅などであたり前にポスターをみていました。奈良については、ポスターにもなっているある国宝の観音像をとらえた写真入りのクリアファイルを記念品としてもらったこともあったのですが、あまり気にもとめていませんでした。単発だとなかなかですかね。

    ところが昨年、京都郊外のあるお寺、そこも取り上げられていたからか、休憩室にこの本が置いてあったのです。「そっか、本になっているんだ」と知り、すぐさま京都、奈良それぞれで2冊手に入れたのでした。

    そしてその勢いでもう1冊

    『「青春18きっぷ」ポスター紀行』(込山富秀、講談社、2015年第1刷発行、手元は22年第11刷)

    「青春18きっぷ」は期間限定ながらJR各線の各駅停車などに運賃のみで乗ることのできる特別切符。国鉄時代からあり、JRにも引き継がれています。もともとは若い人に鉄道を利用してもらおうというねらいがあったようですが、別に18歳でなければいけないという決まりはありません。広い意味では観光キャンペーンの一種と言えるかもしれません。

    この本では、1990年からこのポスター制作を担当したアートディレクターの方が写真の舞台となった路線ごとにポスターを紹介し、撮影秘話などを添えています。やはりローカル線や無人駅なども多く、乗客としての「人」が写りこんでいるポスターもあります。

    正直、ポスターを駅などで実際に目にした記憶は少ないのですが、今や「撮り鉄」の聖地ともなっている場所(いい構図で列車の写真が撮れる場所ですね)、あるいは駅や橋などが登場しています。このキャンペーンポスターが「撮り鉄」を育てたのかもしれない、などと勝手に想像しました。

    そう思うのも、初期の作品の撮影は橋口譲二さん、そして「撮り鉄」でこの人を知らなければモグリと断言します、真島満秀さんが参加しているからです。その写真が「撮り鉄」を張り切らせたに決まっています。

    そしてなんと、アラーキーこと荒木経惟さん撮影作品もけっこうあるのです。これにはたまげました、アラーキーを起用したとは。「やるなJR、見直した」。

    ちなみに2024年2月には続編ともいえる『「そうだ 京都、行こう。」の30年』が発刊されています。

    「そうだ京都、行こう。」のキャンペーンはこちらから

    「いざいざ奈良」のキャンペーンはこちらから
    「過去のキャンペーン」として「うましうるわし奈良」のいくつかのポスターが紹介されています

  • 2024.04.20

    主役交代ーーハナミズキがきれいです

    新入生を迎えての1学期スタートを祝してくれた満開の桜も葉桜に代わってしまいましたが、代わりにハナミズキが花を咲かせています。
    池にかかる太鼓橋を渡ってFVB(Future View Base、多目的教室・自習室)に向かうゆるやかな坂に沿って植えられています。FVB前のつつじも花をつけはじめました。新緑がみずみずしい季節がやってきています。

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  • 2024.04.19

    鉄道の歌と旅キャンペーン ①

    ご当地ソングの範疇になかば強引に鉄道や鉄道路線名が出てくる曲も入れてしまいました。鉄道にかかわる歌としては忘れられない、時代を超えて愛されている曲がいくつかあります。『いい日旅立ち』もその一つでしょう。山口百恵さんが歌い大ヒットしたのですが、作詞作曲は昨年亡くなられた谷村新司さん。身もふたもなくいってしまえば国鉄のキャンペーンソング、コマーシャルソングで具体的な鉄道路線名や固有名詞が出てくるわけではありませんが、キャンペーンが終わってからも鉄道旅行あるいは鉄道に限らず旅心をかきたてる曲として歌われ続けています。

    この本にびっくりなエピソードが掲載されていました。

    『鉄道愛唱歌事典』(長田暁二、ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングズ、2023年)

    タイトルの通り、鉄道や駅が歌われた、あるいは舞台になった歌謡曲、フォークソング、さらには童謡などを紹介しています。事典なので五十音順に並んでいますが、「読み物」として楽しめるものです。ちなみに譜面も載っています。「乗り鉄」「撮り鉄」など「鉄ちゃん」(鉄道愛好家)の“ジャンル”は様々で、最近は「飲み鉄(呑み鉄)」なども“定着”しつつあるものの(列車に揺られながら主にお酒を楽しむ人たちです)、「歌い鉄」「歌鉄」はさすがに聞いたことはありませんが。

    この本の中で「いい日旅立ち」がとりあげられています。

    1977年、ある音楽プロデューサー(本では実名、私でもその名を知っているほどの伝説的な人物ですが本人の語りではないので)が広告代理店から国鉄のキャンペーンソングの制作を依頼され、歌手として山口百恵さんを起用、谷村新司さんに作詞・作曲をと声をかけました。

    ところが当時国鉄は年々赤字が増えていて、キャンペーンにたくさんの予算をかけられない、つまり広告費がない状態だった、そこでキャンペーンの協賛企業を探したところ、鉄道車両製造会社として国鉄と縁の深かった「日立(製作所)」と旅行会社の「日本旅行」が応じてくれた。

    これを喜んだプロデューサーはキャンペーンの曲名に“日立”と日本旅行の略称“日旅”を入れようと思い立ち、「いい日旅立ち」というキャッチコピーが生み出された、というお話。

    「いい日旅だち」、“日旅”は真ん中にそのまま入っています。では「日立の文字はどこ?」と一瞬戸惑ってしまいましたが、“日立”は「旅」をはさんで入っています。「日」と「だち=立ち=立」です。このキャッチコピーで谷村さんに作詞を頼んだとのこと。筆者の長田さんは「パズル的発想」と評しています。

    よくできた話すぎて「都市伝説では」と疑ってしまいますが、長田さんはこのプロデューサーと長年懇意にしてきたと思い出も語っているので事実なのでしょう。

    さて、この国鉄のキャンペーンです。

    JRの前身の国有鉄道、国鉄は1970年から「DISCOVER JAPAN ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンを展開しました。個人旅行や女性の旅行客に鉄道に乗ってもらおうという仕掛けで、その成果を数字でどう評価するかは難しいところではありますが、国鉄の従来の「乗せてやる」という体質のもと、マーケティングとかを考えない中で続いていた乗客減対策としては、新しい画期的な試みだったということですね。

    その後『いい日旅立ち』というキャンペーンソングが生まれたわけです。曲名なのに「いい日旅立ち」そのものがキャンペーン名称のようにも扱われ、また「いい日旅立ち DISCOVER JAPAN 2」といった位置付けてもあったようです。

    ちなみに2003年にはリメイク版として『いい日旅立ち・西へ』が作られています。作詞はやはり谷村新司さん。山口百恵版の歌詞は「日本のどこかに 私を待っている人がいる」などと特定の地域を思い起こさせる歌詞にはなっていません。当時の国鉄は全国に路線があったので、どこか特定の場所を強調するわけにはいかなかったのでしょう。

    『いい日旅立ち・西へ』は「遥かなしまなみ 錆色(さびいろ)の凪(なぎ)の海」などと歌われ、なんとなくは想像できなくはないですが(ヒントは「しまなみ」)、やはりはっきりと特定の地域・地名は出てきません。とはいえ「西へ行く」とあります。そう、地名は入れなくたって、この歌を必要としたのは、もうおわかりですね。

    JR西日本のキャンペーンでした。国鉄からJRに変わったがゆえ、でしょうか。歌っているのは鬼束ちひろさん。個人的には、百恵さんのよりこちらの「いい日旅立ち」のほうが好きかも。

  • 2024.04.18

    「ご当地ソング」考 ⑧

    レコードのLP盤・アルバムに収められていた1曲がじわじわと人気を呼び、やがてシングル盤になったという西島三重子さんの『池上線』。「有線放送」とか「シングルカット」とかいう用語を使いましたが、若い人たちにはなんのこと、ですよね。最近の音楽の聴き方と比べてみると、考えさせられるところでもあります。

    まず「有線放送」。テレビやラジオから流れてくる音楽を聴く、これらは「無線」で受信しているわけですが、有線放送は文字とおり「有線」、つながった線を通じて入ってくる音楽を再生する仕組みです。ずっと音楽を流していたい飲食店などが、有線放送会社と契約して(お金を払って)線をひっぱってもらいました。放送会社内ではひたすらレコードをかけていたわけです。ではどうやってヒットに結びつくのか、契約している人がリクエストできたんですね。熱心にリクエストすると何回も流れるわけです。

    「シングルカット」とは。CDが登場する前は、多くはレコードで音楽を聴いていました。大きく分けると十数曲が収録されるLP盤という規格、「アルバム」と呼ばれるのが一般的でした、これに対して原則2曲だけのシングル盤という規格がありました。これをどう作りわけるか、営業的にどう使い分けるかがミュージシャン、レコード会社の戦術となります。

    LP盤はとにかく高価格だった、購入して欲しい若者にはなおさらです。曲数も多いので、特定の曲だけ聴きたいという人はいよいよ敬遠します。そこでレコード会社側がLP盤の中からいち推し曲をシングル盤という規格で売り出す形ができます。何曲もある中から選ぶので「カット」。LP盤に先行発売したり、すこし時期をずらしたりはしますが、おおよそLP盤とセット、ということが多かった。

    曲数の多いLP盤制作には当然時間がかかります。人気爆発、ヒットの予兆がある、そのタイミングを逃さないために1、2曲でいいからシングル盤を先行して発売しようというケースもありました。安く買えますし。

    ところが、シングルカットした曲とは別に聴き手側がLP盤の中で「これいいね」という曲が出てくることがあります。この聴き手側の反応にあわててレコード会社側が後から追加でシングル盤を出すことがままありました。『池上線』もこのパターンですね。

    このLP盤、どういった曲を組み合わせるかをミュージシャンやレコード会社は工夫したわけですが、近年のように、特にアルバムという形式にこだわらずに好きな曲をダウンロードして聴く人も多くなってくると、ミュージシャン側が最初から1曲単位で楽曲を提供することも珍しくありません。レコード時代になぞらえればシングル盤だけ発売しているようなもの。またアルバムとして発表しても、聴く側は聴きたい曲だけ気軽にダウンロードできるので、聴く側が自分で「シングルカットしている」と言えるのかもしれません

    余談ではありますが

    歌の方の『池上線』との出会いですが、家にシングル盤レコードがありました(写真)。私が購入して覚えはないので、おそらく姉が買って聴いていたのでしょう。昨年、旅先のホテルで夜テレビをつけたら、現在の西島三重子さんがギターの弾き語りで『池上線』を歌っていました(現在のというのも変ですが昔の映像ではなくということです)。西島さんの公式ホームページのプロフィールを拝見すると私より年上です。

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    『池上線』のシングル盤。写真は特別の説明はないですが、当然、西島三重子さんですね。裏面には歌詞だけでなく、親切にも譜面まで載っていました。AmとかDmとか伴奏用のコードまでついているので、まさに「弾き語りどうぞ」ということでしょうか。

    🔷全線乗ってはいるものの

    「鉄ちゃん(鉄道ファン)」としての池上線ですが、前にあげた自身の鉄道乗車記録によると全線乗車しています。ただ、やはり乗車日時が書かれておらず、記録として不完全だと思ったら途中の「洗足池駅」には下車した印がついている、その横に中学校の名前が書きこまれていました。洗足池に近い中学校に仕事で出かけたことがあったので、その時に池上線に乗車したということでしょう。

    🔷弾き語り向きか

    記者時代に、池上線沿線に学生時代住んでいたという東北地方のあるテレビ局の人(同世代です)と宴席で『池上線』を肴に大いに盛りあがったことがありました。『池上線』、いい曲であることはまちがいないです。ただ、メロディは比較的淡々と流れ、サビで大いに盛り上がるという曲ではないので、カラオケのレパートリーには向いていないと思います、ましてや男性が歌うのは(個人んの意見です)。上記のようにギターの弾き語りにはぴったりかも。

    しつこく書いたユーミンの『海を見ていた午後』も『雨のステイション』もとてもカラオケ向きではない、原曲の雰囲気がすごすぎますからね。『天気雨』は軽いノリでちょっといけるかも。

  • 2024.04.16

    「ご当地ソング」考 ⑦ ーー鉄道名も

    ユーミン、荒井由実さんが『天気雨』で歌った神奈川県内を走る相模線について、東京在住、関東在住の人でもあまり知らないのでは、と失礼なことを書きました。都内を走りながらさらに知られていない路線が東急電鉄・池上線ではないでしょうか。その池上線が舞台の曲、タイトルもずばり『池上線』。

    前に紹介した『フォークソングの東京 聖地巡礼1968ー1985』(金澤信幸、講談社、2018年)でもとりあげられているのですが、さらに詳しいのがこちら。

    『うたの旅人』(朝日新聞be編集グループ・編、朝日新聞出版、2009年)

    朝日新聞の土曜日別刷「be」の連載記事をまとめた本です。「あとがき」によると「毎週一つの歌を取り上げ、その歌にゆかりのある土地や関係者を訪ね、その歌が生まれた背景や時代を描く連載記事」といった内容です。『池上線』は2008年4月19日の紙面でとりあげられました。

    さて、まずは鉄道の方の池上線です。五反田駅(品川区、JR山手線など)と蒲田駅(大田区、JR京浜東北線)を結ぶ10.9キロほどの路線。起終点駅を含めて駅数は15駅、全線複線で電化されていますが、電車はJR線などの電車より1両の長さが少し短い車両の3両編成ですべて各駅停車、ワンマンカーで運行されています。

    安易に「ローカル線」という言葉は使いたくないのですが、「のどかな」「都内のローカル線」などと言われる路線です。関東圏の私鉄の中では「おしゃれ」とみられている東急電鉄のイメージからすると「えっ」と思う人も多いでしょう。

    では歌の『池上線』の方です。1975年、西島三重子さんのファーストアルバムに収められていました。『うたの旅人』から

    「当時、若者文化のトレンドは車だった。荒井由実(当時)が、東京郊外ドライブの心地よい疾走感を歌った「中央フリーウェイ」が出た七六年。同じ年、鉄道を舞台にした「池上線」は主に有線放送を通じて人気を集め、じわじわと売れていった」

    そして翌76年にはシングルカットされ、80万枚を売るヒットとなり

    「七〇年代のフォーク名曲集などには必ず選ばれる定番だ」

    恋が終わる、別れの歌なのですが、少し古い型である池上線の電車や駅、「角のフルーツショップ」などという沿線のたたずまいの描写が効果的にです。東京で地理的には下町とは言い難い地域ですが、沿線には今でも有名な商店街があります。

    印象的なのはこのくだり。

    「七六年当時、「池上線」のプロモーションを考え、東急に協力を依頼したが、歌詞を知った東急側が、協力を断った」
    「池上線の車両を新しくしようとしていた時期で、『古い電車』『すきま風』という詞が、会社の方針にあいませんということだったようです」

    都市伝説のような話ですが、作詞した佐藤順英さんが語っていたということなので実話なのでしょう。
    その後日談として2007年、東急電鉄が池上線全線開通80周年のイベントを企画、西島さんが池上線の車内でこの『池上線』を歌ったそうです。

    当時の池上線の車両が青森県の十和田観光電鉄で走っていて、連載記事を担当した記者は「七〇年代の「すきま風」を体感したくて」青森まで出かけて乗車しています。「鉄ちゃん」(鉄道愛好家)でない記者にはつらい? 取材かも。

  • 2024.04.15

    「ご当地ソング」考 ⑥ ーーさらにユーミン

    「ご当地ソング」をとりあげ、だんだんユーミンの曲の話に変わってしまいましたが、これで打ち止めにします。またまた『海を見ていた午後』に戻りますが、というのも、久しぶりに探し出した本の中に的確な評価が書かれていたのです。

    『されど我らがユーミン 音楽誌が書かないjポップ批評16』(別冊宝島630号、宝島社、2002年)

    ちょっと古いムック(雑誌と本が一緒になったような形の書籍)です。タイトルは何やら刺激的ですが、まあユーミンファンが喜ぶ企画が満載、音楽ライターやレコード会社の人たちがこれでもか、というくらいユーミン体験を語り、お気に入りの楽曲を熱く解説しています。

    その中の「ユーミンが変えたニッポンの風景」という1章が大変分かりやすかった。筆者は宝泉薫さんという方で、ヒット曲ひとつでその後見かけなくなった人たちを追いかけたルポなど音楽関係でなかなか面白い本を書いてます(著作では、そういう方々をある言葉(造語)で表現しているのですが、ちょっと下品なのであえて書きません)。

    ユーミンの「ご当地ソング」について、ニューミュージックのシンガーソングライターたちのご当地ソングは「演歌的だったり、歌謡曲くさかったりする」、それに対して「ユーミンのみがニューミュージックとしての“ご当地ソング”を量産することに成功したのだ」と評価します。

    「その理由としては、彼女が美大出身で風景へのこだわりが人一倍強かったこと、感情を風景のディテールに託して表現する芸風であること、そして何より、その女王様的性格が伝統に屈することをよしとせず“不思議ちゃん的感性”をそのままぶつけられた、ということが挙げられるだろう」

    「そうやって生まれた“不思議ちゃん的ご当地ソング”の代表作が「海を見ていた午後」」
    「そして、この好評に味をしめたのか、彼女はその後、ご当地ソングに積極的に取り組んでいく。中でも「中央フリーウェイ」や「未来は霧の中に」は高度経済成長期の東京を“外国のような日本”として描き、ユーミン=都会的でおしゃれ、という印象を決定づけた」

    『海を見ていた午後』についてこの本では、土井直基さんというライターがもう熱く語っています。

    「ユーミンの才能を世の中に知らしめ、彼女のソングライターとしての評価を決定づけた一曲と断言していい」
    「春なのか秋なのか、いずれにせよ、そういう温度感のある日。風景には薄く靄がかかっていて時間が止まったかのような、ある午後。そんなまどろみにも似た空気感を音楽として表現した、Jポップ史上稀有な作品である」

    別の方の評価もチェックしてみましょう。

    『ユーミンの罪』(酒井順子、講談社現代新書、2013年)

    時代を見事に切り取って流行語にもなった『負け犬の遠吠え』(2004年)の筆者として知られるエッセイストの酒井順子さんが「ユーミンの時代を振り返ることによって、女性と世の中の変化を検証」(「あとがき」より)しています。

    『海を見ていた午後』についてはこう紹介します。

    「ユーミンはある瞬間の感覚や雰囲気を、歌にする人です。高台の店からガラス越しに見た春の海、その一瞬のための額縁が「海を見ていた午後」という曲なのです」
    「ソーダ水は、「小さなアワも恋のように消えていった」という歌詞、すなわち若き日のうつろいやすい恋の「泡沫(うたかた)」感を引き出すのに、最も適した飲み物であったということでしょう」

    なるほど、「ソーダ水」という「小道具」にも意味があったのか。そして酒井さんは、ここで歌われる女性が「泣かなかった」ことをとりあげます。

    「ユーミンの歌における泣かない女は、ダサいから泣かないのです。別れの瞬間という、誰もが泣く場面において泣くという当たり前さを、格好悪いと感じる」
    「ダサいから泣かないという女は、この時代、新しい存在であったのだと思います。ユーミン的なお洒落さは、恋愛を継続させる手段としての涙を、よしとしませんでした」

    最後にユーミン本人に登場していただきます。

    「ご当地ソング」考⑤でも触れましたが、ユーミンの最初の著作(自伝)『ルージュの伝言』(角川文庫、1984年)、書棚から見つけてきました。古本で購入した記憶でかなり黄ばんでいて文庫で定価300円、信じられない値段。それはさておき、「海を見ていた午後」についてです。

    「「海を見ていた午後」なんていう詞を書くと、だれといったんだといってダンナは怒るわけ。でも、だれかと行ったのは確かだけど、そういうつもりで私は詞は書いてないのね」
    「歌詞って、テーマをどっかにもたないとダメだから、強烈にあたなが好きだとか、ふられて悲しい、というテーマをもってこないと歌詞にならない。そういうニーズに応えて聴く人にこっちから供給しているわけ」

    「「海を見ていた午後」にしても、誰かと行った思い出にひたって書いているというのはさらさらなくて、ちょっとけむった春の日にガラス越しに海を見たということだけ書きたかったの。自分でいうのもおかしいけど、そういう意味では非常に絵画的だと思う」

    『されど我らがユーミン』の宝泉薫さんも、酒井順子さんも、しっかりこのユーミンの自伝を読んでいることがわかりますよね。

  • 2024.04.12

    「ご当地ソング」考 ⑤ ーー駅名もあり

    この項の4回目ではご当地ソングに実在する店名も入れたいと書き、本校の通学圏内にご当地ソングがあればいいのにと独り言を言いました。通学圏内に歌の聖地はないかなとあれこれ考えていたら、ありました、思い出しました、それもユーミン、荒井由実さんです。

    3枚目のアルバム『COBALT HOUR』収録の『雨のステイション』、ざっくりいうと失恋の歌ですが、具体的なステイション=駅名は出てきません。なので、私自身、ずっと意識したことはなかったのですが、ある本で、舞台となった駅が実在することを知り、その駅も知っていたので歌の雰囲気と駅のたたずまいのギャップに愕然としました。

    『フォークソングの東京 聖地巡礼 1968ー1985』(金澤信幸、講談社、2018年)

    「初期ユーミンが描く東京の西郊」という1章が設けられていて

    「松任谷由実は、東京を歌うことの多いミュージシャンの一人だ」

    と紹介され『雨のステイション』もとりあげられています。この本では松任谷由実で統一されていますが、『雨のステイション』の時は荒井由実をです。ユーミンの最初の著作『ルージュの伝言』(1984年)で自身が創作のきっかけなどを語っているとのこと。この本も実家にあることはわかっているのですが(記録では2013年に角川文庫版購入)、内容までは記憶になく、この『フォークソングの東京』で確認した、ということにしておきます。

    同書によると、駅前には本人直筆の歌詞が刻まれた歌碑があり、駅の発車メロディもこの曲で、「現在でもつかわれている」とありますが、本の発行は2018年、今はどうでしょうか。

    あえて駅名は書きませんが本校の通学圏内であることはまちがいないところ。興味ある方、すぐ調べられますよ、ともったいぶっておきます、その方が意外性、驚きがあると思います。この駅利用の在校生がこのブログでユーミンとの縁を知ってくれたらうれしいですね。

    ユーミンをあげたらこの人も、といえば中島ゆみきさん。同じころにデビューし、どちらも今もバリバリの現役というところがすごい。女性芯がソングライターとして恋歌を作らせたら双璧でしょう。中島さんの方が失恋の歌が多いかな。中島さんの歌詞、日本語の言葉使いは本当に感心するのですが、具体的な地名や店の名などがでてくる曲がちょっと思いつかない。

    と迷っていたら、いやいや、すごい曲がありました。誰でも知っている牛丼チェーンがずばり実名で出てきます(タイトルは『狼になりたい』)。歌い出しのところで出てきて、多くの人がすぐに店内の様子を思い浮かべるでしょう。その後に繰り広げられる人間ドラマがいよいよくっきりと迫ってきます。実に効果的です。

    駅名だしたら路線名も

    「ご当地ソング」の範疇に駅名まで含めてしまいましたが、「鉄ちゃん(鉄道愛好家)」としてはさらに拡大解釈したい、そう、鉄道名、路線名が出てくる歌です。「それもご当地ソングか」とのご批判は甘んじて受けます。書かずにはいられません。

    前回紹介したユーミンの『天気雨』(アルバム「14番目の月」収録)、サーファーの「貴方」に会うために茅ケ崎まででかけるのですが、「相模線にゆられて」いくのです。さて、相模線、知ってますか。

    神奈川県内の茅ケ崎駅と橋本駅(相模原市)を結ぶJR線です。ユーミンの歌の当時は国鉄ですが。八王子駅から横浜線で橋本駅で乗り換えられるので、八王子に住んでいたユーミンが茅ケ崎に鉄道で出かけるとしたら八王子駅 ⇒ 横浜線 ⇒ 橋本乗換 ⇒ 相模線 ⇒ 茅ケ崎とたどれます、もちろん歌の世界の話で、ユーミンが実際にこのルートをとったかはわかりませんが、少なくとも、土地鑑というか「鉄道鑑」はあったということでしょう。

    この相模線、改めて調べたら全線単線で全線電化されたのは1991年、ということはユーミンが歌ったときはディーゼルカーが走っていた、いよいよおしゃれなサーファーの世界とのギャップが強まります(サーファーをおしゃれと決めつけることがそもそもいけないのかもしれませんし、相模線、ディーゼルカーに失礼ではあります)

    まあ一応、昔から「鉄ちゃん」ではあったので相模線の存在は知っていました。ただ、この歌を聴いたとき、「あれ、ユーミンは車で湘南通っていたんじゃないの、鉄道か」とひとりごとの突っ込みをいれていました。何しろ「中央フリーウエイ」(中央自動車道のこと)で彼に送ってもらっていた人ですから。

    横浜線が間に入るとはいえ、八王子から鉄道で南に向かうユーミン、さて、その八王子、横浜線とは正反対の方向に向かう鉄道路線がありますよね、そう八高線です。全線単線、電化も遅かったというあたりは相模線とよく似ている(というか今も高麗川以北はディーゼルカーですね)。東京在住、関東在住の人でもあまり知られていない路線であることも似ています。

    東野高校のスクールバスは八高線の拝島駅、箱根ヶ崎駅、東飯能駅と学校の間を運行しています。八高線は本校と縁の深い鉄道路線です。

    これも前回書きました、「本校所在地近辺のご当地ソングないかしら」と。ユーミンに八高線に乗って歌を作って欲しかった・・・

    余談ではありますが

    その相模線ですが、自分の鉄道乗車記録(電子版で保存しています)でチェックすると、全線、乗車したことにはなっています。車窓も、河岸段丘の上を長く走ることを記憶しています。ただ残念ながら乗車日時が書かれていないので、「記録」としてどうなのか。
    どこかの駅なり施設なりに行く目的があったとようには思えないので、「乗ること」が目的だった気配が濃厚です。ユーミンの『天気雨』に無意識に誘われたのかもしれません。恐るべし、ご当地ソング。

  • 2024.04.11

    「ご当地ソング」考 ④ ーー店名もあり?

    「ご当地ソング」というくくりで、具体的な地名が出てくる歌についてあれこれ書いてきたわけですが、さらに行きつく先として、実在するお店の名前が使われるのも広い意味での「ご当地ソング」と言ってもいいかもしれません。

    具体的な店の名前が出てくるいうことになると、やはり1970年代ごろから登場してくるシンガーソングライターの曲となってくるのでしょう。というか、最近の曲に好例があるかどうか知らないという年寄りの事情もありますが。

    おさらいです。1970年代あたりまでの日本の音楽シーンは、レコード会社所属の作詞家や作曲家が作った歌をプロ歌手が歌うことが当たり前というか、それがほぼすべてでした。歌謡曲などと呼ばれました。そこに、自分で歌を作って(作詞作曲して)なおかつ自分で歌う、ギターを弾いたりピアノを弾いたりして歌うという時代がやってくるわけです。その担い手がシンガーソングライター、そのような曲はフォークソング(フォーク)やニューミュージックなどと呼ばれました。

    彼ら彼女らの作る歌の多くは身の回りの生活や自分の体験に基づいて作られ、「個」の主張をはっきりと前面に出す歌でもあったため、そこが従来のプロによる歌謡曲とは大きく異なり新鮮で、特に同世代の人たちの共感を呼んだわけです。その代表的な存在としてはフォークでいえば吉田拓郎さんや井上陽水さんであり、ニューミュージックはユーミンこと荒井由実さん、中島みゆきさんなどがあげられるでしょう。

    ここではやはりユーミンをとりあげます。以前、本校通学圏内に縁のあるミュージシャン、歌について書いたとき(2023年7月27日「ミュージシャンから派生してーーR16へのこだわり ①」)、国道16号線を「Route16」と歌っていることを紹介しましたが、ユーミンは固有名詞を使うセンスは抜群ではないかと思います。

    好例がデビュー後2枚目のアルバム『MISSLIM』(1974年)に収められている『海を見ていた午後』。横浜のとあるレストランの名前が出てきます。かつて恋人と訪れた店でいま一人でテーブルに座っている、ソーダ水のグラスを通して遠くの海を行く貨物船が見える、という映画の一シーンのような描写で、リアリティを際立たせるには「とあるレストラン」ではだめだったのでしょう。

    また4枚目のアルバム「14番目の月」(1976)収録の『天気雨』では湘南・茅ケ崎でサーフィンをする恋人であろう「貴方」とのことを歌っているのですが、サーファーがよく立ち寄るお店が出てきます。

    ドラマやアニメが大ヒットして、ファンがその舞台や撮影場所を訪れる、そんな場所が「聖地」と言われたりします。最近では神奈川県にある鉄道踏切が外国人観光客も含めて大変な賑わいで大渋滞、事故の心配もあり、いわゆるオーバーツーリズム(観光が市民生活に悪影響を与える現象)を伝える際、必ずといっていいほどとりあげられます。ちょっと前は大ヒットした韓国ドラマのロケ地巡りも話題になりました。

    同様に、ユーミンのような人気の歌い手が店名をあげたら、やはりファンは訪れてみたいということになるのでしょうね。

    「リアリティを出すために固有名詞が必要では」と書きました。歌に限らず小説でもそうでしょうが、具体的な場所やモノが描かれると、さらにそこを知っていると、聴いていて、読んでいて、具体的なイメージがわくので、小説や歌の世界に入りやすくなるのは間違いないでしょう。一方で、そのイメージが固定化されてしまって、想像する楽しみがなくなってしまうというデメリットもあるでしょう。

    朝日新聞の読書欄で「旅する文学」という連載を書いている文芸評論家の斎藤美奈子さんがつい先日、こんなことを書いていました。

    「旅をした後にその土地ゆかりの本を読むと、空気感や地名に覚えがあるから不思議なほどクリアに読める。旅と読書はワンセット」

    本・読書が先か旅が先かはあるにしても、どちらも一層面白くなる相乗効果は間違いないでしょうね。歌、音楽についても同じことが言えそうです。

    それにしても、ご当時ソングなどと言われなくてもいいから、本校の近くの街や場所を歌った、これといった曲が生まれないかしら。誰かつくってくれないか。もしかしたらすでにある? そうならぜひ教えてください。

    余談ではありますが

    ユーミンが歌った横浜のレストランですが、ネット検索していたらまだお店はあるようで、そこを訪れたルポ、訪問記がアップされていました。この歌が発表されてからお客さんが増え、ユーミン本人が出かけたら満席で断られたというエピソードがファンの間でまことしやかに語られていた、と以前何かで読んだ記憶があります。都市伝説だとは思うのですが。

    茅ケ崎のサーファー御用達しの店ですが先日、ドライブ中に偶然にもこの店の前を通りました。名前はもちろん知っていましたが、サーフィンの経験もなく、もちろん「聖地めぐり」をしたこともなく、「へーっ、こんな場所にあるんだ」と。「この店さ、ユーミンがさ・・・」と車内で熱弁をふるい、同乗していた家族に呆れられました。

    ちなみにこの2曲が収められているユーミンの初期のアルバムですが発売時はレコード。自身はまだ学生でレコードで聴きました。もちろん、いい大人になってからCDも買い直していますが。

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